すが」
 伊「鳶頭まア左様《そう》云わずと何うかね、今日のとこは見逃しておいておくんなさい、私もまたお嬢さんをお諭《さと》し申して綺麗さっぱり諦らめるようにするからねえ、決してお前さんの面《かお》は潰さないから」
 といろ/\と勝五郎を賺《すか》しこしらえるうちに、切れるような言葉あるをきゝましたお若は、プッと頬をふくらすのを見ましたから、眼付で合図いたし、ヤッと勝五郎を追いかえしますると、
 若「伊之さん何うしょうねえ、この事が伯父さんに知れた日にゃア大変だから」
 伊「さア何うしたら宜かろうか知らん」
 若「いっその事、私をつれて逃げておくれでないか」
 伊「そんな事をしては猶更すまねえから」
 若「あれさ、此様《こんな》ことになってゝ済むのすまぬということがあるものかねえ、私がこんな形《なり》だからお前さん外聞がわるいんで」
 伊「ナニ其様《そんな》ことはないけれど、斯うして来ているのさえ面目ないのだに、其の上また連出しては」
 若「嫌《いや》なんだね、嫌ならいやでいゝよ、お前さんに捨てられちゃア」
 と突然《いきなり》仏壇の引出から剃刀《かみそり》を取出し自害の体に見えます。お芝居などでもよく演《や》るやつでございますが、先《ま》ず初めにお姫さまが金魚の糞《うんこ》ほどぞろ/\腰元をつれ、花道で並び台詞《ぜりふ》がすみ、正面の床かあるは引廻したる幔幕《まんまく》のうちへ這入る、そうすると色奴《いろやっこ》とか申してな、下司《げす》下郎の分際《ぶんざい》で金糸《きんし》の縫いあるぴか/\した衣装で、お供に後《おく》れたという見得で出てまいります、舞台《ぶだい》へ来ても最《も》うお姫様もお供の影もないのでまご/\しているを好《いゝ》寸法に出来てるもので、お姫様が其処《そこ》へたった一人で出懸けてまいり、これ何平とやら雨の降るほどやる文を返事もしないは情《つれ》ないぞや、四辺《あたり》に幸い人はなし、今日こそ色よい返事をなんかんッて……あつかましくもジッと下郎の側へ寄り添い、振袖を肩のところへかけるを合図に、下郎は飛びのき不義はお家の御法度《ごはっと》、とシラ/″\しく言えば、女の身で恥かしいこと言い出して殿御に嫌われては最うこれまで、と懐剣ひきぬき自害の模様になるを、下郎は恟《びっく》りして止めると、そんなら私《わらわ》の望み叶えてたもるか、さアそれは……叶わぬならば此の儘、さア/\/\と糶詰《せりつめ》た後《のち》は男がそれまでに思召すのをなどと申して、いやらしい振になって騒ぎを起しまするが、女の子が男を口説《くどく》秘法は死ぬというが何より覿面《てきめん》でげす。併《しか》し当今の御婦人さま方にはそんな迂遠《まわりどお》いことを遊《あそば》す方は決してございますまい、ナニ惚れたとか腫れたとか思いますと直々《じき/\》に当って御覧なさる。先方《さき》の男が諾《うん》といえば自由結婚だなどと吹聴あそばし、また首《かぶり》をふればナニ此処《こゝ》な青瓢箪野郎、いやアに済していアがる、生意気だよ、勿体なくも私のような茶人があればこそ口説《くどき》もしたのさ、一生のうち終り初物で恟りして戸迷《とまど》いしあがッたんだろう、ざまア見あがれと直ぐ外の男へ口をかけるというように淡泊になって参りました。これははや何うも飛《とん》でもない事を申しまして、本書をお読みなさる御婦人様方には決してそんな蓮ッ葉な、薄情きわまるお方はお一人でもある気遣いはございません。この本を見たこともないと申す阿魔や山の神には兎角そんな族《やから》が往々あって困りますよ、ハヽヽヽ。何うも余事にわたって恐れ入りました。扨《さ》て伊之助でございますが、お若さんが連れて逃げてくれろと申しましたを、義理だてをして捗々《はか/″\》しく相談に乗らないところから、男を諾《うん》といわする奥の手をだし、自害の覚悟を示したのでありますから、伊之助も最《も》う是非がございません。
 伊「えい危ない、何《なん》だってそんな真似を、まアこれをお放しなさいよ、はなしは何うにでもなることだから」
 若「いゝえ、お前さんは私に飽きたから、それで」
 伊「これさ、まアそんな強情をいわずと、あゝ困るなア、あゝまた、危ない/\、逃げろなら逃げもするから、まア刄物はお放しなさい」
 若「それでは屹度《きっと》だね、屹度一緒に逃げておくれだねえ、屹度……屹度」
 伊「あゝよろしい、仕方がない、逃げますとも/\嘘をつくもんですか」
 と漸《ようよ》うお若を宥《なだ》めましたんで、ホッと一息つき、それでは手に手をとって駈落と相談は付けたものゝ、たゞ暗雲《やみくも》に東京《こちら》をつッ走ったとて何処《どこ》へ落著《おちつ》こうという目的《めど》がなくてはなりません、お若と伊之助はいろ/\と相談をしますが
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