人は持ちますまいと心に定めてこんな姿になってるんだからね」
 勝「こりゃ驚きやした、手放しの惚気《のろけ》てえのア、じゃア何《なん》ですね、お嬢さんは野郎を引ずり込んだッて好《い》いと仰しゃるんでげすね」
 若「あれまア、引摺りこんだなんて、そんな体《てい》の悪いことをお云いでないよ」
 勝「だって左様《そう》じゃげえせんか……、これが伯父さんに知れたら何うなさる御了簡でげすえ、伊之さんお前《めえ》だって左様じゃねえか、いくらお嬢さんが何《なん》と仰しゃるにしろよ、ノメ/\這入《へえ》りこんでそゝのかすてえことはねえ筈」
 と鉾先は伊之助に向きまする。
 伊「鳶頭《かしら》まことに面目ない……、私もお若さんが尼になっていなさりょうとは思いもかけず、此処《こゝ》らをうろつくうちにお嬢さんが伊之さんかというような訳から、段々と様子をきいて見れば私風情に操《みさお》をたてゝ下さるお志が何うも知らぬと申しにくゝ、鳶頭の前だが誠に申訳のない次第」
 勝「なんだッて、エ、お前《めえ》までが一緒になって惚《のろ》けるてえことがあるもんか、コウ伊之さんよく聞きねえ、私《わっち》アお前さん方の為を思って飛《とん》で来たんだ、今日雨降りで丁度仕事がねえから先生のとこへ来てるとよ、書生さんが此処《こゝ》から帰《けえ》って来て、お若さんのとこには泊客《とまりきゃく》があるらしいと云ったを、先生がきいて、若い女のとこへ泊客たア捨ておかれん、己が直ぐ往って実否《じっぴ》を正して来ると支度をするじゃアねえか、私アまさか伊之さんが来ていようとは思わねえけれど、お嬢さんだってまだ若い身そらだ、若《も》しひょっとどんな虫が咬《かじ》りついたか知れねえと思ったからよ、ナニ旦那がいらっしゃるまでもねえ私が見届けて参《めえ》りますから……来て見ればこれだからね実に恟《びっく》りしたじゃねえか、エ、これが若し旦那に来られて見ねえ何様《どんな》騒ぎになるか知れたもんじゃねえ」
 と云れてお若は忽《たちま》ち震いあがりましたが、態《わざ》と落付きはらって、
 若「鳶頭《かしら》後生だから、伊之さんの来ていることはねえ、私が一生のお頼みだから」
 勝「エヽそりゃア宜《よ》うがすがね、困ッちゃうなア、切れろッて云ったって此の様子じゃアとても駄目だ、これが何時《いつ》までも分らずにいりゃア私《わっち》も知らん顔していやすが」
 伊「鳶頭まア左様《そう》云わずと何うかね、今日のとこは見逃しておいておくんなさい、私もまたお嬢さんをお諭《さと》し申して綺麗さっぱり諦らめるようにするからねえ、決してお前さんの面《かお》は潰さないから」
 といろ/\と勝五郎を賺《すか》しこしらえるうちに、切れるような言葉あるをきゝましたお若は、プッと頬をふくらすのを見ましたから、眼付で合図いたし、ヤッと勝五郎を追いかえしますると、
 若「伊之さん何うしょうねえ、この事が伯父さんに知れた日にゃア大変だから」
 伊「さア何うしたら宜かろうか知らん」
 若「いっその事、私をつれて逃げておくれでないか」
 伊「そんな事をしては猶更すまねえから」
 若「あれさ、此様《こんな》ことになってゝ済むのすまぬということがあるものかねえ、私がこんな形《なり》だからお前さん外聞がわるいんで」
 伊「ナニ其様《そんな》ことはないけれど、斯うして来ているのさえ面目ないのだに、其の上また連出しては」
 若「嫌《いや》なんだね、嫌ならいやでいゝよ、お前さんに捨てられちゃア」
 と突然《いきなり》仏壇の引出から剃刀《かみそり》を取出し自害の体に見えます。お芝居などでもよく演《や》るやつでございますが、先《ま》ず初めにお姫さまが金魚の糞《うんこ》ほどぞろ/\腰元をつれ、花道で並び台詞《ぜりふ》がすみ、正面の床かあるは引廻したる幔幕《まんまく》のうちへ這入る、そうすると色奴《いろやっこ》とか申してな、下司《げす》下郎の分際《ぶんざい》で金糸《きんし》の縫いあるぴか/\した衣装で、お供に後《おく》れたという見得で出てまいります、舞台《ぶだい》へ来ても最《も》うお姫様もお供の影もないのでまご/\しているを好《いゝ》寸法に出来てるもので、お姫様が其処《そこ》へたった一人で出懸けてまいり、これ何平とやら雨の降るほどやる文を返事もしないは情《つれ》ないぞや、四辺《あたり》に幸い人はなし、今日こそ色よい返事をなんかんッて……あつかましくもジッと下郎の側へ寄り添い、振袖を肩のところへかけるを合図に、下郎は飛びのき不義はお家の御法度《ごはっと》、とシラ/″\しく言えば、女の身で恥かしいこと言い出して殿御に嫌われては最うこれまで、と懐剣ひきぬき自害の模様になるを、下郎は恟《びっく》りして止めると、そんなら私《わらわ》の望み叶えてたもるか、さアそれは……叶わぬならば此の儘、さア/\/\と糶詰《せりつめ》た後《のち》は男がそれまでに思召すのをなどと申して、いやらしい振になって騒ぎを起しまするが、女の子が男を口説《くどく》秘法は死ぬというが何より覿面《てきめん》でげす。併《しか》し当今の御婦人さま方にはそんな迂遠《まわりどお》いことを遊《あそば》す方は決してございますまい、ナニ惚れたとか腫れたとか思いますと直々《じき/\》に当って御覧なさる。先方《さき》の男が諾《うん》といえば自由結婚だなどと吹聴あそばし、また首《かぶり》をふればナニ此処《こゝ》な青瓢箪野郎、いやアに済していアがる、生意気だよ、勿体なくも私のような茶人があればこそ口説《くどき》もしたのさ、一生のうち終り初物で恟りして戸迷《とまど》いしあがッたんだろう、ざまア見あがれと直ぐ外の男へ口をかけるというように淡泊になって参りました。これははや何うも飛《とん》でもない事を申しまして、本書をお読みなさる御婦人様方には決してそんな蓮ッ葉な、薄情きわまるお方はお一人でもある気遣いはございません。この本を見たこともないと申す阿魔や山の神には兎角そんな族《やから》が往々あって困りますよ、ハヽヽヽ。何うも余事にわたって恐れ入りました。扨《さ》て伊之助でございますが、お若さんが連れて逃げてくれろと申しましたを、義理だてをして捗々《はか/″\》しく相談に乗らないところから、男を諾《うん》といわする奥の手をだし、自害の覚悟を示したのでありますから、伊之助も最《も》う是非がございません。
 伊「えい危ない、何《なん》だってそんな真似を、まアこれをお放しなさいよ、はなしは何うにでもなることだから」
 若「いゝえ、お前さんは私に飽きたから、それで」
 伊「これさ、まアそんな強情をいわずと、あゝ困るなア、あゝまた、危ない/\、逃げろなら逃げもするから、まア刄物はお放しなさい」
 若「それでは屹度《きっと》だね、屹度一緒に逃げておくれだねえ、屹度……屹度」
 伊「あゝよろしい、仕方がない、逃げますとも/\嘘をつくもんですか」
 と漸《ようよ》うお若を宥《なだ》めましたんで、ホッと一息つき、それでは手に手をとって駈落と相談は付けたものゝ、たゞ暗雲《やみくも》に東京《こちら》をつッ走ったとて何処《どこ》へ落著《おちつ》こうという目的《めど》がなくてはなりません、お若と伊之助はいろ/\と相談をしますが、何うも頼みにして参る人がない、ハテ困ったものであるが、誰か親切らしい人はないものかと二人とも無言で頭をなやまして居ります。そうすると伊之助は莞爾《にっこり》いたして、
 伊「いゝ処《とこ》がありますぜ、東京《こちら》から遠くはありませんがね、私《わし》が行って頼んだら情《すげ》なくも断るまいと思うんで、あれなら大丈夫だろう」
 若「そう何処《どこ》なの、お前さんの知ってる家《うち》ならいゝけれど、余《あん》まり近いと直ぐ知れッちまってはねえ、何処、何処なの」
 伊「ナニ知れる気遣いはない……鳶頭だって知ってる筈はなし、伯父さんだって猶さら御存知の気遣いはないとこ、あゝ好《いゝ》とこを思い出した」
 若「お前さんばかり、好とこだ/\と言ってゝ一体どこなんだねえ」
 伊「何処ッてえでもねえが、私《わし》が子供のころに里にやられていた家《うち》で、今じゃア神奈川の在にはいって百姓をしているんさ、まア兎も角もそこに落著いて、それから緩《ゆっく》り相談することに仕ましょうよ」
 若「おや左様《そう》なの、お前さんの里に行ってた家、じゃアその人は余程《よっぽど》のお婆さんになってるだろうね、こんな風をして行くも何《なん》だか極りが悪いけれど、外に頼るものがないんだからねえ」
 伊「ナニさ、心配しなさることはないよ、爺い婆アの二人暮しでいるんだから、私《わし》が頼めば一時《いちじ》は小言をいうかも知れないが、憎いとは思うまいから何うにか世話をしてくれるよ」
 若「そうかねえ、それでは其処《そこ》へ行《ゆ》くことに仕ましょうが、今から直ぐ二人で此処《こゝ》を出ては人目にかゝってよくないがね、何うしょう」
 伊「昼日中《ひるひなか》二人で出てはいけない、今夜の仕舞汽車で間にあうように、そして横浜まで落延びておいて、明朝《あす》一緒に往《ゆ》こう」
 若「あゝ、だけれど先方《さき》で嘸《さ》ぞ恟《びっく》りするだろうね、まアお前さん何《なん》てッて往くつもりなの」
 伊「ハヽヽヽヽ詰らぬ心配したって仕方がないよ、外に何《なん》とも言方《いいかた》がないじゃアないか、矢ッ張り駈落をして来たというより仕様がないのさ」
 若「ホヽヽヽヽ何《なん》だか極りが悪くって」
 と相談は極りましたから、それでは今夜と伊之助は分れて根岸を出てまいります。お若さんは今夜駈落を為《し》ようというんですから、そわ/\して手荷物の支度をしてお在《いで》なさる。すると丁度お昼すぎに伯父の晋齋がぶらりと遣《や》って参ったんで、お若さんはギョッとしました。今朝鳶頭に伊之助の来ているところを見付けられたあとですから、てっきり伯父が私の様子を見に来たにちがいない、鳶頭がまさか明白《あからさま》に伊之さんの来ていたことは言いもせまいとは思いますが、若《も》しひょっと伯父さんに言ったので来たのではないか知らん、何《なん》にしても悪いところへ来たと変な顔をしております。晋齋は朝の様子をきいたのだか聞かぬのだか分りませんが、常にかわらず莞爾《にこ/\》はして居りますが、何うも腹のうちに憂いのあるらしく思われますは、眉のあいだに何《なん》となく雲でもかゝっているように、うるさいという風が見えるので、お若さん一層の心配でたまりませんから、お腹《なか》の中ははら/\としてひっくりかえるようでげす。それを見せてはならぬと十分に注意は為《な》さいまするが、なか/\見せずにおくと申すことは出来ないもので、余ッぽど偉い人でなければ喜怒哀楽を包み隠していることは出来ないそうですから、晋齋も素振の訝《おつ》なのに心はついて居りましたが、がみがみと小言を申したりなんかすると間違いでも仕出来《しでか》さんに限らないと、物に馴れておいでなさるお方でげすから、態《わざ》と言葉づかいも和《やわ》らかに、
 晋「お若、なんだ片付けものを始めたのか、ハヽヽヽヽ如何《いか》に世捨人になっても女というものは、矢っ張りそんな事をいたしておるか、こんだは大分《だいぶ》頭《つむり》も生えたようだな」
 お若は伯父の底気味わるい言葉にハッと思って胸はおどりましたが、覚《さと》られまいと態と何気なく
 若「昨日《きのう》から剃《す》りましょうと思ってるんですけれど、何《なん》だか風邪気のようですから、本当《ほんと》に汚ならしくなったでしょう」
 晋「感冐《かぜ》をひいたか、そりゃ大切《だいじ》にしないと宜しくないよ、感冐は万病の原《もと》と申すからの」
 若「はい有難うございます」
 晋「今日はの些《ちっ》とお前に相談することがあって来たのだから、まア此処《こゝ》へ来なさい」
 と申されていよ/\心配でなりません。さては勝五郎が喋ったにちがいない、こんなことゝ知ったなら伊之さんと直ぐ駈落をしたもの、まさか伯父さんに言付けはしまいと思
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