い結構《かゝり》がない、玄関正面《げんくわんしやうめん》には鞘形《さやがた》の襖《ふすま》が建《たて》てありまして、欄間《らんま》には槍《やり》薙刀《なぎなた》の類《るゐ》が掛《かゝつ》て居《を》り、此方《こなた》には具足櫃《ぐそくびつ》があつたり、弓《ゆみ》鉄砲抔《てつぱうなど》が立掛《たてかけ》てあつて、最《い》とも厳《いか》めしき体裁《ていさい》で何所《どこ》で喫《たべ》させるのか、お長家《ながや》か知《し》ら、斯《か》う思ひまして玄関《げんくわん》へ掛《かゝ》り「お頼《たの》ウ申《まうし》ます、え、お頼《たの》ウ申《まうし》ます。「ドーレ。と木綿《もめん》の袴《はかま》を着《つ》けた御家来《ごけらい》が出て来《き》ましたが当今《たゞいま》とは違《ちが》つて其頃《そのころ》はまだお武家《ぶけ》に豪《えら》い権《けん》があつて町人抔《ちやうにんなど》は眼下《がんか》に見下《みおろ》したもので「アヽ何所《どこ》から来《き》たい。「へい、え、あの、御門《ごもん》の処《ところ》に、お汁粉《しるこ》の看板《かんばん》が出《で》て居《を》りましたが、あれはお長家《ながや》であそばしますのでげせうか。「アヽ左様《さやう》かい、汁粉《しるこ》を喰《くひ》に来《き》たのか、夫《それ》は何《ど》うも千萬《せんばん》辱《かたじけ》ない事《こと》だ、サ遠慮《ゑんりよ》せずに是《これ》から上《あが》れ、履物《はきもの》は傍《わき》の方《はう》へ片附《かたづけ》て置け。「へい。「サ此方《こつち》へ上《あが》れ。「御免下《ごめんくだ》さいまして。……是《これ》から案内《あんない》に従《したが》つて十二|畳《でふ》許《ばかり》の書院《しよゐん》らしい処《ところ》へ通《とほ》る、次は八|畳《でふ》のやうで正面《しやうめん》の床《とこ》には探幽《たんにゆう》の横物《よこもの》が掛《かゝ》り、古銅《こどう》の花瓶《くわびん》に花が挿《さ》してあり、煎茶《せんちや》の器械《きかい》から、莨盆《たばこぼん》から火鉢《ひばち》まで、何《いづ》れも立派《りつぱ》な物ばかりが出て居《ゐ》ます。「アヽ当家《たうけ》でも此頃《このごろ》斯《かう》いふ営業《えいげふ》を始めたのぢや、殿様《とのさま》も退屈凌《たいくつしの》ぎ――といふ許《ばかり》でもなく遊《あそ》んでも居《ゐ》られぬから何《なに》がな商法《しやうはふ》を、と云《い》ふのでお始《はじめ》になつたから、何《ど》うかまア諸方《しよはう》へ吹聴《ふいちやう》して呉《く》んなよ。「へいへい。「貴様《きさま》は何《なん》の汁粉《しるこ》を喫《たべ》るんだ。「えゝ何所《どこ》のお汁粉屋《しるこや》でも皆《みな》コウ札《ふだ》がピラ/\下《さが》つて居《ゐ》ますが、エヘヽ彼《あれ》がございませぬやうで。「ウム、下札《さげふだ》は今《いま》誂《あつらへ》にやつてある、まだ出来《でき》て来《こ》んが蝋色《ろいろ》にして金蒔絵《きんまきゑ》で文字《もじ》を現《あらは》し、裏表《うらおもて》とも懸《か》けられるやうな工合《ぐあひ》に、少し気取《きどつ》て注文をしたもんぢやから、手間《てま》が取れてまだ出来《でき》ぬが、御膳汁粉《ごぜんじるこ》と云《い》ふのが普通《なみ》の汁粉《しるこ》で、夫《それ》から紅餡《べにあん》と云《い》ふのがある、是《これ》は白餡《しろあん》の中《なか》へ本紅《ほんべに》を入《い》れた丈《だけ》のものぢやが、口熱《こうねつ》を冷却《さま》すとか申《まう》す事ぢや、夫《それ》に塩餡《しほあん》と云《い》ふのがある、是《これ》も別《べつ》に製《せい》すのではない、普通《なみ》の汁粉《しるこ》へ唯《た》だちよいちよいと焼塩《やきしほ》を入《い》れるだけの事だ、夫《それ》から団子《だんご》、道明寺《だうみやうじ》のおはぎ抔《など》があるて。「へい/\、夫《それ》では何卒《どうぞ》ソノ塩餡《しほあん》と云《い》ふのを頂戴《ちやうだい》したいもので。「左様《さやう》か、暫《しばら》く控《ひか》へて居《ゐ》さつしやい。奥《おく》では殿様《とのさま》が手襷掛《たすきがけ》で、汗《あせ》をダク/\流《なが》しながら餡拵《あんごしら》へか何《なに》かして居《ゐ》らつしやり、奥様《おくさま》は鼻の先を、真白《まつしろ》にしながら白玉《しらたま》を丸めて居《ゐ》るなどといふ。「エヽ御前《ごぜん》、御前《ごぜん》。殿「何《なん》ぢや。「エヽ唯今《たゞいま》町人《ちやうにん》が参《まゐ》りまして、塩餡《しほあん》を呉《く》れへと申《まうし》ますが如何《いかゞ》仕《つかまつ》りませう。殿「呉《く》れろといふならやるが宜《よ》い。暫《しばら》くするとお姫様《ひめさま》が、蒔絵《まきゑ》のお吸物膳《すひものぜん》にお吸物椀《すひものわん》
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