場《ステーション》の中でうろ/\しております。何方《どっち》へ出たら宿屋があるかそれさえ分らないので、人に聞こうかと幾度《いくたび》か傍へ寄っても何うも聞くことが出来ず、おい/\人は散り汽車の横浜さして行《ゆ》く音も幽《かすか》になったから、思い切って停車場|外《がい》へ出でますると、
勘「オイお嬢さん、其処《そこ》にいなさったか、篦棒《べらぼう》に探がさせなせえした」
と声かけられて又恟りいたし、もう仕方がない、逃げ出して何処《どこ》の家《うち》へでも飛込んで助けて貰おうと決心はしました。何《なん》にしても夜が更けているんだから閉めてる家ばかり、仕方がないと駈け出しますると、勘太は忽《たちま》ち追いすがり、緊《しっか》り袂《たもと》を押えて、
勘「何《なん》だな、逃げようッて逃げられるものか、アハヽヽヽ」
杖とも柱ともたのむ男にはぐれましたお若さん、気も逆上《のぼ》せてうろ/\して居ります処を勘太につけられ、ヤッと虎口《ここう》をのがれたと思ってるに停車場《ステーション》へつくと直ぐ、こゝまでも執念ぶかく尾《つ》けて参り、逃げようと云ったッて逃さぬやらぬと、袂をおさえられましたんで、モウ絶体絶命の場合でげすから、アレーという声をたて、猶逃げられるだけはと、掴まれました袂をはらって駈出します。人間が一生懸命になるというは怖しいもので、重いもの一つ持ったことのないお若、もとより力量《ちから》のあろう筈はございませんが、恐いと申す一心でドーンと突いた力は凄《すさま》じい、勘太は、
勘「アいたゝゝゝゝ」
と云って肋《ひばら》をかゝえ、ドッサリ倒れました。お若はそんなことには眼はとまりません、夢中でかけ出して一町ほども逃げ、思わず往来の人に突当りましたが、精根《せいこん》がつかれて居るから堪らない、今度はばったり自分が倒れた。驚きましたは突当られたもので、
○「エ、なんだ、慌てるにも程があるもんでございますよ、私《わし》へぶっ付《つか》って、ハア、提灯《ちょうちん》もなにも消されて仕舞った」
と呟きながら夜道を歩く人だけに用意はよく、袂をさぐりましてマッチを取り出し、再び提灯を点《とぼ》して四辺《あたり》を透《すか》し見ますれば、若い婦人《おんな》が倒れているので恟りいたし、さては今突当ったはこの女か、よく/\急ぐことがあって気が急《せ》いていなされたのであろう、可愛そうにと側によって介抱するが、気絶しているからいよ/\驚きまして、持合す薬を与えなどいたすうち、ようやく蘇生しました。
○「ヤレ/\、お女中さんお気がつきましたか、まア可《よ》かった」
若「はい、誰方《どなた》か存じませぬが、有難うございます」
○「ハヽア気をしっかりさっしゃりまし、見ればこゝらあたりのお方じゃございましねえ御様子、何処《どこ》のお方でござえますえ」
若「はい、東京のものですが、訳あって此の神奈川へ参る途《みち》、品川の停車場《ステーション》で同伴《つれ》にはぐれ難儀をしているところへ、悪者に尾《つ》けられまして此処《こゝ》までも跡を追って来て」
○「エ、悪者に尾けられなせえましたと、それはさぞまア御難儀でございましたろう」
と親切に介抱して、段々と素性から何用あって深夜に神奈川へ来たと尋ねてくれるは、もう六十有余にもなる質朴の田舎|爺《おやじ》でげすから、まさか悪気《わるぎ》のあるものとも思われぬので、お若さんも少しは心が落著《おちつ》き、明白《あからさま》に駈落のことこそ申しませぬが、同伴《つれ》というは男で斯う斯うしたものと概略《あらまし》を語りまする。田舎爺も気の毒がりて猶その男の名前まで、根ほり葉ほり尋ねるので今更隠しにくゝなりまして、伊之助のことを明かす。そうすると爺は恟りして、口のうちで伊之助/\と二三遍お題目でも唱えるように云っていたが、何か首肯《うなず》きまして、
爺「伊之助という男は何うやら私《わし》が知ってるものらしい、それと一緒に此処《こゝ》へ御座るというは、こりゃ私の家《とこ》へござらッしゃる客衆かも知れねえ、まア兎も角くも私のとこへ来《き》さっせえまし」
と云われて地獄で仏に逢った気のお若さん、ホッと息をついて、それでは何分ともにと言っている後《うしろ》に、一突き不意を喰《くら》って倒れた悪者の勘太、我と気がついてまだ遠くは往《ゆ》くまい、折角見かけた仕事も玉を逃《にが》しちゃア虻蜂《あぶはち》とらずで汽車賃の出どこがないと、己《おの》が勝手で尾《つ》いて来ていながら直ぐ懐のグレ蛤《はま》を勘定いたし、おっ掛けてまいッたが、今度はお若一人でない、老爺《おやじ》が側にいるのでうっかり手出しがならず、様子をうかゞっておるうちに、何うやらお若を老爺が連れて行《ゆ》きそうだから、ドッコイ左様《そう》うま/\仕事の横取はさせねえと、己《おの》が心にくらべて、
勘「この阿魔|太《ふて》えあまだ、大金を出して抱えて来たものを途中から逃げさせてお堪《たま》り小法師《こぼし》があるものか、オイ爺《とっ》さん、此奴《こいつ》のいう事ア皆《みん》な嘘だ、お前《めえ》を詐《だま》すんだぜ、ハヽヽヽヽ」
と己《おの》が非を飾ってお若を連れ行《ゆ》こうとするので、田舎爺は呆れましたが、男のこえが耳なれておりますから提灯をさしつけ、顔をのぞいて見ると聞覚えのある声こそ道理で、老爺が一人息子の碌でなし、到頭|村内《むらうち》にもいられず今は音信《いんしん》不通になっている勘太でげす。田舎爺は老《おい》の一徹にカッと怒り、
爺「わりゃア勘太だな、まだ身持が直らず他人様《ひとさま》に御迷惑をかけアがるか、お女中さん何も怖《おっか》ねえことアごぜいましねえ、この悪たれは私《わし》が餓鬼」
といううちに早や言葉が潤《うる》んで参ります。親子の情としては然《さ》もあるべきことでございましょう、我子が斯様《こんな》碌でもないことを致し、他人《ひと》を悩めると思いましたら堪りますまい。
爺「さア、これからは己《おれ》が相手になる、この甚兵衞《じんべえ》が相手じゃ」
と敦圉《いきま》きまするので、流石の勘太も親という一字には閉口致しましたか、這々《ほう/\》の体《てい》で逃げて仕舞います。そこで甚兵衞爺さんお若さんを我家へ連れて戻り、婆アどんにも一伍一什《いちぶしじゅう》を斯々《かく/\》と語り、今夜は遅いからまアお休みなさい、明日《あす》にもなれば伊之助を尋ねて参りますからと親切にいたしてくれまする。さて、伊之助でございますが、品川の火事騒ぎでお若にはぐれ、いろ/\と尋ねましたが薩張り知れない。そのうち最終列車はシューコト/\と出て仕舞い、只だ心配に心配をしぬいている。翌朝《よくあさ》になって再び停車場《ステーション》に参り探しましたが知れないので、駅夫などに聞合《きゝあわ》すと、昨夜の仕舞い列車に乗りこんだらしいので、自分も兎に角神奈川へ参って探そうと汽車に乗り、停車場に着いて聞合して見れど、何をいうにも夜更《よふけ》のことで雲を捉《つか》むような探しもの、是非なく甚兵衞の家《うち》へ尋ねて参り、お若さんと再会の条《くだり》に相成るのでございまする。
六
伊之助の神奈川|停車場《ステーション》へ着きましたは、お若さんが此処《こゝ》にまいって甚兵衞爺さんに助けられた翌朝《よくあさ》のことでございますから、なか/\お若の行方を探ることが出来ない、左様《そう》かと申して再び東京へ帰りましたところで、これとても何う探したら分ろうという目的《めあて》が付きませんので、あゝ困ったな、己もこまるがお若さんは嘸《さぞ》難儀をしていなさるだろう、あゝいう方だから一人歩きしたこともないに、方角も知れぬ土地に来てどんなに困るか知れたもんじゃアないから、それにしても不思議だ、何うしてまア神奈川まで一人来なすったろうか知らん、大方己が前の汽車で来ていると思いこんでゞあろうが、あゝ困るな、可愛そうでならないことをした、こんな事なら品川まで出掛けずに、新橋から一緒に乗るだッたにと、いろ/\と悔んでおりましたが、今更|何《なん》といっても仕方がない、一旦甚兵衞爺さんのとこへ落著《おちつ》いて探したら分らぬこともあるまい、お若さんの方でも屹度《きっと》いろ/\に探していなさるに違いないから、と伊之助はよう/\決心いたしましたから、久々で甚兵衞のとこへ尋ねてまいる。村の入口には眼になれた田舎酒屋の看板と申すも訝《おか》しいが、兎に角酒屋の目印となっておりまする杉の葉を丸く束ねたのが出ています。皆様がお名前だけはお馴染になっていらッしゃると申しますと、私《わたくし》どもは近接《じき/\》にお馴染かと仰ゃる方もございましょうが、明治の御代に生きているものがなか/\思いもよらぬことで、今を距《さ》ること四百十八年も前で後土御門《ごつちみかど》帝の御代しろしめすころ、足利七代の将軍|義尚《よしひさ》の時まで世を茶にしてお在《いで》なされた一休が、杉葉たてたる又六《またろく》の門《かど》と仰せられたも酒屋で、杉の葉を丸めて出してある看板だそうにございます。そうして見ると此の目印は余ほど古くからあるものと見えまする。さて序《ついで》でございますから一寸《ちょっと》申しておきますが、一休様は応永《おうえい》元年のお生れで、文明《ぶんめい》十三年の御入寂《ごにゅうじゃく》でいらせられますから、浮世にお在遊ばしたことは丁度八十八年で、これほど悟りをお開きなされたお方は先ずない。仮令《たとえ》ございましたとて俗人が存じておりますは、此の坊さん程お近附《ちかづき》はありませんでげす。その酒屋の隣が甚兵衞の家《うち》でございますから、伊之助はズン/\這入ってまいる。スルと奥の方で若い女の声がして甚兵衞爺さんも婆さんも頻《しき》りに慰さめている様子。ハテ悪いところへ来たわい、誰か客があるのか知らんと思いましたが、引返《ひっかえ》して出て行《ゆ》くも変ですから、
伊「爺やさん、お達者でございますか」
と声をかけますと、甚兵衞は、
爺「婆さんや誰か来たようだぜ、ちょっくら見て来さっしゃい」
というので婆さんは入り口へ出てまいると、伊之助が立って居りますから恟《びっく》りいたし、挨拶もいたさずに、
婆「やア、来さしッた/\、お若さん、伊之助さんが来さッした」
と喜ぶので伊之助もおどろきましたね、婆さんがお若さんと呼びますからは、確《たしか》にお若が此処《こゝ》に来ているにちがいない、と不思議で堪りません。お若は老人夫婦と何うか伊之助を探す手だてをと相談しているところでげすから、飛立つ思いで出てまいり、此処でお互いに無事の顔見て安心いたし、それから甚兵衞の厄介になって暫らく居ますうちに、お若さんのお腹《なか》は段々と脹《ふく》れて来るので、遠走りもすることが出来ぬところから、遊んでもいられません。と云って外《ほか》に何もすることがない。田舎ではございますが追々|開《ひら》けてまいり、三味線などをポツリ/\と咬《かじ》る生意気も出来て来たは丁度幸いと、伊之助は師匠をはじめ、お若は賃仕事などいたし、細々ながら暮している。そのうちにお若は安産いたし、母子《おやこ》とも肥立《ひだち》よく、甚兵衞夫婦は相変らず親切に世話してくれます。お若伊之助は夫婦になって田舎で安楽に暮して居ります。生れた子供も男で伊之助のい[#「い」に黒丸傍点]の字とお若のわ[#「わ」に黒丸傍点]の字を取って岩次《いわじ》と名をつけ、虫気《むしけ》もなくておい/\成長してまいるが、子供ながら誠に孝心が深いので夫婦も大層喜んでいました。これより暫らくは夫婦の上には何事のおはなしもございませんが、末になると全く離魂病の骨子《こっし》をあらわし、また因果塚のよって起《おこ》ることゝ相成るのでございます。こゝに品川の貸座敷に和国楼《わこくろう》と申すのがございまして大層|流行《はや》ります。娼妓も二十人足らず居り、みんな玉が揃っているので、玉和国と、悪口をいう素見《ひやかし》までが誉《ほ》めそ
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