十九ケ年の年月《としつき》を経て妹《いもと》お久に巡り合い身請をして此の庄三郎と夫婦にさせんと存じて約束致し候其の帰り途《みち》なり斯《かく》なるは不孝の罪|持合《もちあわ》せたる金《かね》五百両は其方様《そなたさま》に差し上げ候間是にて妹お久を身請して女房《にょうぼ》となし松山の家《いえ》を立てさせくれと今際《いまわ》の頼み其の場は遁《のが》れ去り其の金《きん》五百円にてお久を身受致《みうけいたし》夫婦と相成候それ故に苗字を取《とっ》て松山園と号《なづ》け居りしが昨夜親子の困難を見殊に助太刀の頼み人は知らねど心の苦しさ又昨年蛍沢にて殺害したる車夫《しゃふ》徳藏は妻恋坂下にて新助殿を殺したる時に乗せたる車夫にて其の時取り落したる煙草入を所持なし居り是を買いくれよと云いかけられ是非無く殺害したるに新助殿妻おふみ殿の兄御《あにご》とは露知らず昨夜の物語に始めて知り兄|良人《おっと》の仇《あだ》申訳相立たず自害致し相果て候我等なき後々《あと/\》は我が財産は松山の御子達《おこたち》へ引渡し候処|実証《じっしょう》なり松山の家名は二人の子供を以て跡目相続を頼み入り候妻お久は年若故再縁致し候様我は兄貴の仇なり心を残さぬ様に斯《かく》書残し候
[#ここで字下げ終わり]
との書置に皆打驚き、匆々《そう/\》差配人差添えの上で訴えに相成ります。漸く事済《ことずみ》になって、此のおふみの子供をもて相続人に相定めまする。又お美代は後、後家を立て通して居りましたという。おふみが死去の後に子供等が引続きまして松山の家を立てまする。御徒町の腹切《はらきり》と人の噂を聞きまして、愚作なれど一冊のお話に纏《まと》めました、松と藤のお話でございますが、先ずこれで全尾《ぜんび》でございます。
[#地から1字上げ](拠酒井昇造、佃與次郎速記)
底本:「圓朝全集 巻の二」近代文芸資料複刻叢書、世界文庫
1963(昭和38)年7月10日発行
底本の親本:「圓朝全集 卷の二」春陽堂
1927(昭和2)年12月25日発行
※「旧字、旧仮名で書かれた作品を、現代表記にあらためる際の作業指針」に基づいて、底本の表記をあらためました。
ただし、話芸の速記を元にした底本の特徴を残すために、繰り返し記号はそのまま用いました。
また、総ルビの底本から、振り仮名の一部を省きました。
底本中ではばらばらに用いられている、「其の」と「其」、「此の」と「此」、「彼《あ》の」と「彼《あの》」は、それぞれ「其の」「此の」「彼の」に統一しました。
また、底本中では改行されていませんが、会話文の前後で段落をあらため、会話文の終わりを示す句読点は、受けのかぎ括弧にかえました。
入力:小林繁雄
校正:松永正敏
2005年10月19日作成
青空文庫作成ファイル:
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