文「やッ、これは面白い」
と其の鳥を押えますと、平生人の居りませぬ島でありますから、少しも人を恐がる様子もなく、馴々しく手の上へも止ります。
文「これは好《よ》い鳥を見付けたわい」
とそれから二三の鸚鵡を押えて、住居《すまい》へ持帰りまして、「旦那様か、お町でございます」などと口真似をさせるのが何よりの楽《たのし》み。日々鸚鵡を話相手同様にして其の日/\を送って居りましたが、何分にも島には虫が多く居りまして、少しも火を絶やすことが出来ませぬ、昼夜とも焚火をして其の側に寝起《ねおき》して居りまする。虫が多いくらいですから、夏は随分暑うございますが、冬は案外暖かく、寒中でも四月頃の陽気であります。月日の絶《た》つのは早いもので、早くも一箇年《いっかねん》を過ぎました。待てど暮せど人も来ず、身の上にも別に変りたる事もなく、食物《しょくもつ》を漁《あさ》るの外《ほか》は日々船繕いに余念なく、無事に大海《たいかい》へ乗出すことの出来るようにと工夫する外には何《なん》の考えもございませぬ。此の島へ上《あが》ってから最早《もう》一年余になりますから、着物は切れ、髯《ひげ》はぼう/\として、何《ど》う見ても人間とは思われませぬ。今日も船繕いに疲れて、夜《よ》に入《い》り木の実などを食べて、例の通り焚火の端に打倒れて一寝入りいたしますると、何者にや枕元に立って揺り起すものがあります。文治はがばと撥起《はねお》き、
文「いや、其の方は何人《なにびと》じゃ、おゝ、お町ではないか」
町「はい旦那様、ようお達者でおいで下さいました、お懐かしゅうございます」
文「ウム、町や、そちも達者でいてくれたか、まア何《ど》うして斯様《かよう》な処へまいりしぞ、して能《よ》く私《わし》の居《お》る処が知れたの」
町「はい、あの峠で端なくも貴方にお別れ申してから、さま/″\の艱難辛苦《かんなんしんく》をいたしましたが、それでも神様のお助けで、虎の顎《あぎと》を遁《のが》れまして、再び貴方にお目に懸ることが出来ました、これと云うのも矢張《やっぱり》神様のお助けでございます」
文「まア何は扨置《さてお》き、明暮《あけくれ》其方《そち》のことを案じぬ日とてはなかった、宜《よ》く達者でいてくれた、人も通わぬ無人島、再び其方に逢うというのは斯《こ》んな嬉しいことはない」
町「はい、貴方もお達者で」
と後《あと》は涙に物云わせ、暫《しば》し文治の顔を見詰めて居りますと、文治も堪《こら》え兼て熱い涙を流しながら、お町の手を握って引寄せますると、足もとから長さ三尺にも余ります蛇《くちなわ》がのたりを打ってずる/\/\。お町は驚いて、「あれッ」と夫に凭《もた》れかゝりますと、
文「町や、こんな事は毎日の事じゃ、何《ど》うも致しはせぬ、お町々々」
と呼べども答えはございませぬ。文治は眼をこすりながら、
文「えゝ、また夢か、馬鹿々々しい」
総身の汗を拭いまして、
文「もう夜《よ》が明けたのか、誠や聖人に夢なしとか、心の清らかなる人に夢のあるべき筈はない、我は夜《よる》となく昼となく夢現《ゆめうつゝ》に心を痛め、さながら五臓を掻きむしらるゝの思い、武士の家に生れながら腑甲斐《ふがい》なし」
と我と我が心に愧《は》じて、焚火の辺《ほとり》にてほッと息を吐《つ》く折しもあれ、怪しや弦音《げんおん》高く一枝《いっし》の征矢は羽呻《はうな》りをなして、文治が顔のあたりを掠《かす》めて、向うの立木《たちき》に刺さりました。
文「やア今の夢といい、また矢の飛び来《きた》りしは此の身の助かる前兆か知らん、此の身が彼《あ》のまゝ寝ていたら、或は此の矢のためにあたら命を失ったかも知れぬ、妻の夢のため眼を覚せしところを見れば、定めしお町が八百万《やおよろず》の神々に此の身の無難を祈っているのであろう、あゝ辱《かたじけ》ない」
人情の常として、何《なん》に付けても思い出すのは女房子でございます。
文「あゝ危《あぶな》かった」
と思う間もなく、また二の矢がブウンと羽響きをなして飛んで来ました。文治はハッと身を拈《ひね》り、矢の来た辺《あたり》へ眼を付けて、
文「やア/\拙者は決して怪しい者ではないぞ、漂流いたして難儀の者、助けたまえ」
と声を限りに手を合せて助けを乞いましたが、弓取る人は、聾《つんぼ》か但《たゞ》しは言葉の通ぜぬためか、何程手を合わして頼み入っても肯入《きゝい》れず、又も飛び来る矢勢《やせい》鋭く、殊《こと》に矢頃近くなりましたから、憫《あわ》れむべし、文治は胸のあたりを射通されて其の儘打倒れました。
三十四
文治は図らずも二の矢を射られて倒れたまゝ、身動きもせず様子を窺《うかゞ》って居りますると、弓を提《さ》げたる島人《しまびと》が、小石を
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