は宜《よ》い役を勤めた事もある身分でございましたからお嬢様育ちで居たのですが、身性《みじょう》が悪うございまして、私が十六の時家来の宇田金五郎《うだきんごろう》という者と若気の至りで私通《いたずら》をし、金五郎に連れられて実家を逃出し江戸へ参り、本郷菊坂に世帯《しょたい》を持って居りましたが丁度あの午年《うまどし》の大火事のあった時、宝暦《ほうれき》十二年でございましたかね、其の時私は十七で子供を産んだのですが、十七や十八で児《こ》を拵《こしら》える位だから碌なものではありません、其の翌年金五郎は傷寒《しょうかん》を煩《わず》らって遂《つい》に亡《なく》なりましたが、年端《としは》もゆかぬに亭主には死別《しにわか》れ、子持ではどうする事も出来ませんのさ、其の子供には名を甚藏と附けましたが、何《なん》に肖《あや》かったのか肩の処に黒い毛が生えて、気味の悪い痣《あざ》があって、私も若い時分の事だから気色が悪く、殊《こと》に亭主に死なれて喰い方にも困るから、菊坂下の豆腐屋の水船《みずぶね》の上へ捨児《すてご》にして、私は直《す》ぐ上総の東金へ往って料理茶屋の働き女に雇われて居る内に、船頭の長八《ちょうはち》という者といゝ交情《なか》となって、また其処《そこ》をかけ出して出るような事に成って、深川|相川町《あいかわちょう》の島屋《しまや》と云う船宿を頼み、亭主は船頭をし、私は客の相手をして僅《わず》かな御祝儀を貰って何《ど》うやら斯《こ》うやらやって居る中《うち》に、私は亭主運がないと見え、長八がまた不図《ふと》煩いついたのが原因《もと》で、是も又死別れ、どうする事も出来ないから[#「出来ないから」は底本では「出事ないから」]心配して居ると、島屋の姐《ねえ》さんのいうには、迚《とて》もお前には辛抱は出来まいが[#「出来まいが」は底本では「出事まいが」]、思い切って堅気にならないかと云われ、小日向の方のお旗下の奥様がお塩梅が悪いので、中働《なかばたらき》に住み込んだ処が、これでも若い時分は此様《こん》な汚ない婆《ばゞ》アでもなかったから、殿様のお手が附いて、僅《わずか》な中《うち》に出来たのは此のお賤」
八十八
尼「此娘《これ》も世が世ならばお旗下のお嬢さまといわれる身の上だが、運の悪いというものは仕方がないもので、此のお賤が二歳《ふたつ》の時、其のお屋
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