t、一筋道に立塞《たちふさ》がり、
門人「どッこい、そう肯《うま》くはいかんぞ」
と取押える後《うしろ》から追い来《きた》りし蟠龍軒、お町を取って引据《ひきす》え、と見ると心の迷いか、小野庄左衞門の娘の顔だちと少しも違いませぬ、心の中《うち》に、
大「はて、よく似た女子《おなご》もあるものだ、併《しか》し彼がこんな山奥に来よう訳もない、寧《いっ》そ打明けて蟠龍軒と云おうか、いや/\桜の馬場でお町の親父《おやじ》庄左衞門を殺し、脛《すね》に疵《きず》持つ此の身、迂濶《うかつ》なことは云えぬわい、他人の空似《そらに》ということはあるが、真実庄左衞門の娘かも知れぬ」
と思いました故、さあらぬ体《てい》にて、
蟠「これ/\女中、お前は何処《どこ》の者だか知らんがな、拙者の眼には都の者としか見えぬ、拙者も元は江戸の者だ、難儀なことがあるならば何処までもお貢《みつ》ぎ申そう、これ/\女中、そんなに力を出しても……これ門弟、えゝ気の利かぬ奴らだな、手伝《てづた》えというのではない、何をまご/\して居《お》るのだ、予《かね》て貴様たちに言付けて置いたではないか」
門弟二人は頷《うなず》きまして、
「左様々々、まア名主、そなたも我らと一緒にまいれ」
と無理に連立って此方《こなた》へまいりました後《あと》で、
蟠「これ女中、もう其許《そこもと》が何程|※[#「※」は「あしへん+宛」、388−6]《もが》いても逃すもんじゃアない」
町「あなた、何《ど》うぞ御免下さいまし」
蟠「分らん奴だな、えゝ面倒な、じたばたすると斯様《かよう》いたすぞ」
とお町を其の場に押倒し、其の上に乗し掛って、
蟠「さア何《ど》うだ、今更何うも斯《こ》うもねえ」
今はお町も一生懸命、用意の懐剣を取出そうと致しますると、
蟠「やア此奴《こいつ》め、刃物を持って居やがるな」
ぎゅッと其の手を押え付けました。
町「あいたゝ/\」
蟠「さアこれでもか、何《ど》うだ/\」
と無理|強談《ごうだん》、折柄《おりから》暮方《くれかた》の木蔭よりむっくり黒山の如き大熊が現われ出でゝ、蟠龍軒が振上げた手首をむんずと引ッ掴《つか》み、どうと傍《かたえ》に引倒しました。思いがけなき熊の助勢にお町は九死《きゅうし》の境《さかい》を遁《のが》れ、熊の脊に負われて山奥深く逃げ延びました。何時《いつ》まで経っても先生が帰って来る様子がございませんから、二人の門人は気遣いながら、名主同道にて引返してまいりますると、こは如何《いか》に、先生が樹《き》の根方《ねがた》に倒れて居ります。恟《びっく》り驚いて、
門「やア先生が倒れて居《お》る、先生々々、何《ど》うなすった、やッこりゃ大変、先生が気絶して居る、これ名主、水を、早く/\」
二人の介抱で蟠龍軒は漸《ようや》く心付きました。
門「先生、お気が付きましたか」
蟠「いや何《ど》うも飛んだ目に逢《お》うた」
門「何うなさいました彼《あ》の女は」
蟠「とうとう逃げられてしまった」
門「馬鹿々々しいなア、併《しか》し先生、あの婦人は全く船中でお話のあった庄左衞門の娘お町と申す者でございましょう」
蟠「まったくお町に相違ない、相違ないが、何《ど》うして斯様《こん》な山奥へ来て居《お》るか、それが分らぬ、併し筆蹟と云い顔形《かおかたち》といい、確かにお町に相違ない」
門「そりゃア惜《おし》いことをしましたなア、やア先生、大層お手から血が出ているじゃア有りませんか」
蟠「実はこれがために気絶したのじゃ」
門「あのお町が喰付いたのですか」
蟠「いや/\何か其処《そこ》らに居りはせぬ[#「ぬ」は底本では「ね」と誤記]か」
と云われて門人二人は、「何が/\」と云いつゝ五六|間《けん》先へまいりますと、山のような真ッ黒な物がむず/\/\。
門「やゝッ/\……やゝッ……熊だ」
と叫びながら一同其の場を逃去りました。
三十八
お町は熊に助けられて山深く逃げ延びましたが、身を寄せる処は勿論、食物《くいもの》もございませんから、進退いよ/\谷《きわ》まりました。その辺《あたり》を打見ますと、樵夫《きこり》の小屋か但しは僧侶が坐禅でもいたしたのか、家の形をなして、漸《ようや》く雨露《うろ》を凌《しの》ぐぐらいの小屋があります。
町「たとえ此の山奥で餓死《うえじに》するとも野天《のでん》で自殺は後日の物笑い、何者の住《すま》いかは知らぬが、少々お椽《えん》を拝借いたします、南無阿弥陀仏/\」
と静かに坐を占めまして、何方《どっち》が江戸か分りませぬが、
町「亡《な》き御両親様、此の身が此の世に出でし幼き時より、朝夕の艱難苦労《かんなんくろう》あそばしてお育て下さりました甲斐もなく、無事で亡き魂《たま》をお弔
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