てるのは慾が肉と筋の間へからんで、慾肥りてえのは彼《あれ》から初まったでげす……じゃア美代ちゃんの家へ入らっしゃいまし」
 と三八が先に立ち数寄屋町へ這入り、又細い横町へ曲り、
旦「此方《こっち》へ曲るのかえ」
三「此方《こちら》へ入らっしゃい……えゝ此処で、有松屋《ありまつや》という提灯《ちょうちん》の吊してある処で」
旦「法華宗《ほっけしゅう》なのかえ」
三「何でも金にさえなれば摩利支天様《まりしてんさま》でもお祖師様《そしさま》でも拝むんで、それだから神様の紋散《もんじら》しが付いて居るんで……母親《おふくろ》さん今日《こんち》は、お留守でげすか……美代ちゃん今日は」
婆「あい誰だえ、安《やす》どんかえ」
三「あれが婆《ばゝあ》の慾から出る声でげすが、酷《ひど》いもんで……えゝ三八でげすよ」
婆「いやだよ何だねえ、ずっとお這入りな表からお客様振ってさ」
三「御免なせえまし、ヘヽヽ今日は……」
婆「此の間はあれっきり来ないもんだから、わたしは本当に困ったよ、皆さんから後《あと》で話が有って………これからは持って一々来て見せなくちゃア困るじゃアねえか」
三「ところが梅素《ばいそ》さんの処へ往《い》くと、びらが一ぺえ来てえるので、待って書いて貰いましたんで、大きに遅くなったんでげすが、その代り美代ちゃんはちゃんと中軸《なかじく》にして、そこらは抜目無くして置いた事は、後で御覧なすっても解りますが、時に今ね母親さん美土代町の奧州屋《おうしゅうや》の旦那がね、ほんとに粋《すい》な苦労人で、美代ちゃんを呼んで度々《たび/\》お座敷も重なると、家《うち》で案じるといけないから、ちょいとお母さんにあかして仲好《なかよし》に成りてえと仰しゃるから、お連れ申して来ましたんで」
婆「あれまア何うもまア表に居らっしゃるの……何うぞ此方《こっち》へお上り遊ばして下さい、まことに思い掛けない事で、何うぞ此方《こちら》へ……師匠|此方《こちら》へ案内してお上げ申しておくれよ」
三「ヘヽヽ此方《こちら》へお上んなさいまし」
旦「はい御免……お母さんお初にお目にかゝります、毎度美代ちゃんを呼んで世話を焼かしますが、何うぞ心安く……」
婆「まア何うも宜く入らっしゃいました、毎度また彼《あれ》を御贔屓《ごひいき》に遊ばして有難う存じます、宜くまア此様《こん》な狭い汚ない所へ入らっしゃいました、何時も蔭でおうわさばかり致して居ますの、何うかして一度お目にかゝって置きたいと思いまして、師匠にも然う申しましたら、その内に案内をしようと云ってくれましたが、またお楽《たのし》みの処へ出ましてもお邪魔だろうからと存じて控えて居ましたが、毎度御贔屓様になりまして有難う存じます、あんな結構な袂持《たもともち》や合切袋《がっさいぶくろ》や金の指環など見たこともない物を下すって、あれがお湯などに箝《は》めて参りますから、そんな結構な物を箝めてお湯に這入るのじゃア無いよ、金より其の上に善い物は無いからと云いましても、今の若い者は開化とか何とかいう事を知って居りまして、人のいう事をば些《ちっ》とも聞かないで矢張箝めてお湯に這入りましたりして、ぞんざいに致しまして、何うも持《もち》ざっぺいが悪くて仕方がございません、お客様が折角のお志で下すった物を、粗末にしたり落しちゃア済まないよ、お志を無にするからと申しましても、あの通り頑是《がんぜ》がございませんから、何時までも子供のようでございまして仕方が有りませんが、何うぞお見捨なく何時までも御贔屓を願います、此の間もあなた遅く帰って来まして、お母さんお案じでないよ、奧州屋の旦那様が外《ほか》に何《ど》んな無理なお客が有っても、十二時を打ったらずん/\帰れと云って下すったが、そんなお客様は無いてッて何時も旦那様のお噂ばかり申して居りますので」
三「何《なん》しろ美代ちゃんをちょいと」
婆「今お湯から帰って、ちょいと二階で身化粧《みじまい》をして居ますよ」
旦「それは丁度|好《い》い所だった……師匠お母さんに其のオイお土産を………」
三「左様で………母親さんには是だけ……女中は慥《たし》か両人《ふたり》でしたねえ……これは旦那から」
婆「まア何うも有難う存じます、何《どう》ぞ旦那様へ宜しくお礼を仰しゃって下さいまし……旦那これからは何うぞ何方《どちら》へ往らっしゃいまして、御膳を上りましても詰らない御散財でございますから、美代吉の所へ往《ゆ》って惣菜で安く食べて往《い》こうと云うようにお心易《こゝろやす》く、ちょい/\入らっしゃッて下さいまし、然うすると此方《こちら》でも誠に気が置けませんで宜しゅうございますから、これを御縁として何うかちょい/\入らしって下さいまし………お前方|皆《みん》な此方《こっち》へ来てお礼を申しな」
下「誠にどうも有難う存じます」
旦「いや何うもお礼では痛み入ります」
三「お母《っか》さん何か一寸《ちょいと》お飯物《まんまもの》を色取りして何うか……」
婆「はい畏《かしこま》りました……ちょいとあの美代吉や下りてお出で、美土代町の旦那様が入らっしったよ」
美「はい」
 と返事をいたし、しと/\階子《はしご》を下りて参り、長手の火鉢の前に坐りましたが髪が、結《い》い立《たて》でお化粧《しまい》の為立《した》てで、年が十九故|十九《つゞ》や二十《はたち》という譬《たと》えの通り、実に花を欺くほどの美くしい姿で、にやりと笑い顔をしながら物数《ものかず》云わず、
美「よくお出でなさいました」
旦「今広小路で師匠に会ったからちょいとお母さんにお近附《ちかづき》に成ろうと思って来たのさ」
三「美代吉さん、何うも私の方は慾でげすが、旦那の方は御厄介になって余り感心しないが、それを一緒に往《ゆ》くと仰しゃるのでお供をして此方《こちら》へ来たのてえのは、其処《そこ》に種々《いろ/\》御親切な話が有るんで、本当に後《あと》でお聞《きか》せ申したい事が有るんでげすぜ」
美「それはほんとに嬉しい事ねえ」
婆「今お土産を戴いたよ」
美「毎度有難う存じます」
三「何か旦那の召上り物を何うかお早く」
婆「此処らでは鳥八十《とりやそ》さんが早いから、彼処《あすこ》へ往って何か照り焼か何かで、御飯《ごはん》を上るのだから色取をして然う云って来なよ、宜《よ》いかえ、御飯は家《うち》のは冷たいから暖《あった》かいのを三人前に、お香物《こう/\》の好《い》いのを持って来るように然う云ってくんな、あれさ家のは臭くていけないから、これさ人のいう事を宜く聞きなよ、それからお菓子を、なに落雁じゃアないよ、お客様だから蒸菓子の好いのを」
 と下女に云附け、誂《あつら》え物の来る内、何か有物《ありもの》でちょいとお酒が出ました。この奧州屋の新助《しんすけ》は一体お世辞の善《よ》い人で、芸者や何かを喜ばせるのが嗜《す》きな人だから、何か褒めようと思って方々《ほう/″\》見廻したが、何も有りません。三尺の壁床《かべどこ》に客の書いたものが余り宜い手では無く、春風春水一時来《しゅんぷうしゅんすいいちじにきたる》と書いてあり、紙仕立《かみじたて》の表装で一|幅《ぷく》掛けてありますが、余り感心致しません。其の傍《そば》の欄間に石版画の額が掛けてありますが、葡萄《ぶどう》に木鼠《きねずみ》の画《え》で何も面白い物がありません、何か有ったら褒めよう/\と思って床の間の前を見た処が古銅《こどう》の置物というわけでもなし、浅草の中見世《なかみせ》で買って来たお多福の人形が飾って有り、唐戸《からど》を開けると、印度物《いんどもの》の観世音《かんのん》の像に青磁の香炉があるというのでなし、摩利支天様の御影《みえい》が掛けて有り、此方《こっち》には金比羅様のお礼お狸さま、招き猫なぞが飾って有るので、何も褒めようが有りませんから、二枚|折《おり》の屏風の張交《はりまぜ》を褒めようと思って見ると、團十郎《だんじゅうろう》の摺物《すりもの》や会の散《ちら》しが張付けて有る中に、たった一枚肉筆の短冊《たんざく》が有りましたから、その歌を見ると「背くとも何か怨みん親として教えざりけんことぞ口惜《くや》しき」という歌が書いて有ったのを見て、奧州屋新助は恟《びっく》り致しましたと云うのは、自分が二十四歳の時に放蕩無頼《ほうとうぶらい》で父も呆れ、勘当をすると云った時に、此の短冊を書いて僕に渡し、汝《おのれ》の様な親に背いた放蕩無頼の奴は無いが決して貴様を怨みん、己《おれ》の教えが悪いによって左様な道楽の者に成ったのだ、此の短冊は己《わ》が形見で有るから、是を持って何処《どこ》へでも往《い》けと云って、流石《さすが》の父も涙を含んで私《わし》の手に渡した時に、若気《わかげ》の至りとは云いながら手にだに受けず、机の上に置去りにし、家《うち》を出た此の短冊が何うして茲《こゝ》に有ったかと、余り思い掛ない事だから驚いたが、素知らぬ体《てい》で、
旦「美代ちゃん、屏風に張って有るあの短冊は何処から貰ったのかえ」
美「なに、あれはいけないのですよ、張交《はりまぜ》が足りないから何でも安どんが出せと云いましたから、反古《ほご》の中に皺くちゃになって居たのですが、あれは私《わちき》のお父《とっ》さんが書きましたので」
旦「え…お前《めえ》のお父さんが……何かえお前《まえ》のお父さんは会津様の御家来で、松山久馬《まつやまきゅうま》様と云って七百石取ったお方だろうね」
美「あれまア旦那何うして私《わちき》の親父《おやじ》を御存じなの」
旦「いえなに……わしは若い時分から歌俳諧が好きであったが、風流の道というものは長崎の果《はて》の先生でも、奥州の人とも手紙の遣り取りをして交際《つきあい》をするものだがね、久馬様はおなくなりになって、惣領のお兄《あに》いさまは上野の戦争で討死《うちじに》をなすったということを聞いたが、お母さんは未だ御存生《ごぞんしょう》かえ」
美「何もかも旦那はよく御存じですが、私《わちき》は母と一緒に上野の先の箕《み》の輪《わ》という処へ参りましたは、前々《ぜん/\》勤めていた家来の家《うち》で有りますから、そこへ往って暫く厄介になって居ます内に、母が煩《わずら》い付きましたが、長煩い故病院へ入れる事も出来ませんようになったので、仕方なく私はこんな処へ這入りましたが、その甲斐もなく一昨年《おとゝし》の十一月なくなりましたよ」
旦「え、おかくれかい、それじゃアまアお母さんを救うためにお前は芸者になって、云いつけもしない世辞をお客に云って居るのだろうが、宜くまア親のために苦労をして居るねえ」
美「はい、私《わちき》は外《ほか》に親戚《みより》頼りも有りませんが、只《たっ》た一人|仲《なか》の兄のある事を聞いて居ましたが、若い時分道楽で、私が生れて間もなく勘当になって家出をしましたそうですが、随分気性な人ゆえ戦争《いくさ》にでも出て討死もしかねない気性ですから、大方死んでゞもしまったろうと常々|母親《おふくろ》が申して居りましたが、その兄さえ達者なれば会う事も有りましょうが、尤《もっと》も小さい時に分れたのでございますから、途中で会っても顔は知れませんけれども、何卒《どうぞ》して生きて居るなら、その兄に会いたいと思いまして弁天様へ願掛《がんがけ》を致して居りますけれども、いまだに知れませんから、本当に私は独りぼっちでございます」
旦「然うかえ、お前が生れて間もなく分れた兄《にい》さんだから、顔形も知れまいが親身の兄と思えばこそ然うやって神信心《かみしんじん》をして会いたいと願掛までして居ればこそ、ふといやなに…屹度《きっと》会うような事になるに違いないが、その事を兄《あに》さんが聞いたら嘸《さぞ》悦ぶだろう、然うかえ……どう云うわけだか松源へ初めてお前を呼んだ時から、何となく私《わし》の子のように思われて可愛いと思ったが、妙なものさね」
三「へえ美代ちゃんは久馬様のお嬢さんなんでげすか、道理で初めから久馬様の相が有りましたよ、何かその遊ばせ言葉などの所は違《ち》げえねえ、成程七百石のお嬢さまな
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