れたんだ、己がお前《めえ》に渡す金を取って使ったろうと吐《ぬか》しやアがった、ヘン、憚《はゞか》りながら己だッて五百両や六百両、他人《ひと》の金子《かね》を預かることもあるが、三文だッて手を着けたことはありゃアしねえ、其様《そん》な事は大嫌《でえきれ》えな人間なんだ、ちょいと行って来らア、少し待って居ねえ」
 また腕車《くるま》を急がせて根岸のはずれまで引返《ひっかえ》して来た。
 勝「ヘイ唯今」
 主人「イヤ、大きに御苦労、何うだ伊之助は居たか」
 勝「エヽ先生は昨夜《ゆうべ》伊之が此方《こちら》へ来たと仰しゃいますが、昨夜じゃアありますめえ」
 主人「ナニ、昨夜|確《たしか》に見たから、今朝貴様の許《とこ》へ人をやったんだ」
 勝「ヘエー、昨夜なら何うしても来る訳がねえので」
 主人「何故《なぜ》」
 勝「何故ったッて、何うも誠に先生の前《めえ》では、些《ちっ》ときまりの悪い話でげすが、実は彼奴《あいつ》を連れて吉原《なか》へ遊びに行ったんでげすから、何うしても此方《こちら》へ来る筈がごぜえませんので」
 主人「ウム、それなれば何故、最初己が尋ねた時に爾《そ》う云わぬのじゃ」
 勝「ヘイ、何うもそれがあわてちまいましたもんだから、誠に何うも面目次第もない訳で」
 主人「吉原《よしわら》へ行ったと云うのか」
 勝「ヘイ」
 主人「宵から行ったか」
 勝「ヘイ」
 主人「それじゃア、まだ貴様|欺《だま》されて居るのじゃ、吉原の引《ひけ》と云うのは十二時であろう」
 勝「左様、一時から二時ぐらいが大引《おおびけ》なんで」
 主人「其の時に貴様を寝こかして置いて、自分は用達《ようたし》に行《ゆ》くとか何《なん》とか云って、スーッと腕車《くるま》に乗って来て夜明まで十分若に逢って帰れるじゃアないか、貴様は伊之助に寝こかしにされたことを知らぬか」
 勝「エ、寝こかし、成程、アン畜生《ちきしょう》」
 主人「吉原と根岸では道程《みちのり》も僅《わずか》だろう」
 勝「左様、何うもあの野郎、太《ふて》え畜生だ、今|直《じき》に腕をおっぺしょって来ます」
 又出かけて来た。
 勝「師匠、在宅《うち》か」
 伊「先刻《さっき》の事は冗談でしたろう」
 勝「ナニ冗談も糞もあるもんか、え、おい、お前《めえ》吉原から根岸まで道程は僅だぜ、何《なん》でえ、白《しら》ばっくれやアがって、人を寝こかしに仕やアがって、行きやアがったんだろう、枕許へ来てお寝《やす》みなせえとか何《なん》とか云やアがって」
 伊「ウフヽヽ寝こかしにも何《なに》にも極りを云って居らっしゃる、昨夜《ゆうべ》は些《ちっ》とも寝やアしないじゃありませんか、あなたが皺枯声《しわがれごえ》で一中節を唸《うな》って、衣洗《きぬあらい》から、童子対面までやった時には、皆《みんな》が欠伸《あくび》をしましたよ、本当に可愛《かあい》そうに、酷《ひど》いじゃアありませぬか」
 勝「ウム成程、寝ねえナ」
 伊「それから夜が明けると朝湯に這入って腕車《くるま》で宅《たく》へ帰る間もなくお前さんが来たんですよ」
 勝「成程、何を云やアがるんだ、あん畜生《ちきしょう》、ま師匠、堪忍して呉んな、己《おら》ア一寸《ちょっと》行って来《く》らア」
 又慌てゝやって来た。
 勝「ヘイ先生行って来ました」
 主人「何うした」
 勝「何うにも斯うにも、何うあっても昨夜《ゆうべ》は来《こ》ねえてんです、彼奴《あいつ》も私《わっし》も昨夜は些《ちっ》とも寝ねえんですもの、ガラリ夜が明ける、家《うち》へ帰《けえ》るとお人だから、直《すぐ》に来やしたんで」
 主人「エー、徹夜をした、ウヽム、私《わし》も老眼ゆえ見損いと云うこともあり、又世間には肖《に》た者もないと限らねえ、見違いかも知れぬから、今夜貴様私の許《とこ》へ泊って、若に内証《ないしょ》で、様子を見て呉れぬか」
 勝「じゃアそう為《し》ましょう」
 と其の夜は根岸の家《うち》へ泊込み、酒肴《さけさかな》で御馳走になり大酩酊《おおめいてい》をいたして褥《とこ》に就くが早いかグウクウと高鼾《たかいびき》で寝込んで了《しま》いました。夜《よ》は深々《しん/\》と更渡《ふけわた》り、八ツの鐘がボーンと響く途端に、主人《あるじ》が勝五郎を揺起《ゆりおこ》しました。
 主人「オイ、勝五郎/\」
 勝「ヘイ、ハアー、ヘイ/\、アー、お早う」
 主人「まだ夜半《よなか》だヨ、サ此方《こっち》へ来なさい」
 と廊下づたいに参り、襖《ふすま》の建附《たてつけ》へ小柄《こづか》を入れて、ギュッと逆に捻《ねじ》ると、建具屋さんが上手であったものと見えて、すうと開《あ》いた。
 主人「サあれだ」
 勝「ヘイ」
 と睡《ねむ》い目をこすりながら勝五郎は覗いて見ますと、火鉢を中に差向に坐って居るは伊之助に相違ないから、
 勝「アヽ何うも誠に済みませぬ、慥《たしか》に伊之の野郎に違《ちげ》えごぜえませぬ」
 主人「それ見ろ、然《しか》るに何《なん》で昨夜《ゆうべ》は来る筈がないと申した」
 勝「イエ、昨夜は何うしても来る訳がごぜえませんので」
 主人「今夜のは確《たしか》に伊之助に相違ないナ」
 勝「ヘイ、伊之の野郎で」
 主人「それが間違うと大事《おおごと》になるぞよ」
 勝「イエ、何様《どん》な事があっても、よ宜しゅうごぜえます」
 主人「ウム宜《よ》し」
 ソッと抜足《ぬきあし》をして自分の居間へ戻り、六連発銃を持来《もちきた》り、襖の間から斯《こ》う狙いを附けたから勝五郎は恟《びっく》りして、
 勝「まゝ先生乱暴な事をなすっちゃアいけませぬ、伊之の野郎は打殺《ぶちころ》しても構やアしませぬが、もしもお嬢さんにお怪我でもありましては済みませぬから」
 主人「イヽヤ気遣いない」
 伯父の高根《たかね》の晋齋《しんさい》は、片手に六連発銃を持ち襖の間から狙いを定め、カチリと弾金《ひきがね》を引く途端、ドーンと弾丸《たま》がはじき出る、キャー、ウーンと娘は気絶をした様子。
 晋「ソレ若が気絶をした、早く/\」
 此の物音に駭《おどろ》いて、門弟衆がドヤ/\と来《きた》り、
 ○「先生何事でござります、狼藉者でも乱入致しましたか」
 晋「コレ/\静《しずか》にいたせ/\、兎も角早う若を次の間へ連れて行《ゆ》き、介抱いたして遣《つか》わせ」
 是から灯火《あかり》を点けて見ると恟《びっく》りしました。其処《そこ》に倒れて居たのは幾百年と星霜を経ましたる古狸であった。お若が伊之助を恋しい恋しいと慕うて居た情《じょう》を悟り、古狸が伊之助の姿に化けお若を誑《たぶら》かしたものと見えまする。併《しか》し斯《か》ような事が世間へ知れてはならぬとあって、庭の小高い処へ狸の死骸を埋《うず》めて了《しま》ったという。さりながら娘お若が懐妊して居る様子であるから、
 晋「アヽとんだ事になった、畜生の胤《たね》を宿すなんテ」
 と心配をして居るうちに、十月《とつき》経っても産気附かず、十二ヶ月《つき》目に生れましたのが、珠《たま》のような男の児《こ》、続いて後《あと》から女の児が生れました。其の後《のち》悪因縁の※[#「※」は「「夕」+「寅」を上下に組み合わせる」、第4水準2−5−29、436−8]《まつ》わる処か、同胞《きょうだい》にて夫婦になるという、根岸の因果塚のお物語でござりまする。

        二

 何事も究理のつんで居ります明治の今日、離魂病《りこんびょう》なんかてえ病気があるもんか、篦棒《べらぼう》くせえこたア言わねえもんだ、大方支那の小説でも拾読《ひろいよみ》しアがッて、高慢らしい顔しアがるんだろう、と仰しゃるお客様もありましょうが、中々もって左様《そう》いうわけではございません。早い譬《たと》えが幽霊でございます、私《わたくし》などが考えましても何うしても有るべき道理がないと存じます。先《ま》ず当今のところでは誰方《どなた》でも之には御賛成遊ばすだろうと存じますが、扨《さ》てこゝでございます、お客様方も御承知で居らせられる幽霊|博士《はかせ》……では恐れ入りまするが、あの井上圓了《いのうええんりょう》先生でございます。この先生の仰しゃるには幽霊というものは必ず無い物でない、世の中には理外に理のあるもので、それを研究するのが哲学の蘊奥《うんおう》だとやら申されますそうでございます、そうして見ると離魂病と申し人間の身体が二個《ふたつ》になって、そして別々に思い/\の事が出来るというような不思議な病気も一概にないとは申されません、斯《こ》ういう誠に便利な病気には私《わたくし》どもは是非一度|罹《かゝ》りとうございます、まア考えて御覧遊ばせ、一人の私が遊んで居りまして、もう一人の私がせッせと稼いで居りますれば、まア米櫃《こめびつ》の心配はないようなもので、誠に結構な訳なんですが、何うも左様《そう》は問屋《といや》で卸してはくれず致し方がございません。
 さてお若でございますが、恋こがれている伊之助が尋ねて来たので、伯父晋齋の目を掠《かす》め危うい逢瀬に密会を遂げ、懐妊までした男は真実《まこと》の伊之助でなく、見るも怖しき狸でありましたから、身の淫奔《いたずら》を悔いて唯々《たゞ/\》歎《なげ》きに月日を送り、十二ヶ月目で産みおとしたは世間でいう畜生腹。男と女の双児《ふたご》でございますので、いよ/\其の身の因果と諦め、浮世のことはプッヽリ思い切って仕舞いました。伯父もお若の様子を見て可愛そうでなりませんが、何うも仕様がないので困り切って居ります。何《なん》ぼ狸の胤だからッて人間に生れて来た二人に名を付けずにも置かれぬから、男は伊之吉《いのきち》女はお米《よね》と名を付ける事になりました。茲《こゝ》に一つ不思議なことには伊之吉お米で、双児というものは身体の好格《かっこう》から顔立までが似ているものだそうで、他人の空似とか申して能く似ているものを見ると、あゝ彼《あ》の人は双児のようだと申しますから、真物《ほんもの》の双児は似る筈ではございますが、男と女のお印が違っているばかり、一寸《ちょっと》見ると何方《どちら》が何方かさっぱり分りかねるくらい、瓜二つとは斯《こ》ういうのを云うだろうと思われ、其の上|両児《ふたり》とも左の眼尻にぽッつり黒痣《ほくろ》が寸分違わぬ所にあります。これが泣き黒痣という奴で、この黒痣があるものは何うも末が好《よ》くないと仰しゃる方もあり、親が子の行末を案じるは人情|左様《そう》ありそうな事で、お若はそんなこんなで大層|両児《ふたり》を可愛がりますから、伯父の晋齋はます/\心を痛め、或日《あるひ》お若が前に来て、
 晋「赤児《あか》は何うしたね」
 若「はい、今すや/\寝つきましたよ、伯父さん本当《ほんと》に妙ですことねえ、この児達は、泣き出すと両児一緒に泣きますし、また斯うやって寝るときもおんなしように寝るんですもの、双児てえものア斯ういうもんでしょうか、私ゃ不思議でならないんですわ」
 晋「そうさな、己も双児を手にかけたこともなし、人から聞いたこともないから知らないよハヽヽヽヽ、赤児《あか》が寝ているこそ丁度幸いだ、今日はお前に些《ちっ》と相談することがあるがの、それも外のことじゃアない矢ッ張赤児の事に就《つい》てな、此様《こんな》事を云ったら己を薄情なものと思うだろうが、決して悪くとられちゃア困るよ、それもこれもお前の為を思うから云うのだからね」
 若「ハイ、何うしまして飛《とん》でもない心得違いから、いろ/\伯父|様《さん》に御苦労をかけ、ほんとに申し訳がないんですわ、それに私の為を思って仰しゃることを何《なん》でまア悪く思うなんッて」
 晋「イヤお前が左様《そう》思ってゝ呉れゝば己も安心というものだがの、斯《こ》う云ったら心持が悪かろうが、その赤児だッて……、あの通りな訳で生れたもので見れば、何うもお前の手で育てさせては為になるまいし、今|一時《いっとき》は可愛そうな気もしようが、却《かえ》って他人の手に育つが子供|等《ら》の為にもなろうと思われるよ、仮
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