さない訳にも参らぬところから、
伊「エー斯うなんですよ、あのお前さんとの一件がばれたんで、鳶頭《かしら》から手切の相談さ、ところで私《わし》もダヾを捏《こ》ねようとア思ったんだが、イヤ/\左様でない、私ら風情で大家《たいけ》の嬢様《じょうさん》と一緒になろうなんかッてえのは間違っている……こりゃア今切れた方が先方様《さきさま》のお為と思ったもんだからね、鳶頭の言うなり次第になって目を眠っていたんでげす、その後《のち》のことで……左様さ二月《ふたつき》も経ってからだッたでしょうよ、鳶頭が慌《あわ》てくさッて飛びこみ、私がお前さんのいなさる根岸へ毎晩忍んで逢いに行《ゆ》くてえじゃないか、あんまり馬鹿々々しいんで鳶頭をおいやらかしてやッたんでげす」
と云われてお若は深く恥いりましたか、俄《にわか》に真赤《まっか》になってさし俯《うつむ》いております。伊之助はそんなことは知りませんから、
伊「ほんとにあの鳶頭のあわてものにも困る……」
と一寸《ちょい》とお若を見ますると変な様子でげすから、伊之助も何《なん》となく白けて見え、手持無沙汰でおりますので、お若さんも漸《ようよ》う気が注《つ》いて、
若「それはそうとして何うして其様《そんな》ことを……」
伊「イヤ何うも面目次第もない、恥をお話し申さないと解らないんで、丁度あの鳶頭が来た翌日《あくるひ》でした、吉原《なか》の彼女《やつ》と駈落《かけおち》と出懸けやしたがね、一年足らず野州《やしゅう》足利《あしかゞ》で潜んでいるうちに嚊《かゝあ》は梅毒がふき出し、それが原因《もと》で到頭お目出度《めでたく》なっちまったんで、何時《いつ》まで田舎に燻《くすぶ》ってたって仕方がねえもんだから、此方《こっち》へ帰りは帰ったものゝ、一日でも食べずに居られねえところから、拠《よんどこ》ろないこの始末、芸が身を助けるほどの不仕合とアよく云う口ですが、今度はつく/″\感心してますよ」
若「それは/\さぞお力落し、御愁傷さまで……」
伊「悔みをいわれちゃ、穴へでも這入《へえ》りてえくれえでげすが、それにしてもお前さんこそ何うして其様《そんな》お姿におなんなすったんですえ」
場数ふんでまいった蓮葉者《はすッぱもの》でございましたなら、我が身の恥辱《はじ》はおし包んで……私《わし》は一旦極めた殿御にお別れ申すからは二度と再び男に見《まみ》えぬ所存で…これこの通り仏に誓う世捨人になりました、伊之さん何うか察して下さいとほろりとさせる処でげすが、其様《そんな》ケレン手管《てくだ》なんどは些《ちっ》ともないお若さんですから、実は斯々云々《かく/\しか/″\》の訳あってと真実《まこと》を話します。伊之助も恟《びっく》り仰天いたして、暫らくの間は口も利きませんでしたが、それも矢っ張り因縁というものでしょうから心配なさることはないと慰さめ、此の日は何事もなく帰りまする。次の日もまたお若さんの家《うち》へ寄って行《ゆ》く、その次の日もまた寄るというようになると、お若さんも元々|厭《いや》な者が来るんでないから其の時刻を待つ、伊之助も屹度《きっと》来る、何時《いつ》何ういう約束をするというでもなく、何方《どちら》から言出すというでもなく、再び焼棒杭《やけぼっくい》に火がつくことゝ相成りましたが、扨《さて》これからは何うなりましょうか、一寸《ちょいと》一服いたし次席でたっぷり申し上げましょう。
四
さて引続き申上げておりまする離魂病のお話で……因果だの応報だのと申すと何《なん》だか天保度のおはなしめいて、当今のお客様に誠に向きが悪いようでげすが、今日《こんにち》だって因果の輪回《りんね》しないという理由《わけ》はないんで、なんかんと申しますると丸で御法談でも致すようで、チーン……南無阿弥陀仏といい度《たく》なり、お話がめいって参ります。と云ってこのお話を開化ぶりに申上げようと思っても中々|左様《そう》はお喋りが出来ません。全体が因果という仏くさいことから組立られて世の中に出たんでげすからね。何も私《わたくし》が好《すき》このんで斯様《かよう》なことを申すんではありません。段々とまア御辛抱遊ばして聴いて御覧《ごろう》じろ、成程と御合点なさるは屹度《きっと》お請合申しまする。エーお若伊之助の二人は悪縁のつきぬところでござりましょうか、再び腐れ縁が結ばりますると人目を隠れては互に逢引をいたす。お若さんの家《うち》は夜分になると伯父の晋齋が偶《たま》さか来るぐらいで、誰も参るものはございません、尤《もっと》も当座は若いお比丘さん独りで嘸《さぞ》お淋しかろうなぞと味なことを申して話しに押掛けて参った経師屋《きょうじや》もないでもなかったが、日が暮れると決して人を入れないので、左ほど執心して百夜通《もゝよがよ》いをするものもなかったんでしょう。只今も申しまする通り夜分になれば伯父の目さえ除《よ》ければ憚《はゞか》るものはないんでげすから、お若さんも伊之助も好事《いゝこと》にして引きいれる、のめずり込むというような訳になって……伊之助は大抵お若さんのとこを塒《ねぐら》にしておりました。始めのうちこそお互いに人に見られまいと注意いたすから、夜が明けはなれると伊之助は飛び出すので、近所でも知らなかったが、左様《そう》都合のいゝことばかりはないものでな。惚《ほれ》た同士が二人きりで外《ほか》に誰もいないのでげすから、偶《たま》には痴話や口説《くぜつ》で夜更しをして思わぬ朝寝もしましょうし、また雨なんかゞ降るときはまだ夜が明けないと存じて、
伊「もうおきる時分だろう、雨戸のすき間があかるくなって来た」
若「ナニまだ早いよ、大丈夫だから……お月夜であかるいんだわ、今から帰らなくッてもいゝッてえば、私アねむくって仕様がないじゃないかね、モガ/\おしでないてえば」
とお若が起しませんから、伊之助とて丁度寝心のいゝ時節、飛起きたくはありますまいて。すると……、毎朝照っても降っても欠かさずに屹度《きっと》参る納豆屋の爺さん、
納「納豆ーなっとー……お早うさまで」
若「おや大変おそいよ、納豆やのお爺さんが来るようでは……とんだ寝坊をしたね」
伊「それ御覧な、仕様がないじゃないか、伯父さんのとこから御飯でも持って来る人に見付《みつか》っちゃア大変だ、近所の人は皆《みん》な起きてるだろう……あゝ弱ったね、本当《ほんと》に困っちまった」
若「私だって全く夜が明けないと思ったからだわ、何うするの伊之さん……今日は此家《こゝ》においでな、こんなに雨が降ってるから伯父|様《さん》も来やアしまい、お前だッたって帰るも大変だわ」
伊「そりゃ己《おい》らの方にゃア願ったり叶ったりだけれどな、若《も》し来られた日にゃアそれこそ大変なわけ、一旦手切まで貰って分れたんだから」
若「それも左様《そう》だねえ……中々頑固だから六ヶ敷《むずかし》いことを云うかも知れないから、困ったね」
と云っているうちに伊之助は起あがりて帯を〆《し》めておりますると、表をトン/\/\と叩くものがございますんで、二人は恟《びっく》りいたして、お若さんは手早く床をあげ、伊之助を戸棚へ隠し、やっと心を落付け、表の戸をたゝくを聞えぬ振して態《わざ》と縁側の戸をガラ/\明けております。表では頻《しき》りにトン/\/\/\と叩いて、
吉「オイお若さん何うしたんだい、こんな寝坊することがあるもんか、早く開けて下さいよ」
若「おや吉澤《よしざわ》さんですか……何うも御苦労でしたことねえ、今朝はとんだ寝坊をしましてねえ……大層おたゝかせ申しましたか、ほんとにすみませんこと」
吉「ハヽア珍らしいですな、あなたがこんなに朝寝をするは……ハヽヽヽ」
例《いつも》の通り飯櫃《おはち》と鍋を置いて帰ったので、まア好《よ》かったと胸なで下《おろ》しまして、それから伊之助も戸棚より這出して参り、直ぐに帰ろうというを、お若は丁度あったかい御飯が来たとこだからと、無理に止めまして少し冷めた味噌汁《おみおつけ》をあっため、差向いで朝飯《あさはん》を仕舞まする。
若「伊之さんこんなに降って来たから……大丈夫来やしないわ、帰るにしても些《ちっ》と小止《こやみ》になるまで見合《みあわ》してお出《いで》でないとビショ濡になっちまうわ」
伊「まさか此の降りに伯父|様《さん》が見廻りもなさるまいとア思うがね、あんな人ではあるし、今朝来た使いが変だと思やアそう云うだろうから油断はしていられないよ、見付《みつか》って仕舞ってから幾ら悔しがっても取って返しが付かないから」
若「そうねえ」
とは申しますものゝ、ドシ/\雨の降ってる最中に可愛い情夫《おとこ》を出してやるは、何うも人情|仕悪《しにく》いものでございますんで、お若さんは頻りに止めますから、伊之助もそれではと小歇《こやみ》になるまで見合すことにいたし、立膝をおろして煙草を呑もうといたすと、ざア/″\/″\という音が庭でするは、丁度傘をさして人の立《たっ》てゞもいるように思われますんで、疵もつ足の二人は驚きあわて顔見合せましたが、がらりと障子をあけて誰が来たと確めることが出来ません。そうかと申して伊之助が今逃げ出してはます/\疑われる種とおもいますから、うかといたした事をして毛を吹いて疵を求めるも馬鹿々々しいと、只二人ともはら/\と胸を痛めて居りますると、暫くして縁先で咳ばらいをいたすものがある。お若も伊之助も最《も》う堪らなくなりましたから、先《ま》ず伊之助が逃げ出しにかゝるを、
○「二人とも逃げるにゃア及ばねえ」
とがらり障子をあけて這入ってまいったは別人ではございません、そゝっかしやの鳶頭《とびがしら》勝五郎でげすから、ハッと驚きましたが、まだしも伯父の晋齋でないだけが幾らか心に感じ方が少ないと申すようなものではあるが、何《なん》にいたせ二人とも面目ない始末……とんだところへと赤面の体《てい》で差しうつぶいて居ります。勝五郎も驚きましたね、まさか伊之助が此処《こゝ》へ来ていようとは夢にも思いませんから、暫くはじろり/\二人の様子を見ておりましたが、
勝「師匠……いやさ伊之さん、まア何うしたんだ……何うして此処に来ているんだ」
と申して膝を伊之助の方へすゝめますが、何《なん》とも返答をいたす事が出来ないんで……矢ッ張黙ってモジ/\と臀《いしき》ばかりを動かし、まるで猫に紙袋《かんぶくろ》をきせましたように後《あと》ずさりをいたしますんで、勝五郎は弥々《いよ/\》急《せ》きたちまして、
勝「エ、何うしたんだな、お前《めえ》さんがこんな戯《ふざ》けた真似をしちゃア済むめえが、お前さんばかりじゃねえや、私《わっち》が第一《でえいち》お店《たな》に申訳がねえ、手切金までとって立派に別れておきながら……何《なん》てえこったアな、オイ伊之さん何うしたんだ」
と今にも掴《つか》みかゝらんとする権幕でげすから、お若さんも恟《びっく》り、黙っていられません。
若「鳶頭《かしら》、そんなにお云いでないよ、伊之さんが悪いんじゃないから、これというも皆《みん》な私の心からで無理に伊之さんを呼びこんだのだよ、何うした因果か知らないが、何うも伊之さんのことばかりは思い切ることが出来ないんだからね」
勝「ヘエーお嬢さんから、野郎を引ずり込んだと仰しゃるんでげすか」
若「お前さんでも貞婦《ていふ》両夫に見《まみ》えずということがあるは知ってるでしょう、私だって左様《そう》だわ、一旦伊之さんとあんな交情《なか》になったんだもの、世間の義理で切れましょうと云ったって、心《しん》から底から切れるなんかッてえ気は微塵もありゃアしないのさ、ひょんなことがあったからね、これでは伊之さんに邂逅《めぐりあ》っても愛想をつかされるだろうと悲しく思ってるを、伯父さんは些《ちっ》とも察してくれず、お嫁にゆけのなんのというじゃないか、私の良人《おっと》は三千世界に伊之さんより外にないんだものお前、仮令《たとえ》嫌われたって愛想をつかされたって、二人の良
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