閧ワす。此方《こなた》は奉行所、一応吟味の上、
 奉行「悪漢無頼の曲者《くせもの》、殊に舅の仇《あだ》を討つは武士の嗜《たしな》み、天晴《あっぱれ》な手柄」
 というお誉《ほ》め言葉がありまして、早速帰宅を許されました。此の事がパッと世間に広まりまして、さア諸家から召抱《めしかゝ》えにまいること何人という数知れず、なれど文治は、
 文「手前は主取《しゅうと》りの望みはござらぬ、折を見て出家いたす心底《しんてい》でござる」
 と一々断りましたが、旧主堀丹波守殿よりの仰せは拒むに拒まれず、余儀なく隠居同様として親の元高《もとだか》三百八十石にてお抱えになりました。近頃まで御藩中に浪島という名跡《みょうせき》が残って居りました。又女房のお町は長命でありまして、文政年間の人でお町と知合《しりあい》の者も大分あったそうでござります。後の業平文治の敵討、これにて終局といたします。
  (拠時事新報社員速記)


底本:「圓朝全集 巻の四」近代文芸・資料複刻叢書、世界文庫
   1963(昭和38)年9月10日発行
底本の親本:「圓朝全集 巻の四」春陽堂
   1927(昭和2)年6月28日発行

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