子供やこども、子供はよろしゅうございッて」
 勝「こいつが又馬鹿を吐《こ》きやがる、最《も》う承知がならねえ、野郎何うするか見アがれッ」
 と拳をふり上げますから、傍《そば》にいるものも笑って見てもいられません。
 △「まア何うしたんだ、勝も余《あん》まり大人気ねえじゃねえか、熊の悪口《わるくち》は知ッてながら、廃《よ》せッてえば、下《くだ》らねえ喧嘩するが外見《みえ》じゃアあるめえ」
 と仲裁をする騒ぎでございます。勝五郎は友達が笑いものになるまでに熱心になって、何うか晋齋の依頼《たのみ》を果そうと心懸けて居りまする。すると深川の森下に大芳《だいよし》と申して、大層巾のきく大工の棟梁がございますが、仲間うちでは芳太郎《よしたろう》と云うものはない。深川の天神様で通っている男で頗《すこぶ》る変人でげす。何事でも芸に秀でて名人上手と云われるものは何うも変人が多いようで、それも決して無理のない訳だろうと思われるんでございます。私《わたくし》どもが浅慮《あさはか》な考えから思って見ますると、早い例《たとえ》が、我々どもでも何か考えごとをして居りますときは、側で他人様《ひとさま》から話を仕掛けられましても精神が外《ほか》へ走《は》せて居りますので、その話が判然《はっきり》聞とれませんと申すようなもの、そこで御挨拶がトンチンカンとなる。そうすると彼奴《あいつ》まだ年も若いに耄碌《もうろく》しやがッたな、若耄碌なんかと仰ゃるような次第でげす。一寸《ちょっと》いたしたことが之《こ》れでございますから、物の上手とか名人とか立てられる人は必ずその技芸に熱心していろ/\の工夫を凝らしているもので、技芸に精神を奪われていますから、他《ほか》の事にはお留守になるがこりゃ当然《あたりまえ》の道理でござりましょうかと存じます。それで物事に茫然《ぼんやり》するように見えるんで、そこで変人様の名も起る訳であろうかと推量もいたされるでげす。大芳棟梁も矢張《やはり》この名人上手の中《うち》に数えらるゝ人ですから、何うも一風流変っておりますが、仕事にかけたら何《ど》んな大工さんが鯱鉾立《しゃちほこだち》して張り合っても叶《かな》いません。今では人呼んで今甚五郎と申す位の腕前でございます。それほどのお人ですから弟子は申すまでもなく多くある。何処《どこ》の棟梁手合でも大芳といえば一|目《もく》も二目もおいて
前へ 次へ
全79ページ中15ページ目


小説の先頭へ
文字数選び直し
三遊亭 円朝 の一覧に戻る
作家の選択に戻る
◆作家・作品検索◆
トップページ 登録 ご利用方法 ログイン
携帯用掲示板レンタル
携帯キャッシング