ればそれで気はすむ、最早親元身請などの吝嗇《けち》くさいことは云わぬと、妙なところに意気味《いきみ》を出されたもので、海上さんは直接に花里身請のことをお部屋へ懸合われました。お部屋では利分のつくことでございますから、二つ返事で承知いたし、花里の身代金三百五十円にて相談が極りました。これが昔でございますと、当人が何《なん》と申そうとも、楼主の圧制で身請させて仕舞うのでげすが、当今の有難さは金を出して抱えている娼妓《こども》だと云って、楼主の自由にすることは出来ません。当人が承諾しなければ自儘《じまゝ》に人身売買をしてはならん。ところでお部屋からは噛んでふくめるように花里へ説諭《せつゆ》しますが、何うしても諾《うん》とは申しません。当人はいやだといい客からは何うだ/\と催促されまするので、実はお部屋でも弱りきって持てあまし、と申して見す/\儲かるものを当人がいやだというからって其の儘にしては、後々《のち/\》他《はた》の娼妓に示しがきかぬ。脅してなりとも花里にさえ諾といわせれば、それで此方《こちら》の役目はすみ、お金にもなることゝ、慾が手伝いましては義理人情も兎角に外《そ》ッ方《ぽう》へよって仕舞うもので、お部屋からの言付けだと、伊之吉は到頭お履物《はきもの》にされまして二階をせかれ、花里は遣手《やりて》新造までにいろ/\と意見させて見ましたが、いっかな動きません。強情にも程のあったものだ、とお部屋でも今は憎しみが掛り花里は呼付けられまする。小言をきくは覚悟の前で、今日は何《なん》といって言訳をしようか、たゞ厭とばかりは申すことが出来ない、何ういい抜けをして逃《のが》れようかと心配しますれば、胸も痞《つか》えて一杯でございます。
 楼「花魁、こゝへ来なさい、何もそんなにうじ/\してることはないから」
 花「はい」
 とは申しますものゝ窃《そっ》と楼主の顔をみますれば、何《なん》となく穏《おだや》かでない、幾度《いくたび》となく身請のことを口を酸ッぱくして諭しても、花里は諾《うん》と申さないから焦《じ》れているんで。随分|娼妓《こども》達には能くしてやる楼主でございますが、花里のように強情ばかり張って申すことを聞分《きゝわけ》ませんから、今は意地になって居ります。抱え娼妓《しょうぎ》に斯う我儘をされるようでは他《はた》へ示しが付かぬ、何うにでも圧《おし》つけて花里を身請させねばならぬと申す気が一杯でげすから堪りません。これを見ると花里はゾクリといたし襟元から水を打掛《ぶっか》けられるような気がする。そうすると直ぐ悲しくなって眼には涙を催してまいりますが、坐らない訳にはまいりませんから、針の筵《むしろ》にいる気で楼主の前に坐り下を向いたまゝで顔を上げない。
 楼「花魁、この間から度々《たび/\》いう事だが、お前海上さんの方へ何う御返事をする積りなのだえ、よく考えて御覧、いつまで斯《こ》んな稼業をしているが外見《みえ》ではあるまいしね、お前とて子供ではなし、それぐらいのことはよく分るだろうが、それにお前の気ではあの青二才の伊之吉と約束があって情を立てる積りだろうがね、それは大きな間違というものだ、近いところが此楼《こゝ》にいたあの綾衣《あやぎぬ》がいゝお手本だよ、あんな夢中になって初《はつ》さんのところへ行《ゆ》き、惚れた同士だから嘸《さ》ぞ中好《なかよ》く毎日暮すだろうと、楼中《うちじゅう》の羨《うらや》みものだッたは知っているだろう、それが御覧なさい、物の三日も経たないうちから喧嘩する、末はとうとう夫婦別れして綾衣は今じゃア新造衆になってるじゃないか、又|瀬川《せがわ》はいやだ/\と云いながら、お前と同じように痺《しびれ》を切らした末が、海軍の方に身請されたが、今じゃアお前、横須賀で所帯をもち、奥様といわれ立派になってるよ、まア物ごとは凡《すべ》て左様《そう》いうものでね、この稼業《なか》で惚れた腫れたで一緒になったものは兎角お互に我儘が出て、末始終を添い遂げられるものでないからね、お前もよくそこのところを考えて海上さんに身請され、気楽に暮すが当世だろうぜ、え、花魁、何うだね、分ったろうね」
 花「はい」
 楼「分ったら、身請されて廃業するだろうね」
 花「旦那さんを始めとして皆さん方も、いろ/\と御親切に仰ゃって下さいますが、こればかりは御勘弁遊ばして、何うかこのまゝ」
 と申しながら、はや得《え》堪《た》えずなりましたやら、ワッと泣き伏しますので、楼主もいよ/\呆れ、強情にも程のあったものだ、其の身の為を思って意見してやるを無にして我《が》を通そうとするが面にくいといら/\として参ッたので、常にはなか/\思慮ある楼主でげすが、斯うしたときは我を忘れるもので、傍《かたわ》らにござりました延《のべ》の長煙管を取るも遅しと、花里を丁々
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