めず》の鬼に責められて実にどうも苦《くるし》みをする、此の有様《ありさま》は如何《どう》じゃ、何と怖い事じゃアないか、と云うので、盆の十六日はお閻魔様《えんまさま》へ参詣致しますると、地獄の画が掛けてあるから、此の画を見て子供はおゝ怖い、悪い事はしまいと思う。昔は私共《わたくしども》も彼《あ》の画を見ると、もう決して悪い事はしまいと思いまして、女は子が出来ないと血の池地獄へ落ちて燈心で竹の根を掘らせられ、男は子が出来ないと提灯《ちょうちん》で餅を搗《つ》かせられると云う、皆恐ろしい話で、実に悪い事は出来ませんものでございます。又因縁で性《しょう》を引きますというは仏説でございますが、深見新左衞門が斬殺《きりころ》した宗悦の娘お園に、新左衞門の悴《せがれ》新五郎が惚れると云うはどういう訳でございましょうか、寝ても覚めても夢にも現《うつゝ》にも忘れる事が出来ませんで、其の時は諦めますと云って出にかゝったが、お園が何とも云わぬから仕方がない、杉戸《すぎど》を閉《た》てゝ店へ往って寝てしまいましたが翌日になって見ると、まさか死ぬにも死なれず、矢張《やっぱり》顔を見合せて居ります。其の中《うち》に土蔵《くら》の塗直しが始まり、質屋さんでは土蔵を大事にあそばすので、土蔵の塗直しには冬が一番|持《もち》がいゝと云うので、職人が這入ってどし/\日の暮れるまで仕事をして、早出《はやで》居残りと云うのでございます。職人方が帰り際には台所で夕飯時《ゆうめしどき》には主人が飯を喫《た》べさせ、寒い時分の事だから葱鮪《ねぎま》などは上等で、或《あるい》は油揚に昆布などを入れたのがお商人《あきんど》衆の惣菜でございます。よく気をつけてくれまするから、台所で職人がどん/\這入って御膳を食べ、香の物がないといって、襷《たすき》を掛けて日の暮々《くれ/″\》にお園が物置へ香の物を出しにゆきました。此の奥に土蔵が有ってその土蔵の脇は物置があり、其の此方《こちら》には職人が這入って居るから荒木田《あらきだ》があり、其の脇には藁《わら》が切ってあり、藁などが散《ちら》ばっている間をうねって物置へ往って、今香の物を出そうとすると、新五郎が追っかけて来たから、見ると少し顔色も変って何だか気違《きちがい》じみて居る。もっとも惚れると云うと、馬鹿気《ばかげ》て見えるものでございますが、
新「お園どん/\」
園
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