られましても精神が外《ほか》へ走《は》せて居りますので、その話が判然《はっきり》聞とれませんと申すようなもの、そこで御挨拶がトンチンカンとなる。そうすると彼奴《あいつ》まだ年も若いに耄碌《もうろく》しやがッたな、若耄碌なんかと仰ゃるような次第でげす。一寸《ちょっと》いたしたことが之《こ》れでございますから、物の上手とか名人とか立てられる人は必ずその技芸に熱心していろ/\の工夫を凝らしているもので、技芸に精神を奪われていますから、他《ほか》の事にはお留守になるがこりゃ当然《あたりまえ》の道理でござりましょうかと存じます。それで物事に茫然《ぼんやり》するように見えるんで、そこで変人様の名も起る訳であろうかと推量もいたされるでげす。大芳棟梁も矢張《やはり》この名人上手の中《うち》に数えらるゝ人ですから、何うも一風流変っておりますが、仕事にかけたら何《ど》んな大工さんが鯱鉾立《しゃちほこだち》して張り合っても叶《かな》いません。今では人呼んで今甚五郎と申す位の腕前でございます。それほどのお人ですから弟子は申すまでもなく多くある。何処《どこ》の棟梁手合でも大芳といえば一|目《もく》も二目もおいて
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