して色に溺れるてえ事なんかはありません。左様《そう》斯ういたしておるうち、品川の噂がちら/\耳に這入り、玉和国楼の花里という花魁の評判が大層もないので、伊之吉も元より血気の壮者《わかもの》でございまするし、遊びというものが面白くないとも思っていませんから、ふらり内弟子のものと共に品川へ参り、名指《なざし》で登楼《あが》って見ますと、成程なか/\の全盛でげす。それで取まわしがいゝ、誠に痒《かゆ》いところへ手の届くようにせられましたから、何うも捻《ひね》りぱなしで二度《うら》を返さずにおくことが出来なくなる。後朝《きぬ/″\》のわかれにも何《なん》となく帰しともない様子があって、
花「折角斯うして来て下すったのに生憎立てこんでいてねえ、何うも済まないんです、此の儘帰すもまことに気がかりでならないけれど、無理に引きとめておいてはお家《うち》の首尾もありましょうし、またね、あの女《こ》にも申し訳がありませんから、私は我慢して辛抱しますが、お前さんはこれに懲々《こり/\》してもう二度と再び来ては下さるまいね、ですが可愛そうだと思ったら何うかお顔だけでも」
と言さして後《あと》はいわず、嫣然《にっこり》笑いました花里の素振は何うも不思議でございます。伊之吉も何《なん》となく別れて帰るが辛くなりましたが、左様《そう》かといって初会で居続けするも余《あんま》り二本棒と笑わるゝが辛く、また一つには大芳夫婦への手前もありますから、その朝は後《うしろ》がみを引かれる心地いたして、思い切って支度をするうちに、連《つれ》のものも、さア帰ろうと促しますので、
伊「花魁、とんだ御厄介になりました、明日《あす》の晩あたりまたお邪魔にまいりましょう、来てもいゝでしょうかね、ハヽヽヽヽ」
花「本当《ほんと》ですか、本当に明日《あした》来て下さいますか、屹度ですよ、屹度まってますからね」
花里に逢ってから伊之吉の様子が何うも変だ、何《なん》となくそわ/\いたして茫然《ぼんやり》して居ります。お職人衆というものは何事でも綺麗さっぱりいたしたもので、思ったことを腹へ蔵《しま》っておくなんかてえことは出来ません。お名にお差合《さしあい》があったら御免を頂きますが、
八「オイ熊ア、手前《てめえ》大層景気がいゝな、始終《しょっちゅう》出かけるじゃアねえか」
熊「フヽム左様《そう》よ、彼女《やつ》が是《ぜ》ッ非《ぴ》来てくれと吐《ぬ》かしアがッてよ、己《おい》らが面を見せなけりゃア店も引くてえんだ、本ものだぜ、鯱鉾《しゃちほこ》だちしたって手前達《てめえたち》に真似は出来ねえや、ヘン何《ど》んなもんだい」
八「笑かせアがらア、若大将《わかてえしょう》に胡麻すりアがって脊負《おんぶ》のくせに、割前《わりめえ》が出ねえと思って戯《ふざ》けアがると向う臑《ずね》ぶっ挫《くだ》かれねえ用心しやアがれ」
熊「ヘン嫉《そね》め、おたんちん[#「おたんちん」に傍点]、だがな八公、若大将にゃア気持が悪くなるてえことよ、阿魔|奴《め》でれ/″\しアがって、から埓口《らちくち》アねえ」
八「阿魔アッて品川の奴《やつ》か」
熊「そうよ、玉和国の花里てえ素敵もねえ代物《しろもの》よ、夏の牡丹餅《もだもち》と来ていアがるから小癪《こじゃく》に障《さわ》らア、な一晩行って見な、若大将の※[#「※」は「「疑」のへんの部分+「欠」」、第3水準1−86−31、502−4]待《もて》かたてえものはねえぜ、ところでよ、此方《こっち》の阿魔と来たら三日月様かなんかで、刻莨《きざみ》の三銭がとこ煙《けむ》よ、今度ア行《ゆ》くにゃア二つと燐寸《まち》まで買ってかねえじゃア追付《おっつ》かねえ、これで割前《わりめえ》勘定だった日にゃア目も当てられねえてえことよ」
八「風吹《かざふ》き烏《がらす》の貧《びん》つくで女の子に可愛がらりょうとア押《おし》が強《つえ》えや、この沢庵《たくあん》野郎」
熊「こん畜生《ちきしょう》ッ」
なんかと伊之吉の事から朋友《ともだち》喧嘩が起《おこ》るというようなさわぎ。伊之吉も凝《こ》って品川通いを始めますると、花里の方でも頻《しき》りと呼ぶ。呼ばれますから参る。まいりますからます/\深くなるという次第で、伊之吉が来ると岡焼半分に外の女郎が花里にからかいます。トントン/\と登《あが》るをすが籬《がき》のうちから見て、あゝ来て呉れたなと嬉しく飛立つようですが、他の張店《はりみせ》している娼妓の手前もありますので、花里は知らぬ顔していても眼の早い朋輩が疾《と》ッくに見附けていますから堪りません。
娼「花里さん来たよ、早く側へ往っておあげよ、そんなにシラを切《きら》なくッてもいゝわ、モウ気は部屋へ行ってるんだよ、呆れたもんだねえ、花里さんの抜殻《ぬけがら》さんや、オイ/\」
左右から突《つッ》ついたりなにかいたします。左様《そう》されるとされるほど嬉しいもので、つッと起《た》ちまして裲襠《しかけ》の褄《つま》をとるところを、後《うしろ》から臀《いしき》をたゝきます。
花「あら酷《ひど》いことよ、宵店からお尻をたゝいてさ」
と持ったる煙管を振り上げます。と元よりたゝかぬとは知っていますが仕打は大仰《おおぎょう》なもので、
娼「アヽあやまった/\、親切にお咀咒《まじない》をしてあげて怒られちゃア堪らないねえ、今夜は外にお客がなく伊之さんとねえ」
花「御親切さま、そんなのじゃありませんよ」
娼「うそばかり吐《つ》いてるよ、毎日|惚《のろ》けているくせに今夜に限ってさ」
花「そんなことア情人《いろ》のうちさ、女房《にょうぼ》となれば面白くなくってよ、心配でならないわ、ホヽヽヽ」
娼「おや、花里さんにも呆れッちまアねえ、素惚気《すのろけ》じゃア堪弁《かんべん》が出来ぬからね」
花「ハアいゝとも、何《なん》でも御馳走するわ」
と双方とも丸でからッきし夢中で居りますると、茲《こゝ》に一つの難儀がおこります条《くだり》は一寸《ちょっ》と一服いたして申し上げましょう。
七
えゝー段々と進んでまいりました離魂病のお噺《はなし》で、当席にうかゞいまする処は花里が勤めの身をもって情人伊之吉に情を立てるという条《くだり》。日毎《ひごと》夜毎《よごと》に代る枕に仇浪は寄せますが、さて心の底まで許すお客は余《あん》まりないものだそうでござります。無粋《ぶすい》な私《わたくし》どもには些《ちっ》とも分りませんが、或《ある》大通《だいつう》のお客様から伺ったところでは浮気稼業をいたして居《お》る者は却《かえ》って浮気でないと仰しゃいます。成程惚れたの腫れたのといやらしき真似をいたすのが商売でげすから、余所目《よそめ》には大層もない浮気ものらしく見えましても、これが日々《にち/\》の勤めとなっては大口きいてパッ/\と致すも稼業に馴れると申すものでござりましょう。其の代り心底《しんそこ》からこの人と見込んで惚れて仕舞うと、なか/\情合は深い、素人衆の一寸《ちょい》ぼれして水でも指《さゝ》れると移り気《ぎ》がするのと訳がちがうそうで、恋の真実《まこと》は苦労人にあるとか申してございますのも其処等《そこら》を研究したものでありましょうか。花里花魁は何うした縁でございますか、あの明烏《あけがらす》の文句の通り彼《か》の人に逢うた初手から可愛さが身にしみ/″\と惚れぬいて解けて悔しき鬢《びん》の髪などと、申すような逆上《のぼ》せ方でげす。伊之吉とて同じ思いで三日にあげず通っている。すると茲《こゝ》に一つの難儀が持ちあがりました。と申すは花里を身請しようというお客が付いたんで、全体なら喜んで二つ返事をする筈であるが、そこが何うもそうすることが出来ない。伊之吉という可愛い情人《おとこ》があって、写真まで取かわせてある、その写真は延喜棚《えんぎだな》にかざって顔を見ていぬときは、何事をおいても時分時になると屹度《きっと》蔭膳《かげぜん》をすえ、自分の商売繁昌よりは情人の無事|息才《そくさい》で災難をのがれますようにと祈っているほどで、泥水から足をあらって素人になるを些《ちっ》とも嬉しく思いません。身請ばなしが始まりましてから花里は欝《ふさ》ぎ切って元気がない、只だ伊之吉が来ると何かひそ/\話をするばかり、それも廊下の跫音《あしおと》にも気をおいて居ます。その身請|為《し》ようという客は、欧米を航海して無事に此のごろ帰朝されました、軍艦|芳野《よしの》の乗組員で少しは巾のきくお方、お名前は判然と申し上げるも憚《はゞか》りますから、仮に海上渡《うながみわたる》と申しあげて置きます、此のお方がまだ芳野へお乗《のり》こみにならぬ前、磐城《いわき》と申す軍艦にお在《いで》あそばし品川に碇泊《ていはく》なされまする折、和国楼で一夜の愉快を尽《つく》されましたときに出たのが花里で、品川では軍艦《ふね》の方が大のお花客《とくい》でげすから、花里もその頃はまだ出たてゞはございますし、人々から注意をうけて疎《おろそ》かならぬ※[#「※」は「「疑」のへんの部分+欠」、第3水準1−86−31、505−10]待《もてなし》をいたしたので、海上も始終《しょっちゅう》通って居《お》られましたが、その後《ご》芳野へお移りになって外国航海と相成りしに後髪《うしろがみ》をひかれる気はいたすものゝ、堂々たる軍人にして一婦人《いっぷじん》の為に肘《ひじ》をひかるゝは同僚の手前も面目なしとあって、綺麗に別盃《べっぱい》をお汲みなされ、後朝《きぬ/″\》のおわかれに、
海「それでは僕は今日四時には出帆《しゅっぱん》して洋航するからね、お前も無事で、身体を大切《だいじ》に稼ぎなさい、これが別れとなるかも知れぬ、併《しか》し無事に航海を了《おわ》って帰朝するときは、お前も何時までも斯うして勤めさせては置かぬからな、当《あて》にはならぬことだがせめては楽しみに待っていてくれ、男子の一言帰朝さえすれば屹度身請してやる」
と言葉残して芳野が吐《は》く一条《ひとすじ》の黒煙《くろけむり》をおき土産に品川を出帆されました。此方《こなた》の花里でございます。元々好いた男というでもなし、たゞ聞ながしに致して居りましたが、海上の方では一旦約束した言葉、反故《ほご》にしては男子の一分《いちぶん》たゝずと、大きに肩をお入れ遊ばして、芳野艦が恙《つゝが》なく帰朝し、先ず横須賀湾に碇泊《ていはく》になりますと直ぐ休暇をとって品川へお繰出しとなり、和国楼へおいでになって、身請の下談《したばな》しが始まりましたんで、花里は恟《びっく》りいたして一度二度は体《てい》よく瞞《ごま》かしておき、斯うなっては最《も》う振ってふって振りぬいて、先から愛憎《あいそ》をつかさせるより手段《てだて》はないと、それからというものお座敷へは出るが腹が痛むの頭痛がするのと、我儘ばかり云っても海上は身請まで為《し》ようという熱心でございますから、花里が嫌《いや》でふるとは思われませんで、これも我には心易《こゝろやす》だての我儘と自惚《うぬぼれ》が嵩《こう》じていましたから、情人《おとこ》の為に嫌われると気の注《つ》きませんで持ったもの。先ず一心に凝《こ》っていらっしゃるときは誰方《どなた》でも斯ういう塩梅なものでございましょう。いやがッて居ればその客が余計に来るもので、海上は頻《しき》りと登楼いたし、花里には延《のべ》たらに昼夜の揚代《ぎょく》がついておりますから、座敷へ入れないことは出来ぬ、まるで我《わが》部屋は貸し切りにしたような始末で、まことに都合がわるい。伊之吉が来ても何時も名代部屋で帰して仕舞わねばならぬ。訳は知っている、無理な事は云わないが、さて心の中《うち》では面白くないもので。偶《たま》には訝《おつ》に癪《しゃく》ることがあるを花里は酷《ひど》く辛く思って欝《ふさ》ぐ上にも猶ふさぐ。左様《そう》されると元々自分に真実つくしている女の心配するんですから、気の毒になって機嫌の一つも取ってやるようになる。平常《ふだん》ならそれなりに嫣然《にっこ
前へ
次へ
全16ページ中11ページ目
小説の先頭へ
文字数選び直し
三遊亭 円朝 の一覧に戻る
作家の選択に戻る
◆作家・作品検索◆
トップページ
登録
ご利用方法
ログイン
携帯用掲示板レンタル
携帯キャッシング