り》して他愛なくなるんですが、此の頃は優しくされるにつけて一層悲しさが増してまいり、溜息ついて苦労するのが伊之吉の身にも犇々《ひし/\》と堪《こた》えます。さア左様なるといよ/\情は濃くなって何うにも斯うにも仕ようがなくなる。今夜も伊之吉が来たが、例の通り座敷は塞《ふさ》げられている。尤《もっと》もまだ海上は来ていないが、晩には屹度来るからって約束して行ったから座敷は明けておかないじゃアすまぬ。
花「ねえ、伊之さん、私ゃ、何うしたら宜かろう、本当《ほんと》に困っちまアわ」
伊「いゝじゃねえか、海上さんてえのは海軍の少尉だって」
花「まだ少尉にゃア成らないのさ、候補生とやらで航海して来たんだから、今度少尉になるんだとさ」
伊「それじゃア少尉もおなじことよ、お前《めえ》も欲のねえ女じゃねえか、ハイと云って請出《うけだ》されて見ねえな、立派な奥様と言われてよ、小女ぐれえ使って楽にしていかれるに」
花「またそんな事を云って、私に心配させて笑っているのかい、何うしてお前さんは情がないのだろう、私が真身《しんみ》になって相談すれば茶かして仕舞って」
伊「ナニ茶かすんじゃアねえが、其の方がお前《めえ》の為だろうと思ってよ」
花「なんかというと為だ/\と瞞《ごま》かして、お前さんが女房にしてやると云ったのは、ありゃ私をだましたんだね、もういゝわ、そんな水臭い」
とツンと致しますが、眼には早や涙ぐんで居りますから、伊之吉も黙ってはいられない。
伊「これさ、また怒《おこ》るのか、己《おい》らが言ったことが気にさわったら堪忍しなせえ、何も悪気でいったことじゃアねえんだ、己らだッて斯様《こんな》わけになってるお前《めえ》を海上に渡して仕舞うのはいゝ心持じゃねえが、これも時節だ、仕方がねえというものよ」
花「それじゃアお前さんは何うあっても切れるてえのだね」
伊「切れたくアねえが、切角《せっかく》お前《めえ》が身儘になるのを己らが為に身請をうんと云わねえじゃア、お部屋へ済まなかろうじゃねえか己らが、お前を身請するだけの力がありゃア、一も二もねえ、海上の鼻をあかしてひけらかして見せるが」
とホッと溜息をつきまするも全く花里の身を思ってくれるからの真実でございます。斯うシンミリとした話になって参ると猶さらに悲しくなるもので、花里ももう堪らなくなりましたんで、伊之吉の膝にワッと泣き伏しております。此方《こちら》もたゞ腕をくんで考えるばかり、智慧どころか中々鼻血も出そうにないので、只《た》だハア/\と申して居《お》る。伊之吉は男だけに、
伊「コウ、泣いたって仕方がねえってことよ、今夜すぐ身うけするってえんじゃアあるまいし、一寸《いっすん》のびれば尋《ひろ》ッてえこともあるんだ、左様《そう》くよ/\心配《しんぺえ》して身体でも悪くしちゃア詰らねえからなア、まさか間違ったら其の時にまた何《なん》とでも仕ようがあらアな、え、何うするって、何うでも身請されることは否《いや》だ、己《おい》らの面《つら》を潰すようなことをしては済まねえって、解ったよ」
と元気は付けて居りますものゝ、花里の心が不愍《ふびん》でならないが、何分にも手の付けようがありません。それも自分が大芳棟梁の実子であったなら、又打明けて相談する場合もあるがと思い、伊之吉も沈んでいる。励まされて花里は顔をあげましたが、胸につかえて居ることがあるんで浮々《うき/\》は出来ません、両人《ふたり》とも無言で、ジッと顔|見合《みあわ》しておりますと、廊下にバタ/\と草履の音がいたした。
新「花里さんの花魁え、花里さんえ」
と呼ばれますから、てっきり海上が来たのだなと、ぞくりとして総毛だちまするが、返事をしない訳にはいかないので、
花「あい」
新「おや花魁、此処《こゝ》にいたのですか、人がわるいよ草履までかくして、それも仕方がないわね、伊之さんが来てるんだもの、ホヽヽヽヽ、伊之さんには済まないがね花魁、何うかちょいと顔を出して来ておくんなさいよ、お部屋へ知れると喧《やか》ましくって私らまでが叱られなくっちゃアならないからね」
花「ハア往《い》きますよ、いま直ぐ、また来たのあん畜生《ちきしょう》が」
伊「身請でも為《し》ようてえ大事なお客様だ、早く往ってきな、畜生なんッて冥利《みょうり》が悪かろうぜ、ねえはアちゃん左様《そう》じゃねえか」
新「伊之さん、そんな当こすりを云うもんじゃありませんよ、花魁もこの事に付いては何様《どんな》に心配しているか知れないんでほんとに可愛そうだわ」
花「はアちゃんほんとにこの人の人情のないのには」
新「花魁、そう心配することはありませんわ、伊之さんだッて、ねえ」
と新造は双方を慰めて出てまいります。花里は猶往きそうにもしないから、
伊「早く往って来ねえな、いよ/\という時になりゃア何うともなるわな」
花「あゝ仕方がないね、まさか間違やア私ゃ死ぬより法は付かないと思っているのよ」
伊「ハヽア、能く死ぬ/\というな、死なねばならねえ場合《ばえゝ》にゃア一人は殺さねえよ」
花「本当《ほんと》、嘘じゃアあるまいね」
そこは稼業でございますから、花里も嫌だと思っていましたって、まさか脹《ふく》れッ面もしていられない。座敷へ這入りますと、
花「海上さん何うも済みません、今朝から何処《どこ》で浮気してました、何《なん》ですね、そんな耄《とぼ》けた顔をしてさ、お金《きん》どん一寸《ちょい》と御覧よ、ホヽヽヽヽ」
と新造の方をふり向きますから、
新「あら、花魁お可愛そうにねえ海上さん、そんなことアありゃしませんね、花魁の嫉妬《ちん/\》も余《あん》まり手放しすぎるわ」
花「お金どんは駄目だよ、海上さんに惚れてるもんだから肩を持つのだもの」
海「ハヽヽヽヽ何を言ってるんだ、僕はな今朝こゝを出ると青山の長官の家《とこ》へ参り、それから久しゅう行《ゆ》かんによって上野浅草附近を散歩して」
花「それから吉原《なか》へ行ったんでしょう」
海「イヤ/\決して参らん、花魁さえ諾《うん》といって呉れゝば、今夜にでも身請してすぐ宿《やど》の妻にする恋人があるんだもの、何うして外の色香に気がうつるもんか、ねえお金どん、左様《そう》じゃないか、ハヽヽヽヽ」
新「海上さんはお世辞ものですよ、その口で甘《うま》く花魁を撫でこみ、血道をあげさせたんですね、ほんとに軍艦《ふね》の方は油断がならないわ」
花「ほんとにお金どんの云う通りだよ、海上さんは口先きばかりで殺し文句をならべ、私見たいな馬鹿が正直にうけて嬉しがるのを、ねえ、蔭で見ておいでなさったら嘸《さぞ》面白いでしょうね、だけれどそんな罪を作っては良くはありませんよ、ホヽヽヽヽ」
海「僕はお世辞なんかを云うものでない、航海|前《ぜん》に約束したことがあるから、帰朝すると直ぐお前のとこへ斯うして来ておるじゃないか、僕が約束通り身請を為《し》ようといえば、何《なん》の斯《か》のとお前の方で引《ひっ》ぱっているのア、何うも変だぜ」
花「あらまた、あんな厭味《いやみ》ッたらしいことを言ってるよ、この人は、まアお酒でもおあがりなさいな」
と頻りに酌をいたしまするは、酔わして寐《ね》かそうと思うからでげすが、海上も花里の挨拶が※[#「※」は、「煮」の旧字体の「よってん」にかえて「火」、第3水準1−87−52、512−2]《に》えきりませんから、今夜は是非とも承知させて身請をしよう、大袈裟に身請しては余計な散り銭も出ることでげすから、成るべくは親元身請にいたし、幾分でもそこのところを安くと考えていらっしゃるんですから、中々お酒も例《いつも》のように召あがらない。新造が傍に居りますときは左様《そう》でもありませんが、差向いになると身請の相談で、ひそ/\と囁《さゝや》いているのは誠に親密らしい。斯うなってはお座敷が長く容易に引けませんので、花里は気が気ではありません、海上を寐かせておいて直ぐ伊之吉の名代《みょうだい》へ参ろうとぞんじても、これでは果しがつかないから、
花「ねえ海上さん、こんな相談をするには緩《ゆっ》くりしなけりゃア落付かないから、あとで」
海「ウムそれもいゝが、何をいうにもお前が全盛な花魁だから、中々ゆる/\話してることが出来ないじゃないか、少し話しかけると廻しに出ていくしさ、おばさん[#「おばさん」に傍点]が迎いに来るかとおもえば、また拍子《とき》で出られるしよ」
花「そりゃ勤めの身だから仕方がないわ、私がいくら貴方の傍にばかり居たくッたって、お部屋で喧《やかま》しいから堪忍して下さいよ、本当《ほんと》にそれを言われるといかにも不実でもするようで済まないが、こんなものでも女房にしてやろうというお思召《ぼしめ》しがあるんだからねえ、私だッて何様《どんな》に嬉しいか知れやしませんわ、あなたが浮気ッぽいからそれが今からの取越苦労になって、末が案じられるんでねえ、海上さんとっくりお前さんの心をきいた上でなくッちゃア」
とじろりと見ますれば、お座なりで言われているとは存じませぬ海上渡さん、熱心に花里の言葉をきいていらッしたが、道理《もっとも》とお思召したやら、うなずいてお出《いで》になるはしめたと、
花「海上さん、まだお酒をめし上りますか、もういゝでしょう、折角話を為《し》ようと思うころにグウ/\寐られて仕舞っちゃア、ホヽヽヽヽ」
海「ハヽヽヽヽ何うして寐られるもんか、床番させられても起きとるわ」
花「それじゃアお引けにしましょうね」
ポン/\と手をならしますと、新造がかけて参り、
新「何うもすみません」
花「お金どんお引けになりますから、海上さん便所《はゞかり》に行きませんか」
海「あゝ行ってこようよ」
新造はあとを片付けながら、若い衆《しゅ》に床をとおして展《の》べさせます。客と花魁が参るころにはちゃんとお支度が出来ておると云う寸法。馴れたことゝは申しながら、まことに手際なものでございます。さアねんねという一段に相成り海上はころりと転がりましたが、花里はなか/\容易には寐ません。枕元で煙草の二三服ものみました上、つッと立って今度は自分が便所《はゞかり》にまいる。この間がなか/\永いもので、漸《ようよ》う/\再びまいりましたが、また煙草をのみつゝ。
花「海上さん、すまないがね、今一組あがったから一寸《ちょいと》顔を出してくる間まってゝ下さいよ、ほんとに為《し》ょうがないことねえ」
海「あゝ行って来なとも、情人《いろおとこ》がきたのだろう、早くいって遣るがいゝ、ハヽヽヽ」
花「憎らしいよ海上さんは、そんなに浮々《うわ/\》してるから、先が案じられるッてえのですわ、つめ/\しますよ」
と肩のあたり一捻《ひとつね》りに、
海「あいた、酷《ひど》いな」
花「まってゝ下さいよ」
と言葉をのこして我《わが》部屋を出《いづ》ればホッと息つきましたが、この夜《よ》は到頭|寐転《ねこか》しをくわせられ不平でお帰りになり、其の次の夜《よ》も/\同じような手でうまく逃げられて、何うも身請の相談をまとめることが出来ない。それから致して考えて見ると、花里の言うことゝ行《す》ることゝ些《ちっ》とも合わないから、ハテ訝《おか》しいぞ、口では身請を喜びながら心では嬉しがらぬのだな、情夫でもあるのではないか知らん、左《さ》もなきときは、誰もかゝる稼業を好んでするものはないに、と気が注《つ》きましたから段々様子を探って見ると、伊之吉という情夫のあるので、海上さんも切歯《はがみ》をなされ、えゝ知らざりし彼《かれ》が言葉のみを信じて身請まで為《し》ようとしたは過《あやま》りであった、併《しか》し男子が一旦この女を妻にと見込みながら、情夫があるからと云ってやみ/\手を引くは愚のいたりである、貞操全き婦人というではなし、高が路傍の花、誰《た》れの手にも手折《たお》るに難《かた》からざるものだ、この上の手段《てだて》は彼女《きゃつ》を公然身請して、仮令《たとえ》三日でもよろしい我物《わがもの》にす
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