うろ》たちは年期で出るでなく身請ときいては羨ましいので、入り替り立かわり、花里の部屋へまいり名残を惜むもありますれば、喜びを申すもありまする。また廊下などで立話をしているをきけば、
 ○「いよ/\花里さんは、海上さんのとこへ行《ゆ》くッてねえ、今夜が身請になるんだッて、本当《ほんと》にうらやましいわ、私ゃ花里さんが出たら、あの部屋へ越そうと思ってるのよ」
 ▲「私だって覗《ねら》っているのさ、本当にあの座敷は延喜《えんぎ》がいゝからねえ、瀬川さんだってあの座敷から身請されたのだし、今度の花里さんだって矢ッ張りなのだから、それに二人とも海軍の方だものねえ」
 ×「花里さんの廃《ひ》くのは瀬川さんたア一緒にならないわ、あんなに血道をあげてる伊之さんてえ情人《ひと》があるんだから、海上さんは踏台にされるに違いないのよ、何うして花里さんが伊之さんと切れられるものかね、また無理もないから、男ぶりも好《よ》く厭味《いやみ》ッ気がないのだもの」
 △「ハクショ岡惚《おかぼ》ッてるよ、この人は」
 □「何うも憚《はゞか》りさま、花里さんが出て仕舞えば伊之さんは私が呼ぶのよ、その時にゃア屹度おごるからね、ホヽヽヽヽヽ」
 ○「馬鹿にしてるよ、本当《ほんとう》に」
 なんかんと風説《うわさ》しております、そのうちに張見世《はりみせ》の時刻になりましたが、総仕舞で八重《やえ》の揚代《ぎょく》が付いて居りまするから、張見世をするものはございません、皆海上の来るのを待っている。併《しか》し外のお客を取らないというのではありませんから、初会でも馴染でもお客のあるものはずん/\取っている。その家々《うち/\》の風《ふう》で変りはありますが、敵娼《あいかた》の義理から外の女郎《じょろう》を仕舞わせるほど馬鹿々々しいものはありますまい。それぐらいなら溝《どぶ》の中へ打捨《うっちゃ》る方が遥かましでしょう。何うも済《すみ》ませんとか有難うござるとかいう一口が揚代一本になるんですからねえ。それも仕舞ってやったお客には何の挨拶もするでなく、その娼妓が紅梅なら、紅梅の花魁へのみの会釈でげすから癪にさわるじゃありませんか。とんでもねえ鼻ッたらし扱いされるんでげすから、併しあの場所へ浮れてお出で遊ばす方はそんなことに御頓着《ごとんじゃく》はなさらぬものでな、お気に召した花魁でも参り、程のよいお世辞の一つも言われると、土砂をかけた仏様のようにお成んなさる。余事はさておき、意地を張って身請を拒みました花里も、小主水の説得に伏《ふく》していよ/\廃業すると申しますので、海上渡さんはお鼻が高うございます。意地ばって楯をつくころは女の小面《こづら》を見ても腹が立つものだそうでげすが、さて先方《さき》から折れて出れば元より憎い女でない、廃業祝《ひきいわい》には当人の顔は勿論でげすが、廃業《ひか》せるお客海上の顔にもかゝるんですから、立派にして遣らねばならぬ、立派にしてやるが青二才の職人風情に真似の出来るもんか、己と競争|為《し》ようと思ったッて到底《とて》も及ぶまいと、大奮発《おおはりこみ》でございます。花魁花里が廃業祝の支度とゝのい、もう海上さんがお出でになるころと待ちうけて居ります。路傍の花いまゝでは誰彼《たれか》れの差別なしに手折《たお》ることが出来る、いよ/\花里の身があがなわれて見れば、なか/\自由にはなりません、主《ぬし》あるお庭の桜でげす。手でも付けようものなら、それこそ大変がおこるッていうような訳となりますんで。彼《か》の情人《いろ》の伊之吉でげすが、エー、花魁は決して海上になびく気遣いはない、まかり間違えば死のうとまでしたんだから、それに文《ふみ》の模様では小主水花魁が相変らず親切に真身《しんみ》になって世話をしておくんなさるてえから、大丈夫だ心配することはないが、何うも気になってたまらんよ、ゆうべ小主水花魁から届いた文のように旨くゆけばよいが、そうは問屋《といや》でおろしそうもないて、ひょっと仕損じて花里さんえ何処《どこ》へ往《ゆ》くんです、さアお座敷へお出でなさいよと云われた日にゃア仕方がない、いかに小主水の花魁でも斯うなったら何うも仕様があるまい、事がグレ蛤《はま》となった時は馬鹿を見るのが己《おい》ら一人だ、あれもいや/\海上に連れられて行《ゆ》く、イヤ/\仮令《たとえ》つれられて行けばとて無事でいる気遣いはない、花里《あれ》の性質はよッく知っているが、己らを袖にして生きてはいぬ、が、花里《あれ》とても素人じゃアなし、多くのお客に肌身をゆるし可愛《かわいゝ》のすべッたのと云う娼妓だ、いくらあゝ立派な口をきゝ、飽まで己らに情をたてると云ってゝも、フイと気が変って海上に靡《なび》かないとも限らないから、と頻《しき》りに考え込んでいるのは伊之吉でげすがね。花里が小主水の差金《さしがね》で身請を諾《だく》しますと直ぐ、伊之吉の許《もと》へ品川から使い屋が飛んでまいった。此のごろは二階を堰《せ》かれているんでげすから、折々花魁から使い屋をたてゝ文の遣取《やりと》りに心を通じている場合、何か急な用が出来て花里から使い屋をよこしたのだと思いますと、小主水からの使いで、文面を読むたびに恟《びっく》りばかりいたしましたが、親切に細々《こま/″\》書いてあるから伊之吉もその通りにいたし、身請の当夜を待ち、指図のごとく一艘の小舟を借りまして、宵の口から品川の海辺に出で汐を見ますと、丁度高潮まわりで段々と汐のさしてまいる端《はな》でげすから、伊之吉喜び勇みまして、舟を和国楼の石垣のとこへつけ、息を殺して潜んでいるのでございます。すると夜風は身にしみて肌さぶく相成り、二階ではお酒が始まり芸妓《げいしゃ》が騒ぎはじめますから、馬鹿々々しくなって堪りません。舟底にころりとやって居りましたが、気が揉めますから、首をあげて二階を見ますると、障子にヒョイ/\男や女の影法師がうつる。またはワーワッと笑いごえの致すのが、自分を嘲弄《ちょうろう》するようにも聞き取れますんで、いろ/\の考えをおこし、ムシャクシャしてまいる。左様《そう》かといって自分は忍んでいる身でございますから、うっかり頭をあげたり舟を動かすことは出来ません。若《も》しも石垣へばしゃり/\波があたって楼中で気が注《つ》かれて見ると、百日の説法も屁一つになるんでげすからな。その心配というものは容易でありません。伸びつ反《そ》りついたして楼内《うち》の様子にばかり気を配って、此処《こゝ》へ舟をつけて待っていてくれろというからは、屹度花里が忍んで出てくる手段《てだて》に違いなかろう、小主水の花魁は天晴《あっぱれ》男まさりの働きがある女だから、万に一つも遣り損じはあるまいが、何をいうにも大勢の人の目を掠《かす》めて脱《ぬ》け出させるのだから旨く行ってくれゝば宜《い》いがと、庭の方で足音でもしはせぬかと、そればかりに耳をたてゝおりますが、さっぱり足音もしない。二階ではいよ/\大騒ぎで、陽気になってまいる。すると花里々々とこえがチラリ/\と聞えるので、また一層の苦になって堪りません。エヽ詰らない馬鹿々々しいや、斯うして心配しているのに彼女《あいつ》は、あの仲間にはいって笑っているかも知れんと、水上警察の巡廻船に注意いたしつゝ、そっと首をあげまして石垣につかまり、伸びあがって楼内《うち》の様子をうかゞっていまする。と、庭は真闇《まっくら》でげすから些《ちっ》とも分りませんが、海面に向ってある裏木戸のところで、コツリガチャリという音がするので、伊之吉は恟りいたし伸した首をちゞめ、また舟の中に小さくなっている、錠でも外すような音がいよ/\耳につきますから、またそっと伸あがって木戸のあたりを透《すか》して見ますると、暗夜《やみ》で判然《はっきり》とは分りませんが、何《なん》だか白いふわり/\としたものが見えました。それから熟《よ》く耳を澄《すま》してきゝますと人の息をするようでげすな。ハテ来たなと思いますから、怖々《こわ/″\》石垣の上へあがり匍這《はらばい》になって木戸のところまで匍《は》ってまいり、様子をきゝますと内のものは外に人がいると知りません模様で、しきりに錠を外そうといたしておりますから、伊之吉も今時分こゝへ外《ほか》のものが来る筈はないとぞんじ、静かに木戸の際《わき》へ立ちよりまして、
 伊「花魁かい」
 と声をかけました。大抵なら先方《さき》でも恟りするんでげすが、そこは約束のしてあることでございます。先方でも些《ちっ》とも驚いた模様もありませんで、
 花「伊之さんですか」
 と焦《じ》れてガチリと音させ、よう/\錠をはずし木戸をひらき、出てまいりますと、只|何《なん》にも言わず伊之吉に取りすがって顫《ふる》えております。伊之吉とてこんなことを遣るは臍《へそ》の緒きって始めての芸で、実は怖《おっ》かな恟りでおるんでげすが、何《なん》と云ってもそこへまいると男は男だけの度胸のあるもので、
 伊「これ、折角斯うして逃げ出したもんだから、早くこの舟に乗んねえな、ぐず/\していて見附けられた日にゃア、虻蜂とらずで詰らねえからな、エヽもうちっとだ確《しっ》かりしねえな」
 と小声で申しながら、花里の手を取って、怖《おっか》ながるをよう/\舟にのせましたので、まアと一安心いたしましたが、早くこゝを遠走《とおばし》ッて仕舞わないと大変と存じますから、花里には舟底のところに忍ばせ上から苫《とま》をかけまして、伊之吉は片肌ぬぎかなんかで櫓《ろ》を漕《こ》いで、セッセと芝浜の方へまいります。それも燈火《あかり》がなくては水上の巡廻船に咎《とが》められる恐れがありますから、漁師が夜網《よあみ》など打ちにまいるとき使う、巡査《おまわり》さんが持っていらっしゃる角燈《かくとう》のようなものまで注意して持ってきているから、それに燈火《あかし》をいれて平気で漕いでまいりました。いまは品川も遥かあとになりましたから、ホッと息をつき、
 伊「花里さん、もう些《ちっ》とだから辛抱しておいでよ、ちょいと首を出して御覧、品川はあんなに遠くなったから、此処《こゝ》まで来れば大丈夫|鉄《かね》の鞋《わらじ》だ、己《おい》らは強《えら》くなったぜ」
 花「そう、本当《ほんと》にすまないことね、お前さんに此様《こんな》苦労までかけてさ、堪忍して下さいよ、これも前世からの約束ごとかも知れないわ」
 伊「何も礼をいうことアねえや、お互《たげ》えに斯うなってるんだから」
 花「今度の事には姉さんに、まアどんなに心配をかけたか知れないので」
 伊「そうよ、小主水[#「小主水」は底本では「小主人」と誤記]姉さんには本当にすまねえが、実に彼《あ》の人は両人《ふたり》が為には結ぶの神だよ」
 花「はア本当にそうですわ」
 伊「両人が落著《おちつ》いたら何うしてもこの恩を報《かえ》さねば、畜生《ちきしょう》にも劣るから、己らは」
 と跡|言《いい》かけまするとき、ギイ/\と櫓壺の軋《きし》る音がして、燈火《あかし》がちらり/\とさす舟が漕ぎまいります。伊之吉は俄に花里を制し、また元の如く苫を冠《かぶ》らせてしまいました。さて和国楼でございますが、肝腎《かんじん》の花里がいま身請の酒宴《さかもり》と申す最中《もなか》に逃亡いたしたんですから、楼中の騒ぎは一通りではありません、上を下へとゴッタ返して探しましたが、中々知れそうな理由《わけ》はありません。まさか伊之吉が舟を持って来て連れていったとは知れよう筈がない。海の中にいるんでげすから陸《おか》を探したとて跡のつく気遣いなし。海上も一時はカッと怒《いか》られて、外のものに当り散らしては見たが、相手のない喧嘩は何うもはえないもので、到頭そのまゝ泣き寝入で、只《た》だ器量を下げてお引下がりになりました。併し和国楼では、花里に逃げられたから、それで宜《よ》いわと済まされませんから、それ/″\の手続きも致さねばならぬ、品川警察へ逃亡のお届けをいたし、若しや伊之吉のところへ参って居らぬかと、追手を出して探させましたが、さっぱり解らず、伊之吉は平
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