作も無い事でございましたが、今では身請というと実に方々《ほう/″\》さまの相場が大変な事で……」
三「ほうらそろ/\始まった、これだからうっかりした事は云われない……お母さん然う前置から詞《ことば》を振《ふら》ずに前文無しで結著《けっちゃく》の所を云って下さらなくっちゃア困りやすで……旦那あなたの思召《おぼしめし》は」
と袂《たもと》の中へ手を入れて、指を握り合って相談をする。
三「えゝ、成程……お母さんちょいと手を私の袂の中へ突込《つっこ》んで下さい、これが流行物《はやりもの》だから何うでげしょう、このくらいでは」
婆「はい……誠に有難い事でございますけれども、お師匠さん、私どもは外に宜《い》い抱えも無いのでございます、今美代吉が出てしまえば、何《いず》れ誰か外《ほか》に宜《よ》い抱えを為《し》なければなりませんが、そんならばと云って出たから直《すぐ》にお客が附くという訳でもなし為《し》ますから、それでも何うも少し話が折合いませんねえ」
新「じゃアお母さん何うぞ五百円ぐらいの所で話を極めておくんなさいな」
三「お母さん、そんなら宜うございましょう、こんな相場は有りませんから」
婆「誠に何うも有難い事でございます」
新「僕も少し頼まれた事が有ってその実は横浜まで買物に往《ゆ》かなければならんから、それでは明後日《あさって》という事に極めましょう、何が無くとも赤の御飯ぐらい炊いて、目出度い事だから平常《ふだん》馴染《なじみ》の芸妓|衆《しゅ》でも招《よ》んでね」
婆「誠に何うも有難い事で、然《そ》んなれば是非明後日はお待ち申します……美代吉や、ほんとに御親切なんて、何うもこんな有難い事は有《あり》ゃアしないよ……お間違い有りますまいね」
新「間違える所《どこ》じゃない、お母さんの方でさい違わなけりゃア、此方《こっち》で約を違《たが》える気遣いは無いのだから」
婆「実に何うも有難い事で、左様なら明後日は何時頃《なんじごろ》に入らっしゃいます」
新「二時少し廻った時分迄には屹度来るから、其の積りで約定《やくじょう》を極めてさえ置けば宜《い》いのだ」
三「美代ちゃん大変に宜《よ》い事が有るんで」
と幾ら傍《そば》で云っても美代吉は少しも嬉しい顔付が無いというは、本所北割下水《ほんじょきたわりげすい》に旗下《はたもと》の三男で、藤川庄三郎《ふじかわしょうざぶろう》という者と深くなって居ますが、遣い過ぎて金が廻らなくなったので、有松屋へ行っても不挨拶《ぶあいさつ》をするゆえ来にくゝなり、何うも都合が悪いと見えて、茶屋小屋から口を掛ける事もなし、此の頃では打絶《うちた》えて逢いませんので、美代吉も気を揉んで居る処へ身請の話になり、胸が痛く、
「はい」
と忌《いや》アな返事をしました。所へ来ましたのは藤川庄三郎で、此の頃では深川六間堀《ふかがわろっけんぼり》へ蟄息《ちっそく》致して居ましたが、駿府《すんぷ》から親族の者が出て来まして、金策が出来、商法の目的を附け、何《ど》んな所へでも開店|為《し》ようという事に成りましたので、美代吉に悦ばせる心算《つもり》ゆえ大《おお》めかしで、其の頃|散髪《ざんぎり》になりましたのは少なく、明治五年頃から大して散髪《ざんぱつ》が出来ましたが、それでも朝臣《ちょうしん》した者は早く頭髪《あたま》を勧められて散髪《ざんぎり》に成立《なりたて》でございますが、また散髪に成って見ますると、この撫付けた姿を見せたいと、惚れている女には尚変った所が見せたく、黒の羽織に白縮緬《しろちりめん》の兵児帯《へこおび》で格子の外へ立ち、家《うち》の中を覗《のぞ》きながら小声にて、
庄「美代ちゃん宅《うち》かえ」
と声を掛けると、美代吉は庄三郎の事ばかり思っています処へ、想う男に声を掛けられ、飛立つばかりいそ/\しながら、
美「あい」
と立上るを引き止め、
婆「何だよ、お止しよ、お前お客様が来て入らっしゃる処で、藤川さんだろう、止しなよ、お客様が入らっしゃるから余計な事を云いなさんなよ、出なくっても宜《い》いんだアね」
新「お母さん宜《い》いじゃアないか、前に贔屓で呼んでくれたお客なれば、今美代ちゃんを請出せば私《わし》の妹分にも為《し》ようと思っている、その妹を贔屓にしてくれたお客なら私もお近付になりたいから、お上げ申した方が宜《よ》い」
美代吉は逢いたいと思う処へこう云われたから、
美「はい」
と直《すぐ》に二畳の上《あが》り口へ出て来まして、障子を開けるとて格子の外に立って居まする庄三郎を見て、莞爾《にっこ》と笑いながら、
美「おや宜くおいでなさいました」
庄「今日はね、少しお前に悦ばせようと思って来ました。」
美「余《あん》まりおいでなさらんから何うなすったかと思ってましたよ」
庄「なにね深川の方の知己《ちき
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