生《つね》に変ったこともなく、此の頃では仕事場へも出まして稼いでおりますから、何うしても手懸りが付きません。品川警察へ呼出されてお調べに相成ったこともございますが、伊之吉の申し開きは立派にたち、放還になって見れば花里の行方はます/\手懸りが切れたようなもの。たゞ和国楼の庭口の木戸のあいていたというところで、海中へ身を投げて死んだのであろうと評判でございました。ナニ伊之吉がちゃんと他《わき》へ隠してあるのが知れませんは、不思議なもので、お取締りは随分厳重になって、コラお前の家《うち》には同居人はおらんか、と戸籍調べのお巡査《まわり》さんはお出《いで》遊ばしても、左様《そう》重箱の角までの世話の届くものではありません、早いところが我々どもの家でさえ嚊《かゝ》あ左衛門が、ちょいとホマチを遣るのを主人《あるじ》が知らずに居《お》ることは幾らもあります。これは、何うもはや、読者方《あなたがた》の御新造様が決して左様《さよう》なさもしいことを遊ばす気遣いは毛頭ございませんが、我々仲間の左衛門尉《さえもんのじょう》には兎角ありがちのことで、亭主に隠して焼芋でも買うお鳥目をハシけるは珍らしくないことでな。イヤこれは余計な贅言《むだごと》を申し上げ恐れ入ります。兎に角、花里花魁の行方は知れずに月日は経ちました。
九
神奈川在の甚兵衞夫婦をたよりてまいりました、お若伊之助でございます。甚兵衞夫婦も疾《と》く世を去り、月日はいつか二昔《ふたむかし》をすぎまして、二度目に生れた岩次と申す息子も十八歳と相成りましたくらいでげすから、お若さんも年を取りましたな。皺は一杯額に波うちますし、髪の毛は薄くなる、昔の面影はありません。それに永く田舎に燻《くす》ぶっていたんだから、まことに妙なもので、何う見ても田舎ものでげすッて、伊之助もその通りで、何事もなく暮していましたが、さて何となく気にかゝってなりませんから、お若さんも伊之助と相談いたし、兎に角伯父の高根晋齋が生きているうちに詫言《わびごと》せんと、久し振で東京へ出てまいり、まだ鳶頭《かしら》の勝五郎も生きているに違いないからッて、尋ねてまいりましたは下谷の二長町《にちょうまち》でげすが、勝五郎の住《すま》っていた長屋は矢ッ張りございますんで、お両人《ふたり》はヤレよかったと喜び、台所口からのぞいて見ると、朝のことでげすから勝五郎は火鉢のわきで楊枝をつかっている、自分の年をとったことは分りませんが、他人《ひと》の老けたのは能くわかるもので、
若「ちょいとお前さん御覧なさい、鳶頭も大層年をとりましたことねえ」
伊「成程すっかり胡麻塩になっちまった、己《おい》らだッて他人《ひと》から見ると、矢ッ張り爺い婆アになってるんだよ」
若「本当《ほんと》にそうでしょうねえ、神奈川へ行ったのも昨日今日のように思ってるが、二十年《ふたむかし》にもなるんだからねえ、高根の伯父もさぞ年をとったでしょう、まさかもう頑固もいいますまいよ」
伊「岩の手前《てめえ》も面目ねえや、ハヽヽヽそんな事を言ってたッて始まらねえ」
と伊之助が訪《おとな》いまして、神奈川在からお若と伊之助が尋ねて参ったと申すと、楊枝を啣《くわ》えておりました勝五郎は恟りいたし、台所へ飛んでまいり両人《ふたり》の顔をしげ/\とながめましたが、急に眉毛に唾をつけますから、お若さんは、
若「鳶頭、何うも久し振ですねえ、お前さんも相かわらず御丈夫で何よりですよ、先年はいろ/\お世話になりましてねえ、本当《ほんと》にすみませんでしたこと、今度こうして両人でお宅へまいったのは、あれを見て下さい、あのようになった息子までも出来た夫婦ですから、是非お前さんの袖にすがって伯父さんにお詫をしていたゞき、永らくかけた御苦労の御恩を返そうとおもってね、それで態々《わざ/\》来たんですから、鳶頭どうか、お前さんより外に頼むものもないんだからお願い申します」
伊「今お若からも申すとおり、お前さんが夫婦の手引きだから、面倒でもあろうし、先頃お前さんの意見をきかなかった腹立もあろうが、ねえ鳶頭、何うか昔のことは言わずに一肌いれて下さい」
と頼みまする様子に勝五郎はいよ/\恟りいたし、開いた口は塞《ふさ》がりません。と申すはお若さんでげす。再び伊之助と腐れ縁が結ばりまして、とんでもない事になるところを根岸の高根晋齋が家《うち》へ引取られましてから、病気で一歩《ひとあし》も外へ出たことがございません。今でも現に晋齋のところにぶら/\としているんですからね。元より大病というではありませんから今はお医師《いしゃ》にもかゝらず、たゞ気まかせにさせてあるんで、尤も最初《はじめ》のうちは晋齋も可愛そうだと思召し、せめて病気だけは癒《なお》してやろうと、いろ/\のお医者におかけなされましたが、さっぱり効験《きゝめ》がない。お医者にかけないからッてドッと悪くなるでもありませんから、二十年から欝々《うつ/\》と過しているんでげす。さア左様《そう》いう風でございますのに、また一人お若さんが出来て、子供までつれてお出《いで》なされたんですから、鳶頭の驚きまするは当然《あたりまえ》で、幾らくびを曲げ眉毛に唾をつけましても、その理由《わけ》はわかりません。こいつは不思議だぞ、さきに根岸では伊之助が二人出来た例《ためし》もある、こんどはお若さんが二人になったは不思議だ、これは何《いず》れか一人のお若さんは屹度|変化《へんげ》にちがいない、併し根岸の高根晋齋先生のところにござるお若さんが、ヨモ変化である筈はないことだ、そうすると今伊之助と一緒にまいっているお若さんが訝《おか》しい、斯う考えて見ると伊之助も変化かも知れない、根岸で先生がズドーンとやった狸公《たぬこう》が、アヽそれに違いないと、ぶる/\ッと顫《ふる》えあがるのに、お若も伊之助も呆気にとられてこれも茫然《ぼんやり》いたしていましたが、何時まで睨《にら》みッこを致していたとて果《はて》しがありませんから、
若「鳶頭、お前さんは矢ッ張りわたし等を憎んで、この願いをきいては下さらないのですか」
勝「なに、そんなことじゃアごぜえません、が、何うもおつりきで」
若「エ、おつりきとは、そりゃなんの事で」
勝「なにさ、それは此方《こっち》のことで」
と申しながら不承不承請合いまして、下谷二長町からドン/\根岸へやってまいりました。高根晋齋は庭に出て頻りに掃除をなすっていらっしゃいます。そのお座敷は南向でございますから、日が一杯にあたって誠に暖《あった》かでげすから、病人のお若さんも縁側へ出て日向《ひなた》ぼこりをいたしながら伯父さんと談《はなし》をいたしておりますところへ、書生さんがお出でになりまして、
書「エヽ、先生、先生ッ」
晋「なんじゃ」
書「鳶頭の勝五郎がまいりまして、至急お目にかゝりたいと申しますが」
晋「左様《さよう》か……こちらへ通しなさい、また何かそゝッかしやが詰らぬことに目を丸くしてまいッたと見えるな、彼《あれ》も若い時分[#「時分」は底本では「自分」と誤記]から些《ちっ》とも変らないそゝっかしい奴だが、あんな正直な人間もすくないよ、稼業柄に似合わない男だ」
と仰ゃりながら、ポン/\と裾《すそ》をはたいて縁側へお上りになりますとき、永《なが》のお出入で晋齋先生のお気に入りでげすから、勝五郎はずか/\とおくへまいりまして、そこに出ておいでなさるお若さんを珍らしそうにながめ、何《なん》だか変挺《へんてこ》の様子で考え、まことに茫然《ぼんやり》といたして居ります。
晋「鳶頭か、よくお出でだね、お前何か心配なことでもあるのか、大層かんがえていなさるね」
勝「先生様、奇体《きてえ》なことがおッぱだかったんで、またね、狸公《たぬこう》がお若さんに化けてめえりやしたぜ」
晋「オイ/\鳶頭は何うかしているよ、お前おかしな事をいうねえ、気を落付けてゆっくり物を言いな、些とも理由《わけ》が解らないじゃないか」
勝「それがね、先生大変なんで、今狸公のお若さんが、あの伊之助野郎と一緒に私《わっち》の家《うち》へ来ているんですから、変挺じゃげえせんか」
晋「何《なん》だと……狸のお若が伊之助と一緒にお前のところへ来た、ハヽヽヽヽ馬鹿をいいなさい、お前寝惚けているんじゃないかい、そんなことがあるものか」
勝「ソヽヽそれがね、全くなんで、全くお若さんが伊之助をつれ、若い男までも引張って来ているに違いないんでげす、先生にお詫をしてくれッて」
晋「ハヽヽヽいよ/\訝《おか》しいよ、お若はこゝにいるじゃないか、殊に二十年来の病気で外出したことのないものがお前の家《うち》へ行《ゆ》くわけがないよ」
勝「さアそこだッて、それだから狸公だ、てっきり狸公にちがいないんで、よく化けあがったな、ナニようがす、先生、貴方さまが根岸でパチンとおやんなすった短銃《ピストル》はあるでしょうねえ、それを私《わっち》にかしておくんなせえまし、今度は私がパチンとやって遣るんだ」
と急《あせ》り切って前後|不揃《ぶぞろい》にお若伊之助のまいった次第を話しますので、晋齋も不審には思いますが、自分に遇《あ》って詫を為《し》ようと申すは不測《ふしぎ》な理由《わけ》、ことに子供まで出来十八九ともなっているとは解らぬ事だと、目を閉じて考えてお在《いで》になると、勝五郎は短銃を貸せ、打って仕舞うからと急《せき》たてます。晋齋は最早八十からにお成り遊ばす老人でいらっしゃるが学問もなか/\お出来になる偉いお方でございますから、先ずお若伊之助と名のるものに面会いたした上で、その者等が様子を篤《と》くと見極めてもしも変化のものなら、なんの年こそとっていれ狐狸《こり》に誑《たぶら》かされる気遣いはないと、御決心あそばしましたから、
晋「勝五郎、まアそんなに無闇なことをいたしてはなりません、私《わし》に遇いたいと申すなら遇ってやりましょう、つれてお出でなさい」
勝「へー、先生様は狸公にお遇いなされますか」
晋「イヤ狸であろうと狐であろうと、遇いたいと申すものには遇ってやりましょうよ、ぐず/\言わずに伴《つ》れてお出でなさいよ」
勝「へー、伴れて来いと仰しゃいますなら伴れてまいりますがね、若し途中で私《わっち》をばかして蚯蚓《みゝず》のおそばや、肥溜《こいだめ》の行水なんぞつかわされはしますまいか」
晋「馬鹿を云いなさい、人間が心を臍下《さいか》に落付けていさいすれば決して狐狸に誑《ばか》されるものでないから」
と説諭《せつゆ》されましたので、勝五郎は彼《か》の尋ねてまいったお若と伊之助、それに忰《せがれ》の岩次をつれて参りました。高根晋齋は三人の親子を奥へ請《しょう》じて対面に相成りまする。お若と伊之助は頻りに身の淫奔《いたずら》を詫び、何うかこれまでの行いはお許し下さる様にと他事《たじ》はございません。妖怪変化のものは如何によく化けますといっても、必ず耳が動くものだそうにございます。そこは畜生《ちきしょう》の悲しいところで。晋齋老人は何《なん》にも仰しゃらず、ジッと見詰めておいで遊ばすが、三人の人間に少しも怪しいところがない、殊に不思議なのはお若さんで、年配から言葉|音声《おんじょう》、額によりまする小皺まで寸分かわりません、只だかわっているところはお頭髪《つむり》でげす、此家《こゝ》においでになるお若さんは病中でいらっしゃるから、お頭髪なんかにお構いなさらないんで、櫛にくる/\とまいてありますが、今勝五郎のつれて来たお若さんは丸髷に結っていらっしゃる。それとお衣類《なり》にちがったとこがあるばかりでございます。晋齋老人もこの場の様子が不思議に思召す。何うもお若さんが二人になってる理由《わけ》がお解りになりません。成程これでは勝五郎が恟りするも無理でない、乃公《おれ》も八十年から生きて世間のあらゆる事には当って来ているし、随分経験もあるが、こんな訝《おか》しなことはない、根岸で伊之助が二人あったことはあるが、あれは一方が変化のものということの
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