轤ク、世のため人のため、天に代って誅戮《ちゅうりく》を加えたるに過ぎざれど、其の職其の身にもあらぬため却《かえ》って罪となりつるか、かゝる無人島に彷徨《うろつ》いて徒《いたず》らに乾殺され、後世人の笑いを受けるより、寧《いっ》そ此の場に切腹して潔《いさぎよ》く相果て申さん」
と覚悟いたしましたが、また思い直して、
文「いや、見す/\蟠龍軒|似寄《により》の者が、新潟の沖なる親船に忍んで居《お》ると聞きながら、武士と生れて一太刀《ひとたち》怨《うら》みもせず、此の儘死ぬるも残念至極、また女房とても生死の程も分らぬ中《うち》に、空しく無人島の鬼と化したる其の後《のち》に、それと知ったなら嘸《さぞ》かし我身を恨むであろう、さぞや蟠龍軒が笑うであろう、こりゃ土を喰っても死なれぬわい、よし/\二人の舟子《ふなこ》の衣類を剥《は》いで、船の修覆《しゅふく》の材料となし、獣類魚類さては木の実を捜して命を繋《つな》ぐ工夫が肝腎《かんじん》、ウム、向うに見えるは鳥なるべし」
とやおら身を起して腕に覚えの一礫《ひとつぶて》、見事に中《あた》って白鳥一羽|撃留《うちと》めました。やれ嬉しやと切石《きりいし》を拾うて脇差の柄《つか》に打付け、袂《たもと》にあり合う綿に火を移し、枯枝にその火を掛けて焚火《たきび》をなし、また樹《き》の枝を折って樹から樹を柱に、屋根をこしらえて雨露《あめつゆ》を凌《しの》ぐの棲家《すみか》となし、先ず其の日暮しの用意は出来ました。
文「これで先ず露命を繋《つな》ぐ趣向が出来たというもの、此の上は一日《いちじつ》も早く此の島を脱《ぬ》け出《い》でて、再び蟠龍軒に廻《めぐ》り合い、武士の嗜《たしな》み思う存分に敵《かたき》を討たなければならぬ、あゝ/\我は斯《か》かる無人の島に漂うて辛うじて命を継《つな》ぎ居《お》るに、仇《あだ》は日々夜々《ひゞよゝ》に歓楽を極めて居《お》ることであろう、實《げ》に浮世とは申しながら、天はさま/″\に人を操《あやつ》るものかな、蟠龍軒よ、此の方《ほう》が再び廻り合うまでは達者で居れよ、我妻《わがつま》もまた此の世に居らば何《ど》うぞ無事で居てくれよ」
と心の中《うち》に祈らぬ日とてはござりませぬ。別に話し相手というもなく、只《た》だ船を繕《つくろ》うことにのみ屈托《くったく》して居りまする。折々《おり/\》木を切り魚《うお》を捕《と》りますごとに、思わず、
文「汝《おのれ》蟠龍軒、切って/\切殺しくれん」
と大声《たいせい》に呼《よば》わりましては又我に返り、
文「これで思いが届かねば、人と生れた甲斐もなし、蟠龍軒達者で居れよ」
と云う折しも、木蔭《こかげ》に怪しき声ありて、「達者で居れ」という。文治は暫く四辺《あたり》を見廻しまして、
文「さては何者か、我が哀れ果敢《はか》なき境涯を見て笑うものと見えるわい」
と体《たい》を潜めて様子を窺《うかゞ》って居りましたが、別に怪しい様子もござりませぬ。
文「はて、不思議なこともあるものだ、達者で居れと己《おれ》の口真似をしたのは何者か知らん、まさか夢ではあるまい」
と段々山深く入込《いりこ》んで、彼方《あちら》此方《こちら》を尋ね廻りますると、高き樹の上に一筋の矢が刺さって居りまする。
三十三
文治は端《はし》なくも樹の上に征矢《そや》を認め、
文「はて、彼処《あすこ》に矢の刺さっている処を見れば、今は人が居ないにしても、我のように漂うて来た者があるに違いない」
と独語《ひとりごと》をいいながら其の樹に攀登《よじのぼ》り、矢を抜いて見ますと、最早竹の性《しょう》は脱《ぬ》けて枯枝同然、三四年も前から雨曝《あまざら》しになっていたものと見えて、ぽき/\と折れまする。文治は窃《そ》ッとこれを抜取りまして、
文「チエ…有難や、これこそ確かに人の造りし征矢、案に違《たが》わず此の島は折々|四辺《あたり》の島人《しまびと》の訪い来る島に相違ない、たとい其の島人が鬼であろうが蛇《じゃ》であろうが、事を分けて話したら、よもや頼みにならぬ事もあるまじ、やれ嬉しや、やッ……それ/\、今達者でおれと口真似をしたのは其の島人にはあらざるか、但《たゞ》し心の迷いかは知らぬが、かゝる矢種《やだね》のあるからには、何時《いつ》しか人の来るに相違ない、あゝ有難い/\」
また木蔭に声ありて、
「あゝ有難い/\」
文「いや、今のは確かに……」
と四辺《あたり》を見ますと、一羽の鸚鵡《おうむ》がつくねんと樹の叉《また》に蹲《うずく》まって居りまする。文治は心中に、「さては鸚鵡でありしか」と我ながら可笑《おか》しさに耐えず、
文「達者で居れ」
鸚「達者で居れ」
文「馬鹿野郎」
鸚「馬鹿野郎」
なか/\よく人の真似を致します。
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