がら申上げます、逃げたとはお情ないお言葉でござります、たとい敵《かたき》の片割《かたわれ》数人を切殺すとも、目指す敵の蟠龍軒を討洩らし、其の儘相果て申すも残念至極でござります故、瓦をめくり草の根を分けても彼を尋ね出《いだ》し、遺恨を霽《はら》した其の上にて潔《いさぎよ》く切腹いたそうか、斯《か》くては卑怯《ひきょう》と云われようか、寧《いっ》そ此の場で切腹いたそうかと思案にくれて居りますところへ、何処《どこ》で聞付けましたか下男森松が駈付けまして、母の大病直ぐ帰るようにと急立《せきた》てられて、思わず帰宅|仕《つかまつ》りました、ところが案外の大病、母の看護に心を奪われ、思わず今日《こんにち》まで日を送りましたる次第、心から女々しき仕打を致しました訳ではございませぬ、文治の心底、御推量下さらば有難き次第に存じ奉ります」
 奉「ふうむ、確《しか》と左様か」
 文「恐れながら一言半句《いちごんはんく》たりとも上《かみ》を偽るような文治ではございませぬ、御推察を願います」
 奉「うむ、同心、源太郎を引け」
 同心「はゝっ、業平橋|三右衞門店《さんうえもんたな》源太郎、這入りませえ」
 奉「源太郎、其の方儀、去る十四日御老中松平右京殿御下城の折、手続きも履《ふ》まずお駕籠訴申上げ候段不届であるぞ」
 源「恐入ります、併《しか》し手前は町人の事にて何《なん》の弁《わきま》えもございませぬが、何の罪もない者に重罪を申付くるという御法《ごほう》がございましょうか」
 奉「黙れ今日《こんにち》其の方に尋ぬるは余の儀ではない、友之助が北割下水にて重傷を負い、其の方宅へ持込まれたと云うは何月何日じゃ」
 源「御意にございます、それは六月十四日の夕刻とおぼえて居ります」
 奉「確《しか》と左様か」
 源「はい」
 奉「其の時浪島文治郎は其の方宅へまいったか」
 源「はい、もう其の日の暮方《くれがた》でございましたが、急いで手前の宅へまいりまして、友之助は何処《どこ》に居《お》るかと申しますから、奥に寝たきり正体もございませんと申上げますと、誠に気の毒な事をしたと申しながら奥へまいって、何《ど》ういう訳で今日《こんにち》あのような目に遇《あ》ったか、事の概略《あらまし》は聞いて来たが、一通りお前の口から聞かしてくれと申しまして、あの悪党の蟠龍軒が無慈悲な為され方を聞いて居りました、そう云う訳では聞棄《きゝずて》にならぬ、これから蟠龍軒の処へ往って掛合《かけお》うて来ると申しますから、手前は彼《あ》のような悪人にお構いなさるなと強《た》って止めましたが、日頃の御気象、お肯入《きゝい》れもなく其の儘おいでになりました、其の時は何ういうお掛合をなすったか知りませんが、遇ったら聞こうと思って居りますと、其の翌晩、蟠龍軒の屋敷に四人の人殺しがあったという評判、只今承われば文治様の仕業だと申す事ですが、全く蟠龍軒の屋敷の者を斬殺《ざんさつ》しましたのは、諸人《しょにん》の為でございます、何卒《なにとぞ》お命だけはお助け下さいますよう願い奉ります」
 と文治のあさましき姿を見ては水洟《みずっぱな》を啜《すゝ》って居ります。
 奉「それに相違ないな」
 源「御意にございます」
 奉「文治郎、源太郎、追って呼出すゆえ神妙に控え居《お》ろうぞ」
 同心「立ちませえ」
 是にて吟味落着致しまして、諸役人評定の上、文治儀は死罪一等を減じて、改めて遠島を申付けるという事に決定いたしました。総じて罪人に仕置を申し渡しますのは朝に限ったものですが、尤《もっと》も牢名主へは其の前夜、明日《あす》は誰々が御年貢《ごねんぐ》ということを知らしたものでございます、そうすると牢名主の指図で、甲の者がお召《めし》になります時は、外《ほか》の罪人|二人《ににん》と共に髪を結わせ湯を使わせますから、事実|誰《たれ》がお召出しになるのか分りませぬ。銘々慾がありますから自分ではあるまいと思って居ります。さア其の日の朝になりますと、当人へ今日お年貢という事を申し聞けるや否や、すぐ切縄《きりなわ》と申しまして荒縄で縛って連れて行《ゆ》かれるのでございます。此の時は何様《どん》な悪人でも、是が此の世の見納めかと萎《しお》れ返らぬ者はありませぬ。其の昔罪人は日本橋を中央として、東国《とうごく》の者ならば小塚原《こづかっぱら》へ、西国《さいこく》の者ならば鈴ヶ森でお仕置になりますのが例でございます。で、鈴ヶ森へ往《ゆ》く罪人ならば南無妙法蓮華経《なむみょうほうれんげきょう》、また小塚原へ往く罪人ならば牢内の者が異口同音《いくどうおん》に南無阿弥陀仏《なむあみだぶつ》を唱《とな》えて見送ったそうでございます。さて文治遠島の次第は重役は勿論、右京殿家来藤原喜代之助も其の前日聞知りましたが、当番の都合にて直ぐ様文治
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