フでございます。
四十三
文治はお瀧の注進を聞きまして、飛立つばかり打悦び、
文「フーム、この十四日に蟠龍軒が權三郎方へ来るとな、辱《かたじ》けない、その大伴は十四日の何時《なんどき》頃来ますか、定めし御存じでしょうな」
女「多分昼前からまいるように申して居ったように聞きました、お帰りは確かに夕方《ゆうかた》と申しました」
文「この御親切は決して忘《わすれ》ませんぞ、さゝ、お前さんは人に心付かれぬように早くお帰り下さい、お礼は後《あと》で致します」
女「何《ど》う致しまして、そんなお心遣《こゝろづか》いには及びません、左様なら旦那様、追ってまた私《わたくし》からお礼をいたします」
文「それこそ無用、これが何よりの礼だ、この文治は生れてより是れ程悦ばしいお礼を受けた事はござらぬ、千万辱けのう存じます」
と両手を支《つ》いて居ります。
女「旦那様、それでは恐入ります、何《ど》うぞお手をお上げ下さいまし」
文「御主人……御主人」
主「はい/\、すっかり聞きました、さアお使《つかい》なら何処《どこ》へでもまいります」
文「御老人を使うは心ないようでござるが、大切の使、外《ほか》の者に頼むわけにまいらぬから、御苦労でも一寸《ちょっと》松平右京殿のお屋敷まで」
主「はい、あの藤原喜代之助様のお屋敷」
文「左様、この手紙を御持参下さい」
主[#「主」は底本では「文」と誤記]「へえ/\畏《かしこま》りました」
ところへまた亥太郎が参りまして、
亥「へえ、亥太郎でございます」
文「おゝ、亥太郎殿か、さア/\此方《こちら》へ」
亥「まア御機嫌ようござんす」
文「亥太郎殿、一寸《ちょっと》奥へ……さて亥太郎殿、文治が改めて申入れる」
亥「へえ、何事でござんすか」
文「これまで永らく兄弟同様の縁を結びまして何から何までお世話にあずかりましたが、此の後《ご》この文治の頼むことを屹度《きっと》お聞済み下さるか」
亥「さりとは又改まった御口上《ごこうじょう》、へえ旦那のいう事なら何《なん》でも聞きましょう、命に懸けても」
文「千万辱けのう存じます、さて亥太郎殿、かく申す文治は此の度《たび》一生に一度の悦ばしい事が出来ました」
亥「そいつア有難《ありがて》え」
文「その悦びと申すは外《ほか》ではない、敵《かたき》蟠龍軒が壮健で居りますぞ」
亥「へえ、それは/\」
文「一両日中に此の近辺で対面致します」
亥「あの蟠龍軒に、そいつア有難え、野郎め、其の時こそなぶり殺《ころ》しに」
文「それでござる、其の時お助太刀《すけだち》は誓って御無用でござりますぞ」
亥「やッ、それ計《ばか》りは旦那聞かれません、今まで彼奴《あいつ》の為に何《ど》の位《くれえ》苦労をしたか知れやしねえ」
文「いやさ、其処《そこ》がお頼みだ、武士の敵討に他人の力を借りたとあっては後世の物笑いになります、今まで文治が苦労をした甲斐がありません、さア此の道理を聞分けて、御心情はお察し申すが必らず助太刀して下さるな」
亥「へえ/\分りやした、そんなら宜《よ》うござんす、併《しか》し唯《たゞ》見ているだけなら宜うござんしょう」
文「それは御勝手、成るべく遠くへ離れて御覧下さい」
亥「併し先方に助太刀があれば」
文「いや、それも御無用」
亥「それじゃア旦那|余《あんま》りじゃアねえか」
文「はい、痩《やせ》ても枯れても文治は侍でござります」
亥「そりゃア云わずと分って居ます、それじゃア皆《みんな》に断らずばなるまい」
文「どうぞ宜しく頼む、なるたけ人に知れぬよう、万一逃がしたら百日の何《なん》とやら、そう事が分ったら一盃《いっぱい》やりましょう、これ町や」
亥「いや、私《わっち》ア酒は絶って居りますから」
文「はて、それは又|何故《なぜ》に」
亥「それだから少しゃア手伝わして下さいと云うんです」
文「いや、それ程に思ってくれる御親切は辱けないが、武士の面目《めんぼく》に関わるから」
亥「えゝ宜《よ》うがす、御機嫌宜う、十四日にゃア一生に一度の楽《たのし》み、早朝から見物にまいりやしょう」
文「左様なら」
亥太郎は表へ出まして、
亥「あゝ、いつに変らぬ武士の魂、当世に二人とねえ男だなア」
入れ違いに藤原喜代之助が入って参りまして、
喜「文治殿、藤原でござります、先程から亥太郎殿がおいでの様子ゆえ少々控えて居りました、数年御苦労の甲斐あって此度《こんど》の悦び、お察し申上げます」
文「ようこそお出で下さいました、是に過ぎたる悦びはござりません、今日までの御助力有難うぞんじます」
喜「時に文治殿、予《かね》てお話の小野|氏《うじ》の脇差、中身は確か彦四郎定宗と覚え居りますが、拵《こしら》えは何《なん》
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