やしているぐらいでげす。今日は暇だと申しても一人で二人ぐらいのお客は屹度《きっと》ある。忙しいと来たら五六人ずつはありますからなか/\廻しが取れません。甚助《じんすけ》をおこす客もあるが怒《おこ》って出て行《ゆ》くものゝないも訝《おか》しい。それで安直|店《みせ》と来ていますから滅法な流行りかた、この楼《うち》に小主水《こもんど》と呼ばれて全盛な娼妓がある、生れはなんでも京阪《けいはん》地方だと申すことで、お客を大切《だいじ》にするが一つの呼《よび》ものになっています。この小主水の部屋から妹分で此のごろ突出《つきだ》された一人の娼妓《こども》は、これも大阪もので大家《たいけ》の娘でございましたが、家《うち》の没落に身を苦界《くがい》に沈め、夜《よ》ごとに変る仇枕《あだまくら》、朝《あした》に源兵衛《げんべえ》をおくり、夕《ゆうべ》に平公《へいこう》をむかえております。この者の名を花里《はなざと》といい頗《すこぶ》る美人でげすから、忽《たちま》ちのうちに評判になり、
 ○「コウ熊ア、玉和国の花里てえのはすばらしいもんだとよ」
 △「ウム左様《そう》よ、土地|第一《でえいち》の別嬪《べっぴん》だとよ」
 ○「手前《てめえ》おがんだか」
 △「己《おい》らア、仕事を仕舞うと直ぐこれで三晩おがみに来るが、彼奴《きゃつ》流行妓《はやりッこ》だからなア、まだお目にぶら下らねえのさ、今夜ア助見世《すけみせ》に出アがるとこでもと先刻《さっき》から五度《ごたび》まわったが、よく/\御縁がねえのだ、明日《あす》の晩は半纒を打殺《ぶちころ》しても登楼《あが》らねえじゃア気がすまねえや」
 ○「素敵に逆上《のぼせ》ていアがるわ、顔も見ねえ女に夢中になる奴もねえぜ」
 △「馬鹿|奴《め》、美人《いゝ》に極ってらア」
 なんかと騒ぐものもあるほどでげすから、其の全盛は思いやられます。軍艦が碇泊《ていはく》すると品川の宿《しゅく》は豊年でございます。皆様御存知のとおり海上にあって毎日事務をとってお在《いで》なさるお方々でげすから、何《いず》れの港になりと船が泊りますることになると、それ/″\にお暇が出て日頃の骨休みをなさる。成程そうでございましょう。軍人方でいらせられますから、いざ戦争という場合になりましては申すまでもないことで、甲板に屍《かばね》をさらすとも一歩もお引き遊ばすなどという卑怯未練な方はございません。陸軍たりとて海軍たりとて勇武の御気象には少しの変りもない、日本固有の大和魂というものがお手伝をいたしますからでもございましょうが、我邦《わがくに》軍人がたの御気象には欧洲各国でも舌を巻《まい》ておるそうで、これは我が某《ある》将官の方に箱根でお目通りをいたしたとき直接《じき/\》に伺ったところでございます。これはお話が余事に外《そ》れ恐れ入りましたが、左様な御気象をお持ち遊ばす方々で在《いら》せられますから、ナニ暴風|怒濤《どとう》なんぞにビクとも為さる気遣いはない、併《しか》し永暴風雨《ながしけ》をくっては随分御困難なもんだそうで、却《かえ》って戦争をしている方が楽だと仰せられた軍人もございました。そういう御難儀を遊ばしていらッしゃるんでげすから、港々にお着《つき》遊ばしたときは些《ちっ》とは浩然《こうぜん》の気もお養いなさらずばお身体が続きますまい。それでげすから軍艦が碇泊したというと品川はグッと景気づいてまいる。殊に貸座敷などは一番に賑《にぎわ》しくなるんで、随分大したお金が落るそうにございます。娼妓のうちで身請の多くあるは品川だと申しますも、畢竟《ひっきょう》軍艦の旦那に馴染を重ねるからのことかと存じまする。丁度|紅葉《もみじ》も色づきます秋のことでげすが、軍艦が五艘《ごそう》も碇泊いたし宿《しゅく》は大層な賑いで、夜になると貸座敷近辺は恰《まる》で水兵さんで埋《うま》るような塩梅、何《いず》れも一杯|召食《きこしめ》していらっしゃる、御機嫌だもんですから、若い女子供は怖《おっか》ながるほどでございました。それでなくってさえ流行《はや》ります和国楼、こういう時には娼妓達《こどもたち》は目もまわるように忙がしい。中々一人々々のお客を座敷へ入れることは出来ません、名代《みょうだい》部屋には割床《わりどこ》を入れるという騒ぎで、イヤハヤお話になったものでございませんが、お客様がそれで御承知遊ばして在《いら》っしゃるも不思議なものでげすな。従って娼妓達が勤め向きもわるいが、馴染になって在っしゃるお客様は、アヽ彼奴《あいつ》も気の毒な、斯う牛や馬を追いまわすようにされちゃア身体が続くもんじゃないよ、なんぼ金の為に辛い勤めをするんだッて、楼主《ろうしゅ》があんまり慾張りすぎるからわるい、政府でも些《ちっ》と注意して一夜《ひとよ》のお客は二人《ににん》乃至《ないし》三人より取らさねえように仕そうなものだ、なんかんと御自分の買馴染が一座敷へ三十分と落著《おちつ》いていられないのを可愛そうに思召しもございましょう。例の花里|花魁《おいらん》でございますが、この混雑《ごった》かえしている中に一層忙がしい、今日で三日三晩うッとりともしないので、只眠いねむいで茫然《ぼっと》して生体《しょうたい》がない。お客のお座敷へ出ても碌々口もきかないが、さてこれと名ざしてお招き遊ばさるゝお方はそんなことには頓着《とんじゃく》はなさりません、只花里々々と夢中になっていらッしゃる。いま花魁の出ているは矢ッ張り軍艦《ふね》のお客で、今夜は二回《うら》をかえしにお出でなされたんでげすから、疎末《そまつ》にはしない、頻《しき》りに一昨夜《おとついのばん》の不勤《ふづとめ》を詫していると、新造《しんぞ》が廊下から、
 新「花里の花魁え、一寸《ちょい》とおかおを」
 花「あゝ今行くよ、ほんとにうるさいことねえ」
 客「情人《いゝひと》が逢いにきたとよ、早くいって顔を見せてやるが好《よ》いわ、のう花魁、ハヽヽヽヽ」
 花「御冗談ものですよ、私のようなものに情人なんかゞあるもんですか、ほんとにモウつく/″\厭になった」
 新「花魁、花魁え、お手間はとらせませんから」
 花「あいよ、今参りますよ」
 と客に会釈して立てば新造は耳に口よせ、
 新「お初会の名指《なざし》です」
 花「そう、何様《どんな》人だえ、こないだのような書生ッぽだと御免蒙るわえ」
 新「ナニ美男《いゝおとこ》さ、風俗《なり》は職人|衆《しゅ》ですがね、なんでも親方株の息子さんてえ様子ですわ」
 と新造に伴なわれまして引附《ひきつけ》へまいりますと、三人連の職人|衆《しゅう》でございますが、中央《なか》に坐っているのが花里を名ざして登楼《あが》ったんで、外はみなお供、何うやら脊負《おんぶ》で遊ぼうという連中、花里花魁自分を名指してくれたお客を見ますると、成程新造の申しました通り美男子《いゝおとこ》で、尋常《たゞ》のへっぽこ職人じゃアないらしく思われます。あゝ好いたらしい若い衆《しゅ》だと思うと見ぬ振をしてじろり/\顔を見るもので、男の方では元より名指して登楼るくらいでげすもの、疾《とっ》くに首ッたけとなって居《お》るんでございます。軈《やが》てお引けということに成っても元より座敷は塞《ふさ》がって居りますから、名代部屋へ入れられ、同伴《つれ》もそれ/″\収まりがつきました。
 花「一寸《ちょい》とお前さん、御免なさいよ、直ぐ来ますからね鼠にひかれちゃアいけませんよ、ホヽヽヽヽ」
 客「全盛な花魁だから仕方がねえや、まア寛《ゆっ》くり行っていらッしゃい、屹度留守はしていらアな」
 花「まことに済まない事ねえ、何うか堪忍して頂戴よ、生憎《あいにく》お客が立《たて》こんでるもんだから、寝て仕舞ってはいやだよ」
 客「ハイ/\、天井の節穴でも数えているからいゝてえば」
 花「いま新造|衆《しゅ》に小説本でも持《もた》せてよこすからね、屹度寝てしまッちゃ厭よ」
 嫣然《にっこり》いたして吸付《すいつけ》煙草一服を機会《しお》に花魁は座敷を出てまいります。若い職人風の美男子《いゝおとこ》も、花里の全盛なのは聞きつたえておりまするし、殊に初会のことでげすから、左様《そう》打ちとけて話をすることもない。今夜はこれきり寝転《ねこか》しかとは思っていますが、同伴《つれ》の手前もあることで、帰るとも申し悪《にく》いのでもじ/\いたしている。寝ようと思っても引切《ひっき》りなしに廊下にひゞきます草履の音が耳につき、何うしても寝られるものでありません。すると座敷の障子がスーとあきますから、さて来たなと思いますと左様《そう》でない、有明の油をさしに来たのですから、えッ畜生《ちきしょう》だまされたかと腹は立ちますが、まさかに甚助らしいことも云われないので、寝たふりで瞞《ごま》かしている。いよ/\今夜は寝転《ねこか》しに極った、あゝ斯様《こんな》ことなら器用に宵の口に帰った方がよかったものと、眼ばかりぱちくり/\いたして歎息《たんそく》いたしています。花里の方でも初会ながら憎からず存じまする客でげすから、早く廻ろうとは思ってますけれど、何を申すも大勢な廻しのあることで、自儘《じまゝ》に好いた客の傍《そば》へばかり行っていることは出来ませんもんですから、漸《ようよ》う夜明になってこの座敷へまいりますると、うと/\しています様子。
 花「何うも済まなかったこと、堪忍して下さいよ、あら厭だ、狸なんかを極めてさ、くすぐるよ」
 と脇の下へ手を差し入れて、こちょ/\/\。
 客「フヽヽヽヽム、酷《ひど》いね花魁、あゝあやまった/\もう、フヽヽヽヽム、そんなに苛《いじ》めなくもいゝじゃないか、あやまったッたてえばよ」
 と腹這になれば、花里は煙草をつけて煙管《きせる》を我手で持ったまゝ一吸《ひとすい》すわした跡を、その儘自身ですい、嫣然《にっこり》いたし、
 花「オヽ寒くなったこと、もう浴衣《ゆかた》じゃア、明方《あけがた》なんか寒くて仕様がないわ」
 この職人体の美男子《いゝおとこ》は何物でございましょうか、花魁も初会惚《しょかいぼれ》でもしているらしく思われます。さて職人体の好男子《いゝおとこ》でございますが、あれは例のお若さんが根岸の寮で生みました双児《ふたご》、仕事師の勝五郎が世話で深川の大工の棟梁へ貰われてまいった伊之吉でございます。光陰は矢の如く去って帰らずとやら申しまして、月日の経ちますのは実に早いもので、殊に我々仲間で申しあげるお噺《はなし》の年月、口唇《くちびる》がべろ/\と動き、上腮《うわあご》と下腮が打付《ぶっつ》かります中《うち》に二十年は直ぐ、三十年は一口に飛ぶというような訳、考えてみますれば呑気至極でげすがな、お聞遊ばす方《ほう》でもそれで御承知下されて、お喋りする方でも詰らないところは端折《はしょ》って飛して仕舞うと申す次第で。大芳棟梁のとこへ貰われてまいった伊之吉、夫婦が大層可愛がって育て、おい/\と職を仕込みますが、実《まこと》に器用な質《たち》で仕事も出来て来る。多くある弟子達にも気うけは至極よろしく、若棟梁/\と立てられて、親の光りで何《いず》れへまいりましても引けは取らない。職の道にかけても年が若いから巧者こそありませんが、一通りの事は何をもって行っても人に指図《さしず》がしていかれる。それですからます/\評判はいゝ。大芳の若棟梁は今に立派なものになんなさる、親方さんも好《い》い養子をもらい当てゝ仕合せだ、あゝ甘《うめ》え塩梅しきに行《ゆ》けば実子がなくっても心配《しんぺえ》することはないなどと申して居ります。伊之吉は仲間にも顔が売れてまいれば追々|交際《つきあい》も殖《ふえ》る上、大芳棟梁もとより深川の変人、世間向《せけんむき》へ顔を出すなどは大嫌いでございますから、養子の伊之吉が人の用いもよく、用も十分に足りていくので、自分が出懸けねばならぬところがあっても、伊之やお前《めえ》往って来てくんねえな、と代理をさせるのでます/\交際《こうさい》はひろくなり、折にはこれから人々と共に遊びに行《ゆ》く事もあるが、決
前へ 次へ
全16ページ中10ページ目


小説の先頭へ
文字数選び直し
三遊亭 円朝 の一覧に戻る
作家の選択に戻る
◆作家・作品検索◆
トップページ 登録 ご利用方法 ログイン
携帯用掲示板レンタル
携帯キャッシング