………それより青森へ参って、北海道へ渡って、暫く函館地方に居ったが、時治まって横浜に出て参って只今では聊か活計の道を立て……これから僕も世に出ようという心得であった……先達《さきだっ》て五六|度《たび》呼んだ美代吉が、何となく温順《おとな》しやかな身柄の宜しい者である、武士の娘と云う事を聞いたが、時世《ときよ》とて芸者の勤め、皆な斯様に成り果てた者も多かろうと存じて………手前《てまえ》妹と知らず、贔屓にして五六度呼びました………すると美代吉はあなた様と深く云い交してある事を他《た》の芸者から聞きましたゆえ、何うぞして配《あ》わして遣りたいと、今日美代吉の宅《たく》へ参ってふと見たる屏風の貼交《はりま》ぜ、その短冊を見れば、父が勘当の折に書いてくれました自筆の……歌でございます……その短冊から段々問い合せますると、松山久馬の娘である、父も兄も相果て、母が病中斯様な処に這入って芸者を致すとの物語を聞き、あゝ己は不孝で、二十四歳の折家出をして、両親《ふたおや》に聊かも報恩《おんがえし》を致さんで、年はもいかぬ女の身で斯様の処へ這入って芸者を致して居《い》るか、如何にも不便《ふびん》な事である
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