て三味線弾くこともありますが、或日の事でございました、お若さんが生垣のうちで掃除をして居りますと、件《くだん》の門付は三味線を抱えて例《いつも》の通り遣って参り、不審そうに垣の内をのぞきこんで、頻《しき》りと首をかたげて思案をいたして居りましたが、また伸上って一生懸命に見ています。此方《こちら》のお若はそんな事は少しも知りませんで、セッセと掃除を了《おわ》り、ごみを塵取りに盛りながら、通りの賑《にぎや》かなのに気が注《つ》いてフイト顧盻《みかえ》りますと、此の頃|美男《びなん》と評判のはげしい一中節の門付が我を忘れて見ておりますから、尼さんにこそ成っていますものゝ未だ年も若く、修業の積んだ身というでもありませんから、パッと顔に紅葉《もみじ》を散らし※[#「※」は「つつみがまえ+夕」、第3水準1−14−76、452−5]々《そう/\》庵室に逃げこみました。左様《そう》すると門付も立去ったらしく三味線の音色が遠く聞えるようになりましたんで、お若の尼はドキン/\とうつ動悸《どうき》がやっと鎮まるにつけても、胸に手をおき考えれば考えるほど不思議で堪りません。何うも訝《おか》しいじゃないかあの門付、あんなに私を見ているというは訳がわからない、此方《こちら》の気のせいか知らんが、顔立といい年格好といい伊之助さんに悉皆《そっくり》なんだから、イヤ/\左様《そう》であるまい、あの人があんな門付に出るまで零落《おちぶれ》るということはない筈、あゝ怖《おそろ》しや/\又も狸か狐にだまされた日にゃア、再び伯父様に顔合せることが出来ないというもの、それにしても訝しい、あの時は此方《こっち》で伊之さんの事ばかり思っていて逢度《あいたい》々々とそればかりに気を揉んでいたから、畜生なんかに魅入られたんだけれど、今度はそうでない、私も心に懸らない事はないが、あゝいう事があっては、伊之助さんも愛想をつかしたろうと諦めちまったから[#「諦め〜」は底本では「締め〜」と誤記]、些《ちっ》ともそんな気はないに、今日のあの門付、何う考えて見ても不思議でならない、と悶え苦しんで居りましたが、あゝ左様《そう》だ、仮令《たとえ》どんな者が来ようと身を堅固にしていさえすれば恐いことも怖しいこともない、若《も》し明日《あした》来たら疾《と》くと見てやろう、此方《こちら》からお鳥目でもやる振《ふり》をして、と待っておりま
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