がよ》いをするものもなかったんでしょう。只今も申しまする通り夜分になれば伯父の目さえ除《よ》ければ憚《はゞか》るものはないんでげすから、お若さんも伊之助も好事《いゝこと》にして引きいれる、のめずり込むというような訳になって……伊之助は大抵お若さんのとこを塒《ねぐら》にしておりました。始めのうちこそお互いに人に見られまいと注意いたすから、夜が明けはなれると伊之助は飛び出すので、近所でも知らなかったが、左様《そう》都合のいゝことばかりはないものでな。惚《ほれ》た同士が二人きりで外《ほか》に誰もいないのでげすから、偶《たま》には痴話や口説《くぜつ》で夜更しをして思わぬ朝寝もしましょうし、また雨なんかゞ降るときはまだ夜が明けないと存じて、
 伊「もうおきる時分だろう、雨戸のすき間があかるくなって来た」
 若「ナニまだ早いよ、大丈夫だから……お月夜であかるいんだわ、今から帰らなくッてもいゝッてえば、私アねむくって仕様がないじゃないかね、モガ/\おしでないてえば」
 とお若が起しませんから、伊之助とて丁度寝心のいゝ時節、飛起きたくはありますまいて。すると……、毎朝照っても降っても欠かさずに屹度《きっと》参る納豆屋の爺さん、
 納「納豆ーなっとー……お早うさまで」
 若「おや大変おそいよ、納豆やのお爺さんが来るようでは……とんだ寝坊をしたね」
 伊「それ御覧な、仕様がないじゃないか、伯父さんのとこから御飯でも持って来る人に見付《みつか》っちゃア大変だ、近所の人は皆《みん》な起きてるだろう……あゝ弱ったね、本当《ほんと》に困っちまった」
 若「私だって全く夜が明けないと思ったからだわ、何うするの伊之さん……今日は此家《こゝ》においでな、こんなに雨が降ってるから伯父|様《さん》も来やアしまい、お前だッたって帰るも大変だわ」
 伊「そりゃ己《おい》らの方にゃア願ったり叶ったりだけれどな、若《も》し来られた日にゃアそれこそ大変なわけ、一旦手切まで貰って分れたんだから」
 若「それも左様《そう》だねえ……中々頑固だから六ヶ敷《むずかし》いことを云うかも知れないから、困ったね」
 と云っているうちに伊之助は起あがりて帯を〆《し》めておりますると、表をトン/\/\と叩くものがございますんで、二人は恟《びっく》りいたして、お若さんは手早く床をあげ、伊之助を戸棚へ隠し、やっと心を落付け、表の戸をたゝくを聞えぬ振して態《わざ》と縁側の戸をガラ/\明けております。表では頻《しき》りにトン/\/\/\と叩いて、
 吉「オイお若さん何うしたんだい、こんな寝坊することがあるもんか、早く開けて下さいよ」
 若「おや吉澤《よしざわ》さんですか……何うも御苦労でしたことねえ、今朝はとんだ寝坊をしましてねえ……大層おたゝかせ申しましたか、ほんとにすみませんこと」
 吉「ハヽア珍らしいですな、あなたがこんなに朝寝をするは……ハヽヽヽ」
 例《いつも》の通り飯櫃《おはち》と鍋を置いて帰ったので、まア好《よ》かったと胸なで下《おろ》しまして、それから伊之助も戸棚より這出して参り、直ぐに帰ろうというを、お若は丁度あったかい御飯が来たとこだからと、無理に止めまして少し冷めた味噌汁《おみおつけ》をあっため、差向いで朝飯《あさはん》を仕舞まする。
 若「伊之さんこんなに降って来たから……大丈夫来やしないわ、帰るにしても些《ちっ》と小止《こやみ》になるまで見合《みあわ》してお出《いで》でないとビショ濡になっちまうわ」
 伊「まさか此の降りに伯父|様《さん》が見廻りもなさるまいとア思うがね、あんな人ではあるし、今朝来た使いが変だと思やアそう云うだろうから油断はしていられないよ、見付《みつか》って仕舞ってから幾ら悔しがっても取って返しが付かないから」
 若「そうねえ」
 とは申しますものゝ、ドシ/\雨の降ってる最中に可愛い情夫《おとこ》を出してやるは、何うも人情|仕悪《しにく》いものでございますんで、お若さんは頻りに止めますから、伊之助もそれではと小歇《こやみ》になるまで見合すことにいたし、立膝をおろして煙草を呑もうといたすと、ざア/″\/″\という音が庭でするは、丁度傘をさして人の立《たっ》てゞもいるように思われますんで、疵もつ足の二人は驚きあわて顔見合せましたが、がらりと障子をあけて誰が来たと確めることが出来ません。そうかと申して伊之助が今逃げ出してはます/\疑われる種とおもいますから、うかといたした事をして毛を吹いて疵を求めるも馬鹿々々しいと、只二人ともはら/\と胸を痛めて居りますると、暫くして縁先で咳ばらいをいたすものがある。お若も伊之助も最《も》う堪らなくなりましたから、先《ま》ず伊之助が逃げ出しにかゝるを、
 ○「二人とも逃げるにゃア及ばねえ」
 とがらり障子をあけて這入ってまいった
前へ 次へ
全40ページ中12ページ目


小説の先頭へ
文字数選び直し
三遊亭 円朝 の一覧に戻る
作家の選択に戻る
◆作家・作品検索◆
トップページ 登録 ご利用方法 ログイン
携帯用掲示板レンタル
携帯キャッシング