いるほどで、江戸中の大工さんで此家《こゝ》へ来ないものはない。そんなに持囃《もてはや》されて居りますが大芳さん少しも高慢な顔をしない。どんな叩き大工が来ても、棟梁株のいゝ人達《てあい》が来てもおんなしように扱っているんで、中には勃然《むっ》とする者もありますが、下廻りのものは自分達を丁寧にしてくれる嬉しさからワイ/\囃しています。この人の女房は、柳橋《やなぎばし》で左褄《ひだりづま》とったおしゅん[#「おしゅん」に傍点]という婀娜物《あだもの》ではあるが、今はすっかり世帯染《しょたいじ》みた小意気な姐御《あねご》で、その上心掛の至極いゝ質《たち》で、弟子や出入《ではい》るものに目をかけますから誰も悪くいうものがない。一家まことに睦《むつま》しく暮していますが、子供というものが一人もないにおしゅんは大層淋しがって居《お》るんで、大芳さんも好児《いゝこ》があったら貰って育てるが宜《い》いと云ってる。或日でござります。大芳棟梁の弟子達が寄って頻《しき》りに勝五郎の噂をしているのを姐御のおしゅんがちらりときいて、鳶頭の勝さんなら此家《こちら》へも来る人、そゝっかしい人ではあるが正直な面白い男、そんな人が肩を入れてる子供なら万更なことはあるまいと思いますので、大芳さんに此の事をはなすと、
大「お前《めえ》が好《い》いと思ったら貰いねえな、何うせ己《おいら》が世話するんじゃねえから」
と云うんで、おしゅんは直ぐ弟子を勝五郎の家《うち》へ迎えにやる。勝五郎は深川へ来て話をきくと雀躍《こおどり》して喜び、伊之吉もまた大芳のとこへ貰われて来ましたが、実に可愛《かあい》らしい好児《いゝこ》でげすから、おしゅんさんは些《ちっ》とも膝を下《おろ》しません。それ乳の粉《こ》だの水飴だのと云って育てゝ居ります。伊之吉もいつか大芳夫婦に馴染んで片言交りにお話しをするようになって、夫婦はいよ/\可愛くなりますが人情でござります。只《た》だ伊之や/\とから最《も》う[#「最う」は底本では「最も」と誤記]気狂《きちがい》のようで、実の親でもなか/\斯うは参らぬもので、伊之吉はまことに僥倖《しあわせ》ものでげす。高根晋齋は勝五郎の世話で両児《ふたり》を漸《ようよ》う片附けましたから、是れよりお若の身を落付けるようにして遣ろうと心配いたして、彼方此方《あっちこっち》へ縁談を頼んでおきますと、江戸は広いとこでげすから、お若が狸の伊之と怪しいことのあったを知らずに、嫁に貰おうと申すものが網の目から手の出る程でございますが、当人のお若は何うあってもお嫁に行《ゆ》くは嫌だと申し、いっかな受けひきません。晋齋もいろ/\勧めて見ますが何うも承知しないんであぐねております。するとお若は世を味気《あじき》なく思いましたやら、房々《ふさ/\》した丈《たけ》の黒髪根元からプッヽリ惜気《おしげ》もなく切って仕舞いました。
三
我身《わがみ》の因果を歎《かこ》ち、黒髪をたち切って、生涯を尼法師で暮す心を示したお若の胸中を察します伯父は、一層に不愍《ふびん》が増して参り、あゝ可愛そうだ、まだ裏若い身であんなにまで恥ているは……あゝこれも因縁ずくだ、前《さき》の世からの約束ごとだから仕方がない、と晋齋もお若のするが儘にさせておきました。その年も何時《いつ》しか暮れて、また来る春に草木《くさき》も萌《も》え出《いだ》しまする弥生《やよい》、世間では上野の花が咲いたの向島が芽ぐんで来たのと徐々《そろ/\》騒がしくなって参りまする。何うもこの花の頃になりますと人間の心が浮いて来るもので、兎角に間違の起る根ざしは春にあるそうでございます。殊に色事の出入《でいり》が夏の始めから秋口にかけて多いのは、矢ッ張り春まいた種が芽をふき葉を出して到頭世間へパッとするのでもござりましょうか。能く気を注《つ》けて御覧遊ばせ。まア左様《そう》した順に参っております。これは私《わたくし》が一箇《いっこ》の考えではござりません、統計学をお遣り遊ばした御仁は熟《よく》知ってお出《いで》なさる事で、何も珍しい説でも何《なん》でもないんでございます、と申すと私も大層学者らしい口吻《くちぶり》でげすが、実は何うもはやお恥かしい訳なんで、みんな御贔屓の旦那方から教えて頂く耳学問、附焼刄でげすから時々|化《ばけ》の皮が剥《は》げてな、とんだ面目玉を踏みつぶすことが御座いまする、ハヽヽヽヽ。扨《さ》て世捨人になったお若さんでげすが、伯父の晋齋に頼みまして西念寺《さいねんじ》の傍《わき》に庵室とでも申すような、膝を容《い》れるばかりな小家《こいえ》を借り、此処《こゝ》へ独りで住んで行いすまして居りまする。尤も伯父の家《うち》は直《じ》き近くでございますから、晋齋も毎日見廻ってくれるし、三食とも運んでくれるので自分で煮炊《にたき》するにも及ばない、唯仏壇に向ってその身の懺悔のみいたして日を送っております。花で人が浮れても、お若は面白いこともなくて毎日勤行を怠らず後世《ごせ》安楽を祈っているので、近所ではお若の尼が殊勝《けなげ》なのを感心して、中にはその美しい顔に野心を抱《いだ》き、あれを還俗《げんぞく》させて島田に結《ゆわ》せたなら何様《どんな》であろう、なんかと碌でもない考えを起すものなどもござりました。丁度お若さんがこの庵《いおり》に籠《こも》る様になった頃より、毎日々々チャンと時間を極《きめ》て廻って来る門付《かどづけ》の物貰いがございまして、衣服《なり》も余り見苦しくはなく、洗いざらし物ではありますが双子《ふたこ》の着物におんなし羽織を引掛《ひっか》け、紺足袋に麻裏草履をはいております、顔は手拭で頬冠《ほゝかぶり》をした上へ編笠をかぶッてますから能くは見えませんが、何《なん》でも美男《いゝおとこ》だという評判が立ちますと、浮気ッぽい女なんかはあつかましくも編笠のうちを覗《のぞ》き、ワイ/\という噂が次第に高くなって参り、顔を見ようというあだじけない心からお鳥目を呉れる婦人が多いので、根岸へ来れば相応に貰いがあるから、それで毎日|此方《こっち》へ遣って参るというような訳になる。物貰とは申しますが、この美男はソッと人の門口に立ってお手元は御面倒さまなどとは云わないんで、お鳥目を貰う道具がござります。それは別に新発明の舶来機械でもなんでもないんで、唯一挺の三味線と咽喉《のど》を資本《もと》の門付という物貰いでございますが、昔は門付と申すとまア新内《しんない》に限ったように云いますし、また新内が一等いゝようでげすが、此の男の謡《うた》って来るものは門付には誠に移りの悪い一中節ですから、裏店《うらだな》小店《こだな》の神さん達が耳を喜ばせることはとても出来ませんが、美男と申すので惣菜《そうざい》のお銭《あし》をはしけて門付に施すという、とんだ不了簡な山の神なんかゞ出来て、井戸端の集会にも門付の噂が出ないことがないくらい。斯ういう不心得な女が多く姦通《まおとこ》なんかという道ならぬことを致すのでございましょう。一中節の門付はそんなことには些《ちっ》とも頓着《とんじゃく》はしませんで、時間を違《ちが》えず毎日廻ってまいり、お若さんの閉籠《とじこも》っている草庵《そうあん》の前に立って三味線弾くこともありますが、或日の事でございました、お若さんが生垣のうちで掃除をして居りますと、件《くだん》の門付は三味線を抱えて例《いつも》の通り遣って参り、不審そうに垣の内をのぞきこんで、頻《しき》りと首をかたげて思案をいたして居りましたが、また伸上って一生懸命に見ています。此方《こちら》のお若はそんな事は少しも知りませんで、セッセと掃除を了《おわ》り、ごみを塵取りに盛りながら、通りの賑《にぎや》かなのに気が注《つ》いてフイト顧盻《みかえ》りますと、此の頃|美男《びなん》と評判のはげしい一中節の門付が我を忘れて見ておりますから、尼さんにこそ成っていますものゝ未だ年も若く、修業の積んだ身というでもありませんから、パッと顔に紅葉《もみじ》を散らし※[#「※」は「つつみがまえ+夕」、第3水準1−14−76、452−5]々《そう/\》庵室に逃げこみました。左様《そう》すると門付も立去ったらしく三味線の音色が遠く聞えるようになりましたんで、お若の尼はドキン/\とうつ動悸《どうき》がやっと鎮まるにつけても、胸に手をおき考えれば考えるほど不思議で堪りません。何うも訝《おか》しいじゃないかあの門付、あんなに私を見ているというは訳がわからない、此方《こちら》の気のせいか知らんが、顔立といい年格好といい伊之助さんに悉皆《そっくり》なんだから、イヤ/\左様《そう》であるまい、あの人があんな門付に出るまで零落《おちぶれ》るということはない筈、あゝ怖《おそろ》しや/\又も狸か狐にだまされた日にゃア、再び伯父様に顔合せることが出来ないというもの、それにしても訝しい、あの時は此方《こっち》で伊之さんの事ばかり思っていて逢度《あいたい》々々とそればかりに気を揉んでいたから、畜生なんかに魅入られたんだけれど、今度はそうでない、私も心に懸らない事はないが、あゝいう事があっては、伊之助さんも愛想をつかしたろうと諦めちまったから[#「諦め〜」は底本では「締め〜」と誤記]、些《ちっ》ともそんな気はないに、今日のあの門付、何う考えて見ても不思議でならない、と悶え苦しんで居りましたが、あゝ左様《そう》だ、仮令《たとえ》どんな者が来ようと身を堅固にしていさえすれば恐いことも怖しいこともない、若《も》し明日《あした》来たら疾《と》くと見てやろう、此方《こちら》からお鳥目でもやる振《ふり》をして、と待っておりましたが、丁度その時刻になりますと、チンツンチヽンという撥《ばち》あたりで三味線の音《ね》が聞え、次第に近く成って参りました。あゝ来たなと思いますから、お若さんはお捻《ひねり》をこしらえ待っております、例の門付は門口にたって三味線は弾いておりますが唄はうたいません、上手な師匠がやっても何うも眠気のさすが一中節でげすから、素人衆……エー旦那方が我れ面白の人困らせ……斯ういうことを申しますと暗《やみ》の夜《よ》がおっかないんでげす。ナニあの野郎生意気をいいアがって、向う脛《ずね》ぶっぱらえなんかと仰しゃるお気早《きばや》な方もございますが、正直に申すとまア左様《そう》言ったようなもので、扨《さ》て門外《おもて》にたちました一中節の門付屋さんでげすが、頻《しき》りに家《うち》の内《なか》をのぞいて居ります。お若もこのようすが如何《いか》にも訝《おか》しいと思うんで障子の破れから覗いております、其の中《うち》門付屋さんは冠《かぶ》ってまする編笠に斯う手をかけまして、グッとあげ、家《うち》を見ますときお若さんは顔をはっきり見ました。すると驚いて障子をがらり開けたんで、門付屋も恟《びっく》りして顔を隠しまする。
若「もしやあなたは伊之助様じゃなくって」
伊「そう仰しゃるはお若さんでげすね、何うしてそんな風におなんなされました」
若「まアお珍らしい、貴方こそ何うしてそんな事を遊ばしまするのでござります」
伊「これには種々《いろ/\》の理由《わけ》があって……今じゃアこんなお恥かしい形《なり》をしていますよ、あなたこそなんだってお比丘《びく》さんにはお成んなさったのでげす」
若「私にもいろんな災難が重なりましてね、到頭斯ういう姿になりましたんですよ、それじゃア私がとんだ目にあった事をまだ御存知ないんですか」
伊「些《ちっ》とも知らないから、実に恟りしましたよ」
若「おやまア左様《そう》ですか、此処《こゝ》には誰もいないんですから遠慮するものはありません、お上《あが》りなさい」
とお若さんは伊之助を奥へ引張りあげました。段々様子をきいて見ると、お若が狸を伊之助と心得て不所存をいたしたことも知らぬようでげす、初めは私に気の毒だと思ってシラを切っているのだろうと思ってましたが、何うも左様でないらしいとこがございますから、お若さんは根どい葉どいを致す、伊之助もきかれて見れば話
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