ョれえ書くものはねえだ、まアその形《なり》じゃア仕様がねえだ、これ婆《ばゞ》アどん、女の着るもんが有るなら出してくんろ、さア熊女、この着物を着るが宜《い》いだ」
町「はい、有難う存じます、そのお寺と申すは余程山奥でございましょうか」
紋「なアに、山ア一つ越すべえで、そうさ、これから十丁もあるかな」
町「そうでございますか、私は其の山奥が大好《だいすき》でございます」
喜「ひやア山奥が好きだてえぞ、それい/\化物だんべえ」
町「なるたけ人の目に掛らんのが宜しいのでございます」
田舎|殊《こと》に山間の僻村《へきそん》では別に手習師匠もござりませんので、寺の住持が片手間に教えて居ります。その住持も近頃居りませんので、お町は日々《にち/\》子供を相手にして、せい/″\仮名尽《かなづくし》や名頭《ながしら》ぐらいを指南して居ります。偶《たま》には歌などを書くことも有ります。何しろ熊女が書いたというので土地では大《おお》評判、新潟あたりへ聞えることもござります。一日《いちじつ》名主紋左衞門が寺へやってまいりまして、
紋「ひやア御免下せえまし」
町「これは/\名主様、ようお出でなさいました、さア何《ど》うか此方《こちら》へお通り下さいまし」
名「夕方《ゆうかた》、人の家《うち》へ来るでもねえが、急用あってめえりました」
町「急用とは何事でございましょう」
紋「先ず話をしねえば分らねえだ、此の間中新潟の沖に親船が居りやしたが、それが海賊だという事でな、その船の側に来る船は矢鱈に鉄砲を撃掛けたり、新潟あたりの旅人を欺《だま》しちゃア親船に連れだって、素《す》ッ裸体《ぱだか》に剥ぎ取って、海に投《ほう》り込むてえ話だ、さア御領主様も容易ならねえ海賊だてえんで、御人数《ごにんず》を出しても、海の中から飛道具で手向いするもんだに依《よ》って、何《ど》うにも手に負えねえてんだ、そこで御領主様から誰か船の中へ忍び込んで討取る者へは褒美を出すてえ触《ふれ》が出ただ、すると此の頃江戸から武者修行だと云って来ていた二人の侍が、その親船へ乗込んで海賊の親方を叩ッ切って、船へ火イ掛けやして、泥坊を根絶《ねだや》しにしただ、何と強《つえ》え侍じゃねえか、大層お役所から御褒美を貰ったそうだが、その剣術の先生が今日わざ/\己《おら》ア処へやって来ただ」
町「へえ、江戸表の剣術の先生でございますか」
と首を傾けました。
三十七
紋左衞門は一服吸って煙草盆を叩きながら、
紋「その剣術の先生様がな、お前様《めえさま》の字イ書くのを見て、此の女ア只者《たゞもの》じゃア無《ね》えちゅうて、わざ/″\越後からお前様に会いにござらしって、私《わし》が家《うち》にいるだ、悪い事アあんめえから、ちょッくら私が家へござらっしゃい」
お町は暫く考えて居りましたが、
町「えゝ其の先生と申すのは、まったく江戸のお方でございますか」
紋「言葉の様子では全く江戸のお方に相違ねえだ」
時にお町は、
「その剣術の先生というのは若《も》しや蟠龍軒ではないか知らん、まこと蟠龍軒にしたところが、夫の誡《いまし》めもあるゆえ我身一人で手出しはならぬ、また蟠龍軒にあらずとも、江戸のお侍に此の今の姿を見られるのも心苦しい」
と思いまして、
町「はい、あなたの御親切はまことに辱《かたじけ》のうございますが、零落《おちぶ》れ果てたる此の姿、誰方《どなた》かは存じませぬが、江戸のお侍に会いますのは心苦しゅうございます、何卒《どうぞ》お断り下さいまし」
紋「いや、それは宜《よ》くあんめえ、たとえ昔は何様《どん》な身分だっても今は今じゃねえか、海賊を退治して御領主様から莫大《ばくだい》の御褒美を頂きなすった位の大先生だ、会って悪いこともあんめえから、会うが宜《よ》いじゃねえか、事に依《よ》って金でも呉れさしったら、その金で路用も出来るてえもんだ、二つにはまた我《わ》が亭主の居所も知れるかも知れねえだ、そんな因業《いんごう》なことを云わねえで、私《わし》と一緒に往《い》かっせえ」
町「いゝえ、思召《おぼしめし》は有難う存じますが、お断り申します」
紋「まア然《そ》う云わねえでござらっしゃい」
町「此の儀ばかりは何《ど》うぞお免《ゆる》し下さいまし」
と押問答して居りますると、表の方《ほう》にて大伴蟠龍軒|外《ほか》二人《ににん》が、
「えゝ、そんな事であろうと思って、表に立って聞いていた、御免よ」
と押取刀《おっとりがたな》で入ってまいりました。お町は素《もと》より顔を知らぬものですから、蟠龍軒とは心付かず、
町「いゝえ、お恥かしゅうござんす」
と裏口から逃出しました。
大「それッ」
と云うより早く、遠見《とおみ》に張って居りました門弟|一人《いちにん
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