−29、436−8]《まつ》わる処か、同胞《きょうだい》にて夫婦になるという、根岸の因果塚のお物語でござりまする。

        二

 何事も究理のつんで居ります明治の今日、離魂病《りこんびょう》なんかてえ病気があるもんか、篦棒《べらぼう》くせえこたア言わねえもんだ、大方支那の小説でも拾読《ひろいよみ》しアがッて、高慢らしい顔しアがるんだろう、と仰しゃるお客様もありましょうが、中々もって左様《そう》いうわけではございません。早い譬《たと》えが幽霊でございます、私《わたくし》などが考えましても何うしても有るべき道理がないと存じます。先《ま》ず当今のところでは誰方《どなた》でも之には御賛成遊ばすだろうと存じますが、扨《さ》てこゝでございます、お客様方も御承知で居らせられる幽霊|博士《はかせ》……では恐れ入りまするが、あの井上圓了《いのうええんりょう》先生でございます。この先生の仰しゃるには幽霊というものは必ず無い物でない、世の中には理外に理のあるもので、それを研究するのが哲学の蘊奥《うんおう》だとやら申されますそうでございます、そうして見ると離魂病と申し人間の身体が二個《ふたつ》にな
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