コを挙げて、
 新「業平橋の旦那ア、業平橋の旦那ア」
 役「これ/\静かにしろ、控えろ」
 と突退けますので、此方《こっち》から潜《くゞ》って往《い》こうとしますると又突退けられます。向うに亥太郎と文治の姿が見えながら近寄ることが出来ませぬ。新兵衞はふと一策を案じて懐中から金入《かねいれ》を取出し、物をも云わず掴出《つかみだ[#「つかみだ」は底本では「つかだ」と誤記]》しては横目や同心に水向け致しまするが、同心どもは金の欲しいは山々なれども、仲間《ちゅうげん》や重役の前を憚《はゞか》って顔と顔を見合せて居ります。気が急《せ》かれます故、新兵衞は突然《いきなり》一分銀《いちぶぎん》を一掴みパラ/\と撒付《まきつ》けますと、それ金が降って来たと、餓虎《がこ》の肉を争う如く金を拾わんと争う間を駈抜けて文治の前へまいりまして、
 新「旦那様、お情ないお姿におなりなさいましたな」
 文「新兵衞殿、ようお出で下された、かく成り果《はつ》るも自業自得、致し方がござらぬ、最早出帆の時刻、お役人にお手数《てすう》をかけては相済まぬから、早くお帰り下さい」
 役「其の方《ほう》は何者じゃ、控えて居れ」
 新兵衞はホロ/\涙を流しながら、
 新「旦那様、これが一生のお別れかと思うと、何《ど》うも此の身体が……申上げたいことは山々ございますが、何から申上げて宜しいやら……これはお餞別《せんべつ》でござります、何うか御受納下さいますよう」
 と五十両の小判を文治の懐中へ入れようと致しまする。側に居ります同心は一応|検《あらた》めて罪人に渡しまするが掟《おきて》でございますから、横合《よこあい》から手を出して取ろうと致しますると、亥太郎が承知いたしませぬ。
 亥「やい同心、刃物や火道具じゃア有るめえし、引《ひ》ッ奪《たく》るには及ぶめえ、何《なん》だと思う金じゃアねえか、さア己《おれ》が検めて見せてやろう、此の通りだ、何も不都合はあるめえ、旦那、お懐《ふところ》へ入れますよ」
 文「新兵衞殿、何よりのお餞別、何時《いつ》に変らぬ御親切、御恩誼《ごおんぎ》は決して忘却致しませぬ」
 と言葉の切れぬ中《うち》に法螺貝《ほらがい》の音ブウ/\/\。文治が船に足を掛けるや否《いな》や、はや船は万年橋の河岸を離れました。船中に居ります罪人は何《いず》れも大胆不敵の曲者《くせもの》でありますが、流石《さすが》に面《おもて》に一種の愁《うれい》を帯び、総立《そうだち》に立上りまして、陸《おか》を見上げる体《てい》を見るより、河岸に居《お》る親戚故旧の人々はワッ/\と声を放って泣叫ぶ。その有様は宛《さなが》ら鼎《かなえ》の沸くが如く、中にもお町は悲哀胸に迫って欄干に掴《つか》まったまゝ忍び泣をして居りまする。さて三宅島は伊豆七島の中《うち》でありまして、最も罪人の沢山まいる処であります。先《ま》ず島へ船が着きますると、附添の役人は神着村《こうづきむら》大尽《だいじん》佐治右衞門《さじうえもん》へ泊るのが例でございます。此の島は伊豆七島の内で横縦《よこたて》三里、中央に大山《おおやま》という噴火山がありまして、島内は坪田《つぼた》村、阿古《あこ》村、神着村、伊豆村、伊ヶ島村の五つに分れ、七寺院ありて、戸数千三百余、陣屋は伊ヶ島に在《あ》りまして、伊豆国《いずのくに》韮山《にらやま》郡代官《ぐんだいかん》太郎左衞門《たろうざえもん》の支配、同組下五ヶ村名主|兼勤《けんきん》の森大藏《もりだいぞう》の下役頭《したやくがしら》平林勘藏《ひらばやしかんぞう》という者が罪人一同を預かり、翌日罪状と引合せて、それ/″\牢内に入れ置く例でございます、文治を乗せたる船が海上|恙《つゝが》なく三宅島へ着きますると、こゝに一条の騒動|出来《しゅったい》の次第は次回に申上げます。

  十四

 護送役人の下知《げじ》に従いまして、遠島の罪人一同上陸致しますると、図らずも彼方《あなた》に当りパッパッと砂煙《すなけむり》を蹴立《けた》って数多《あまた》の人が逃げて参ります。村方《むらかた》の家々にては慌《あわ》てゝ戸を閉じ子供は泣く、老人は杖《つえ》を棄てゝ逃《にげ》るという始末で、いやもう一方《ひとかた》ならぬ騒ぎでございます。何事か知らんと一同足を止めて見ますると、向うから罪人が四五十人、獲物《えもの》々々を携《たずさ》え、見るも恐ろしい姿で、四辺《あたり》に逃げ惑《まど》う老若男女《ろうにゃくなんにょ》を打敲《うちたゝ》くやら蹴飛《けと》ばすやら、容易ならぬ様子であります。中には刃物を持って居《お》る者もあります。此方《こなた》は数十人の役人、突棒《つくぼう》刺叉《さすまた》鉄棒《てつぼう》などを携えて、取押えようと必死になって働いて居りますが、何しろ死者狂《しにものぐるい》の罪人ども、荒
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