たが、
外「私は日本の語にうといから通弁から聞いて呉れ」
と云う。私《わたくし》も洋語は知りませんから通弁さんに聞くと、通弁さんの云うに、
通「お前の宅《うち》にこれだけの幽霊の掛物を聚《あつ》めるには、幽霊というものが有るか無いかを確《しか》と知っての上でかように聚めたのでございましょう」
と云う問《とい》でございました。所が有るか無いかと外国人に尋ねられて、私《わたくし》も当惑して、早速に答も出来ませんから、
圓「日本の国には昔から有るとのみ存じていますから、日本人には有るようで、貴方のお国には無いと云うことが学問上決して居るそうですから無いので、詰り無い人には無い有る人には有るのでございましょう」
と、仕方なしに答えましたが、此の答は固《もと》よりよろしくない様でございますが、何分無いとも有るとも定めはつきません。先達《せんだって》ある博識《ものしり》先生に聞きますと
「幽霊は有るに違い無い、現在僕は蛇の幽霊を見たよ」
と仰しゃるから、
圓「どういう訳か」
と聞くと、蛇を壜《びん》の中へ入れてアルコールをつぎ込むと、蛇は苦しがって、出よう/\と思って口の所へ頭を上げて来るところを、グッとコロップを詰めると、出ようと云う念をぴったりおさえてしまう。アルコール漬だから形は残って居ても息は絶えて死んで居るのだが、それを二年|許《ばか》り経って壜の口をポンと抜いたら、中から蛇がずうッと飛出して、栓を抜いた方の手頸《てくび》へ喰付いたから、ハッと思うと蛇の形は水になって、ダラ/\と落《おち》て消えたが、是は蛇の幽霊と云うものじゃ。と仰しゃりました。併《しか》し博識《ものしり》の仰しゃる事には、随分|拵事《こしらえごと》も有って、尽《こと/″\》く当《あて》にはなりませんが、出よう/\と云う気を止めて置きますと、其の気というものが早晩《いつか》屹度《きっと》出るというお話、又お寺様で聞いて見ますると気息《いき》が絶えて後《のち》形は無いが、霊魂と云うものは何処《どこ》へ行《ゆ》くか分らぬと申すこと、天国へ行《ゆ》くとか地獄極楽とか云う説はあっても、まだ地獄から郵便の届いた試しもなし、又極楽の写真を見た事もございませんから当にはなりませんが、併し悪い事をすると怨念《おんねん》が取付くから悪事はするな、死んで地獄へ行《ゆ》くと画《え》の如く牛頭《ごず》馬頭《
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