の留守宅へ知らせる事が出来ませぬ。漸《ようや》く其の日の夕方文治の宅へまいりまして、
 喜「えゝ頼みます」
 町「はい……おや藤原様でございますか、さア何《ど》うぞお上《あが》り下さいまし、まア暫《しばら》くでございました、何うぞ此方《こちら》へ」
 喜「存外御無沙汰いたしました」
 町「手前の方でも御存じの通り種々《いろ/\》心配がございますので、思いながら御無沙汰いたしました」
 という声も涙声、母には死なれ、頼みに思う夫は揚屋入《あがりやい》り、後《あと》に残るのは其の身一人ですから、思えばお町の身の上は気の毒なものでございます。

  十一

 喜代之助は云い出しにくそうに、
 喜「さて、今日《きょう》参りましたのは、えゝ……いや、どうも誠に御無沙汰いたした、就《つ》きましては……」
 町「もし藤原様、あなたは文治の事でお出《い》で下すったのではございませんか」
 喜「さゝ左様」
 町「さア何《ど》うなりました藤原様え……藤原様、文治が命に別状でもありはしませぬか、ねえ藤原様」
 喜「いえ、お命に別条はござらぬが、只《たゞ》……」
 町「藤原様、何《ど》うぞお早く仰しゃって下さいまし、もし文治が遠島にでも……」
 喜「左様、これが愈々《いよ/\》明日《みょうにち》になりました」
 町「えッ、いよ/\……」
 喜「はい」
 と暫く二人は俯向《うつむ》いたまゝ思案に暮れて居りましたが、やがてお町は心を取直しまして、
 町「藤原様え、明日《みょうにち》は何時頃《いつごろ》出帆《しゅっぱん》いたすのでございましょう、たしか万年橋《まんねんばし》から船が出るとか承わりましたが左様でございますか」
 喜「左様、あなたも嘸《さぞ》御心配なすったでしょうが、明日こそはお目に懸れます、併《しか》し私《わたくし》はお役柄の御近習《ごきんじゅ》ゆえ、役目に対して残念ながらお目に懸ることが出来ませぬ、あなたはお名残《なごり》のためお出でなさいまし、御近所まで私が御案内いたしましょう」
 町「はい、何《ど》うも致し方がございません、一目《ひとめ》……えゝ、もう止しましょうよ」
 喜「そりゃまた何故《なぜ》ですか」
 町「何故って貴方《あなた》、叱られますもの」
 喜「あゝ成程日頃の御気性をよく御存じでございますな、併《しか》し是が一生の……」
 町「左様でございますね、会って話は出来ませんでも、せめては……いや思い切りましょう、事に依《よ》ると生涯離縁するなどと……もう/\諦めましょう」
 と云う声さえも涙でございます。
 喜「それは御尤《ごもっとも》ですが、併し……はてな、何《ど》うしたら宜《よ》かろうか知らん」
 と倶《とも》に涙に暮れて居りますと、表の方《ほう》に
 「お頼み申します」
 町「はい、何方《どなた》で……おや亥太郎さんでございますか、さアお上りなさいまし」
 亥「えゝもう此処《こゝ》で宜《よろ》しゅうござります、御新造《ごしんぞ》様永々お世話になりましたが、明日《あした》私《わっち》やア遠方へまいります、また長《なげ》えことお目にかゝれません、へえ、ご、ご御機嫌よう、左様なら……」
 町「あゝもし亥太郎さん、まアお待ちなさい」
 亥「えゝ、もう」
 町「まア/\少しお待ちなさい、お顔色もお悪い様子で、何か変事でもございますか」
 亥「いゝえ別に」
 また、表の方で、
 「へえお頼み申します、國藏でございます」
 亥「やア國藏か」
 國「やア棟梁か、へえ御新造、御機嫌宜しゅうござんす、棟梁にも宜《い》い処でお目にかゝりました、まア当分お目にかゝれませんから、随分御機嫌よう、へえ左様なら、お暇《いとま》を……」
 亥「おい/\國藏待て、変なことを云うじゃねえか、己《おれ》も実は此方《こちら》へお暇に来たんだ、お前《めえ》は何処《どこ》へ往《い》くのだ」
 國「えゝ中々遠方でござんすまア当分お別れだ」
 亥「手前《てめえ》は明日万年橋へ……」
 と云いかけて暫《しばら》く四辺《あたり》を見廻し、
 「國藏、貴様も遣付《やっつ》ける積りか」
 國「棟梁、お前《めえ》も」
 亥「ウム、己も決心した」
 國「そんなら頼もしい」
 と眼と眼で示し合わして、
 両人「御新造様、御機嫌よう」
 町「まア/\お二人ともお待ちなさい、今|一言《いちごん》仰《おっし》ゃった万年橋というのは」
 二人「実は命を棄てましても」
 町「まアお二人とも」
 喜「こら/\お二人ともお控えなさい」
 二人「これは/\藤原様、お前《めえ》さんのお蔭様で旦那も命が助かりました、有難うござんした、さア直ぐお暇致しましょう」
 喜「まアお二人とも少しお待ちなさい、えゝ只今お二人がお蔭で旦那の命が助かりましたと仰しゃったが、その次第柄《しだいがら》は御存じで仰しゃったか
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