で煮炊《にたき》するにも及ばない、唯仏壇に向ってその身の懺悔のみいたして日を送っております。花で人が浮れても、お若は面白いこともなくて毎日勤行を怠らず後世《ごせ》安楽を祈っているので、近所ではお若の尼が殊勝《けなげ》なのを感心して、中にはその美しい顔に野心を抱《いだ》き、あれを還俗《げんぞく》させて島田に結《ゆわ》せたなら何様《どんな》であろう、なんかと碌でもない考えを起すものなどもござりました。丁度お若さんがこの庵《いおり》に籠《こも》る様になった頃より、毎日々々チャンと時間を極《きめ》て廻って来る門付《かどづけ》の物貰いがございまして、衣服《なり》も余り見苦しくはなく、洗いざらし物ではありますが双子《ふたこ》の着物におんなし羽織を引掛《ひっか》け、紺足袋に麻裏草履をはいております、顔は手拭で頬冠《ほゝかぶり》をした上へ編笠をかぶッてますから能くは見えませんが、何《なん》でも美男《いゝおとこ》だという評判が立ちますと、浮気ッぽい女なんかはあつかましくも編笠のうちを覗《のぞ》き、ワイ/\という噂が次第に高くなって参り、顔を見ようというあだじけない心からお鳥目を呉れる婦人が多いので、根岸へ来れば相応に貰いがあるから、それで毎日|此方《こっち》へ遣って参るというような訳になる。物貰とは申しますが、この美男はソッと人の門口に立ってお手元は御面倒さまなどとは云わないんで、お鳥目を貰う道具がござります。それは別に新発明の舶来機械でもなんでもないんで、唯一挺の三味線と咽喉《のど》を資本《もと》の門付という物貰いでございますが、昔は門付と申すとまア新内《しんない》に限ったように云いますし、また新内が一等いゝようでげすが、此の男の謡《うた》って来るものは門付には誠に移りの悪い一中節ですから、裏店《うらだな》小店《こだな》の神さん達が耳を喜ばせることはとても出来ませんが、美男と申すので惣菜《そうざい》のお銭《あし》をはしけて門付に施すという、とんだ不了簡な山の神なんかゞ出来て、井戸端の集会にも門付の噂が出ないことがないくらい。斯ういう不心得な女が多く姦通《まおとこ》なんかという道ならぬことを致すのでございましょう。一中節の門付はそんなことには些《ちっ》とも頓着《とんじゃく》はしませんで、時間を違《ちが》えず毎日廻ってまいり、お若さんの閉籠《とじこも》っている草庵《そうあん》の前に立っ
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