令《よし》何様《どんな》訳で出来たからってお前の子に違いないものだから、手放して他人《ひと》に遣《や》るは人情として仕悪《しにく》かろう、それは己も能《よ》く察してはいるが……、此の子供等が独り遊びでもするようになって見な、直《す》ぐ世間の人に後指さゝれて何《なん》と云われるだろうか、其の時のお前が心持は何うだろう、お前ばかりじゃないよ、お父様《とっさん》お母様《っかさん》をはじめ縁に繋がるこの己までが世間の口にかゝらんけりゃならんのだ、さア其の苦《くるし》みをするよりは今のうち……な、それにお前とて若い身そら、是なり朽ちて仕舞うにも及ばない、江戸は広いところだから、今度の噂も知らないものが九分九厘あるよ、ナニ決して心配する事はないからね」
 と晋齋がシンミリとした意見に、お若は我身に過《あやま》りのあることですから、何《なん》とも返答することが出来ません。只ジッと差し俯伏《うつむ》いて思案にくれて居ります。伯父の晋齋はお若が挨拶をしないのは不得心であるのか知らんと思われる処から、
 晋「お若、何うだね、得心が行かぬ様子だが、己はお前の身の為また子供等の為を思うから云うんだよ、能く考えて御覧、決して無理を云って困らせようなんかッて云うんじゃないから……」
 若「何うしまして決して其様《そんな》こたア思やしません、そりゃ最《も》う伯父|様《さん》の仰しゃる通り……」
 と云い掛けてほろりと涙をこぼしましたが、晋齋に覚《さと》られまいと思いますので、俄《にわか》に一層下を向きますと、頬のあたりまで半襟に隠れ、襟足の通った真白《まっしろ》な頸筋はずッと表われました。お若の胸中を察し晋齋も不愍《ふびん》には思いますが、ぐず/\に済しておいては為になりませんことですから、眼をパチクリ/\致しながら、少しく膝を進ませました。
 世の中に何が辛いって義理ほど辛いものはないんで、我が身を思い生れた子供のことを心配してくれる伯父の親切を察しては、それでも私は斯うしたいの彼《あゝ》したいのと、勝手な熱を吹くことは出来ませんから、お若も是非がない、義理にせめられて、
 若「何うか伯父|様《さん》の好《よ》いようにして下さいませ、こんなに御苦労かけましたんですから……」
 と申して居るうち潤《うる》み声になって参ります。晋齋もお若が何《なん》というであろうか、若《も》しや恩愛の絆にからまれてダヾを捏《こ》ねはせまいかと心配致し、ジッと顔をながめ挙動《ようす》をうかゞって居りましたが、伯父様のよいようにと思い切った模様ですから、まアよかった得心して呉れて、と胸を撫で、
 晋「あゝそれがいゝよ、己に任しておきな、悪いようにはしないからね、お前が左様《そう》諦めてくれゝば結構な訳というもんで……、実はな、大阪の商人《あきんど》で越前屋佐兵衞《えちぜんやさへえ》さんてえのが、御夫婦連で江戸見物に来ていなさるそうでの、何《なん》でも馬喰町《ばくろちょう》に泊ってると聞いたよ、この方がの最《も》う四十の坂を越えなすったそうだが、まだ子供が一人もないから、何うか好《い》い女の児《こ》があったら貰って帰りたいと探していなさるそうだよ、大阪《あっち》で越佐《えつさ》さんと云っては大した御身代で在《いら》っしゃるんだからね、土地で貰おうと仰《おっし》ゃれば、網の目から手の出るほど呉れ人《て》はあるがの、佐兵衞さんてえのは江戸の生れなんで、越前屋へ養子にへえッた方だから、生れ故郷が恋しいッてえところでの、江戸から子供を貰って帰ろうと仰しゃるんだとさ、それにお内儀《かみ》さんというのも飛んだ気の優しい方だと云うことだから、米もそんなとこへ貰われて行けば僥倖《しあわせ》というもんだろうと思われるし、世話するものがお前もよく知っているあの鳶頭《かしら》だからの、周旋口《なこうどぐち》をきいてお弁茶羅《べんちゃら》で瞞《ごまか》す男でもないよ、勝五郎も随分そゝっかしい事はあの通りだが、今度のことア珍しく念を入れて聞いてきたよ、あゝ、そりゃ間違いはないよ、こんな口は又とないからの、お前さえよくば直ぐ話しをさせて、貰って頂こうと思うんだがね」
 若「はい、伯父様さえよいと思召したら、何うかよいように遊ばして……」
 晋「よし/\、それでは承知だね、ナニ心配することはないよ」
 と晋齋は直ぐ勝五郎を呼びに遣りました。さて鳶頭の勝五郎でございますが、今町内の折れ口から帰って如輪目《じょりんもく》の長火鉢の前にドッカリ胡坐《あぐら》をかき、煙草吸っているところへ、高根のおさんどんが、
 婢「鳶頭お在《いで》ですか、旦那様が急御用があるんだから直ぐ来ておくんなさいッて……」
 勝「何うも御苦労さま、直ぐ参《めえ》りやす、お鍋どんまア好《い》いじゃねえか、お茶でも飲んでいきねえな、敵《かたき》の家《うち》へ来ても口は濡らすもんだわな、そんなに逃げてく事アねえや、己《おい》ら口説《くどき》アしねえからよ」
 女「お鍋さんまアお掛けなさいな、今丁度お煮花《にばな》を入れたとこですから、好いじゃありませんかねえ、お使いが遅いなんかと仰ゃる家《うち》じゃアなしさ、お小言が出りゃア良人《うちのひと》からお詫させまさアね、ホヽヽヽヽ、まア緩《ゆっ》くりお茶でも召上って入《いら》っしゃいってえば、そうですか、未だお使《つかい》がおあんなさるの、それじゃアお止め申しては却って御迷惑、またその中《うち》にお遊びにおいでなさいよ、その時ア御馳走しますからね、左様《さよ》なら何うもおそうそさまで、何うか旦那様へもよろしく、何うも御苦労さまで」
 とお出入先の女中と思えば女房までがチヤホヤ致し、勝五郎は早々支度をしまして根岸へやって参り、高根晋齋の勝手口から小腰をかゞめ、つッと這入ろうとしましたが、突掛草履《つッかけぞうり》でパタ/\と急いで参ったんですから、紺足袋も股引の下の方もカラ真ッ白に塵埃《ほこり》がたかッております。無遠慮《むえんりょ》な男でございますが、この塵埃を見ますとまさかに其の儘にも這入りかねましたと見え、腰にはさんでおります手拭でポン/\とはたき。
 勝「エー、只今はお使を下せえまして」
 婢「鳶頭旦那様がお待ちかねですから、さアお上りなさい、お奥の離座敷《はなれ》に在《いら》っしゃるんですよ」
 とお爨《さん》どんが案内に連れられ、奥へ参りますと、晋齋は四畳半の茶座敷で庭をながめて、勝五郎の参るのを待って入っしゃるところでございますから、
 晋「おゝ鳶頭か、よく早速来てくれたね」
 勝「只今はわざ/\のお使で、直ぐ飛んでめえりやした、ヘイ/\/\、何《なん》か急御用が出来たんでげすか、また伊之の野郎が参《めえ》ったんじゃアげえすめえな」
 晋「ハヽヽヽヽ気の早い男だな、左様《そう》来られて堪るものか、昨日《きのう》お出《いで》のときにお話であった事で、些《ちっ》とお頼み申したいから急に呼びに上げたのだよ」
 勝「ヘイ、じゃ何《なん》ですか、昨日|私《わっち》がお話し仕《し》やした一件……、ヘヽヽヽヽ憚《はゞか》りながら先生、左様《そう》申すと口巾《くちはゞ》ッてえ言草《いいぐさ》でげすが、ごろッちゃらして居アがる野郎の二三人|引摺《ひきず》って来りゃア訳のねえことでさア、宜うごす、明日《あす》アポン/\と打壊《ぶっこわ》しやしょう」
 晋「おい/\お前は何を言ってるんだよ、私《わし》は何処《どこ》も壊してくれなんかッてえ事|言《いい》やしない」
 勝「いけねえや、先生、昨日仰ゃったあの狸の伊之をドーンとお遣《や》んなすったお座敷を毀《こわ》すんでげしょう、あんな事のあったお座敷は居心が良くねえから、ナニ外の仕事は何うでも押ッ付けてえて遣っ付けまさア」
 晋「困るな早呑込みをしては、左様《そう》じゃないのだよ、あの座敷も建直すことは建直すがの、それより先に始末を付けなくてはならないものがあるんだ」
 勝「ヘー、違《ちげ》えましたか、ヘー」
 晋「そら大阪の方で子供を貰おうと仰ゃる方な」
 勝「ウムヽヽヽヽ、違えねえあの一件か、良うがすとも大丈夫《でえじょうぶ》でげす、御心配《ごしんぺえ》なせえますな、ナニ訳アねえや直ぐ」
 晋「まア待ってくんな、其様《そんな》に慌てなくても宜《よ》い」
 おいそれ者の勝五郎が飛出そうとするを引止め、高根の晋齋は懇々《こん/\》と依頼しました。そこで鳶頭も先生様があゝ云って、己《おい》らのようなものにお頼みなさるんだから、早く両児《ふたり》を片付けて上げようと存じまする親切で、直ぐ越佐さんの方へ参りまして斡旋《とりもち》を致すと、先方《さき》でも子供が欲《ほし》いと思ってるところなんでございますから、相談は直ぐに纒《まとま》りまして、お米は越佐の養女に貰われ、夫婦も大層喜び、乳母をかゝえるなど大騒ぎでございます。さてこれで女の方は片付いたがまだ一人いるんで、勝五郎は逢う人ごとに子供はいらねえかと云ってますんで、口の悪い友達なんかは、
 ○「オイ勝ウ、手前《てめえ》な、そんなに子供々々と己達《おれだち》にいうより、好《い》いことがあらア」
 勝「なんだ、誰か貰ってくれるんか……」
 ○「うんにゃア、逆上《のぼせ》ていやがるなア此奴《こいつ》は余っぽど、そんなに荷厄介するならよ、捨《うっち》ゃって仕舞やア一番世話なしだぜ、ハヽヽヽヽ」
 勝「こん畜生《ちきしょう》、手前《てめえ》のような野郎が捨児《すてご》をするんだ、薄情の頭抜《ずぬ》けッてえば」
 ○「勝さん怒《おこ》ったって仕方がねえや、それじゃアお前《めえ》売って歩きねえな、江戸は広《ひれ》えとこだ、買人《かいて》があるかも知れねえ、子供やこども、子供はよろしゅうございッて」
 勝「こいつが又馬鹿を吐《こ》きやがる、最《も》う承知がならねえ、野郎何うするか見アがれッ」
 と拳をふり上げますから、傍《そば》にいるものも笑って見てもいられません。
 △「まア何うしたんだ、勝も余《あん》まり大人気ねえじゃねえか、熊の悪口《わるくち》は知ッてながら、廃《よ》せッてえば、下《くだ》らねえ喧嘩するが外見《みえ》じゃアあるめえ」
 と仲裁をする騒ぎでございます。勝五郎は友達が笑いものになるまでに熱心になって、何うか晋齋の依頼《たのみ》を果そうと心懸けて居りまする。すると深川の森下に大芳《だいよし》と申して、大層巾のきく大工の棟梁がございますが、仲間うちでは芳太郎《よしたろう》と云うものはない。深川の天神様で通っている男で頗《すこぶ》る変人でげす。何事でも芸に秀でて名人上手と云われるものは何うも変人が多いようで、それも決して無理のない訳だろうと思われるんでございます。私《わたくし》どもが浅慮《あさはか》な考えから思って見ますると、早い例《たとえ》が、我々どもでも何か考えごとをして居りますときは、側で他人様《ひとさま》から話を仕掛けられましても精神が外《ほか》へ走《は》せて居りますので、その話が判然《はっきり》聞とれませんと申すようなもの、そこで御挨拶がトンチンカンとなる。そうすると彼奴《あいつ》まだ年も若いに耄碌《もうろく》しやがッたな、若耄碌なんかと仰ゃるような次第でげす。一寸《ちょっと》いたしたことが之《こ》れでございますから、物の上手とか名人とか立てられる人は必ずその技芸に熱心していろ/\の工夫を凝らしているもので、技芸に精神を奪われていますから、他《ほか》の事にはお留守になるがこりゃ当然《あたりまえ》の道理でござりましょうかと存じます。それで物事に茫然《ぼんやり》するように見えるんで、そこで変人様の名も起る訳であろうかと推量もいたされるでげす。大芳棟梁も矢張《やはり》この名人上手の中《うち》に数えらるゝ人ですから、何うも一風流変っておりますが、仕事にかけたら何《ど》んな大工さんが鯱鉾立《しゃちほこだち》して張り合っても叶《かな》いません。今では人呼んで今甚五郎と申す位の腕前でございます。それほどのお人ですから弟子は申すまでもなく多くある。何処《どこ》の棟梁手合でも大芳といえば一|目《もく》も二目もおいて
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