フ親方でございましょう。
 猟人「やア喜右衞門《きえもん》どん、今なア二居ヶ峰にえれえ事がありやしたア、己《おら》アとな彌右衞門《やえもん》と二人での、帰《けえ》るべえと思ったら、えれえ熊ア出やした、撃《ぶ》つべえと思うと、側に女さア附いているだて撃つことが出来ねえだ、己ア大《でけ》え声で、女郎《めろう》退《ど》けやアと喚《がな》っても退かねえでな、手を合せて助けてくれちッて泣くでえ、女郎退かねえば撃《ぶ》っ殺すぞと云っても逃げねえだ、彌右衞門め腹ア立って、彼奴《あいつ》は化物だんべえから熊と一緒に撃つべえと云うだ、そんだから己ア後《あと》でまたお前《めえ》におっ叱《ちか》られると詰《つま》んねえだから、一走《ひとッぱし》り往って喜右衞門どんに聞いて来《く》べえと云って、此処《こゝ》へ来る途中で鉄砲が鳴りやした、多分彌右衞門め、己《おら》の帰《けえ》りを待たねえで撃ったんだんべえ、何《なん》ぼ何《なん》でも喜右衞門どん、人間を撃っちゃア悪かんべえな」
 喜「悪いとも/\、たとい間違いでも人を撃《ぶ》っ殺すと、自分の首さアおっ飛ぶぞ」
 猟「やア、そりゃ困った事が出来たな」
 と両人《ふたり》は顔をしかめて居ります。

  三十六

 猟人《かりゅうど》二人が案じて居りますところへ、見馴れぬ女が尋ねてまいりまして、
 女「はい、御免下さいまし」
 一人の猟人は消魂《けたゝま》しく、
 猟「やアあの化物がやって来た」
 喜「馬鹿野郎、そんなに騒ぐもんじゃア無《ね》え」
 流石《さすが》に猟師の親方だけあって落着いたもの。言葉静かに、
 喜「一体お前様《めえさん》は何《なん》でがすえ」
 女「はい、私は仔細あって昨年|夫婦連《ふうふづれ》にて旅行の途中、二三里あとの山中にて山賊に逢いまして、連合《つれあい》の者は行方知れず、私は二人の山賊に追われます途端、幸か不幸か、思いがけなく熊の穴へ落ちまして、其の熊に囓み殺されることかと思いの外《ほか》、却《かえ》って熊のために助けられまして、今まで命を存《ながら》えて居りました、不憫《ふびん》と思召して何《ど》うぞお助け下さいまし」
 喜「何しろ怖《おっ》かねえ姿《なり》だなア、化物じゃアあるめえなア」
 女「決して怪しい者ではござりません」
 喜「はア、そんじゃアお前《めえ》は何処《どこ》の国の者で、名ア何《なん》ちゅうのか其処《そこ》え書《つ》けて見なせえ」
 猟「成程、喜右衞門どんが云わっしゃる通り、字イ書くが一番|宜《い》いだ、さア化物、字イ書けやア」
 喜「紙イ無《ね》えが、六郎どんが置いて往った筆えあるから、これで書かっせえ」
 女「私は江戸の者で」
 喜「まアそんな事は後《あと》で宜《い》いから早く字を書かっせえ」
 女「はい」
 と筆を執《と》りまして古今集の中の
    我が恋は行方も知らず果《はて》もなし
        逢ふを限りと思ふばかりぞ
 本所業平橋|際《ぎわ》某《ぼう》と書きました。
 猟「それが汝《われ》が名けえ、馬鹿に長《なげ》え名だなア」
 女「いゝえ、これは私が子供の時習いおぼえました古い歌でございます」
 猟「やア歌きゃア、そんなら汝《われ》え唄え、己《おら》ア踊るべえ」
 喜「馬鹿野郎、汝《われ》が踊るような歌とは違わア、汝《われ》イえれえ字イ書くだなア、これじゃアはア人間だんべえ、こんな字イ書くもなア己《おら》が村に無《ね》えだ、名主どんに見せべえ」
 喜右衞門が其の書いた物を持参しまして、其の村の名主に見せますと、
 名主「やアこりゃア能《い》い書《て》じゃア、喜右衞門、なぜ其の女を連れて来ねえか」
 喜「己《おれ》はア連れて来《く》べえと思っただが、出し抜けに連れて来てほざかれると詰らねえだから、連れて来《き》ねえだ」
 これからお町を同道致しまして名主の宅へ連れてまいりますると、
 名「さア此方《こちら》へお上りなせえ、さぞ難儀しなすったんべえ」
 町「これは御丁寧な御挨拶で恐入ります」
 喜「ひやアこれ女子《おなご》、こりゃ此の村の名主の紋左衞門《もんざえもん》様で、よく頼まっしゃい」
 町「有難うございます」
 紋「お前《めえ》らが熊女《くまおんな》先生でがすかねえ、何処《どこ》の者にしろ、金がねえば仕様がねえで、村でも何《ど》うかしべえから心配《しんぺえ》しねえで居《お》るが宜《い》いだ、此の村の奥へ十丁べえ参《めえ》りやすと寺があるだ、此の頃尼が死《しに》やして子供らア字イ書くことがなんねえで、手におえねえが、淋しかんべえが旅金《たびがね》の出来るまで子供らに字イ書くことを教《おせ》えてくんろ」
 町「御親切に有難うございますが、人さまに字を教えるなどという手前ではございません」
 紋「そうでねえ、この界隈《かいわい》にお前《めえ》
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