か[#「あか」に傍点]掻をするんだ」
 文「これ/\重箱の毀《こわ》れぬよう静かにやってくれよ」
 暫くすると船の底の見えるように掻い干しました。
 吉「さア、これから船を動かす道具だ、何も彼《か》も皆《みん》な流して始末に往《い》かねえな、えゝ旦那え、此の木をお刀で割って下せえな、少し柄《え》の方を細く削って下さいまし」
 文「櫂をこしらえるのか、成程手頃の棒だ」
 と文治は脇差を抜きまして、
 文「こうか、これで宜《よ》いかな、これ/\手を出しては危い、さアこれで宜いだろう」
 庄「旦那ア、貴方《あなた》ア些《ちっ》たア道具ごしらえをやった事があると見えますな、それで結構でござりやす」
 文「これ/\船頭、遥か向うに黒く見えるものがあるが、ありゃ国か島か」
 両人は飛上って、
 「やア有難《ありがて》え、島だ/\」
 文「あの島は何処《どこ》だろう」
 庄「昨夜《ゆうべ》から大分暖かになりましたから、余程南へ流されて来たに違《ちげ》えねえ、何しろ新潟の河岸《かし》を離れてから昼夜三日目、事に依《よ》ったら唐《から》まで流されて来たかも知れねえなア」
 文「ウム、そうかも知れぬ、併《しか》し何処《どこ》の国でも人鬼《ひとおに》は居らぬ、こういう訳で難渋するからと頼んだら助けてくれぬ事もあるまい。さア一生懸命でやれ/\」
 文治も手伝って船を漕ぎますが、どうも手ごしらえの櫂といえば櫂、棒同然な物で大海《たいかい》を乗切《のっき》るのでありますから、虫の匍《は》うより遅く、そうかと思うと風の為に追返されますので、なか/\捗取《はかど》りませぬ。其の内に何処《どこ》かの岸へ近づきました。
 文「やれ/\信心のお蔭でいよ/\命が助かったぞ、おい船頭、何《ど》うぞしたか」
 庄「ウム/\ウーム、旦那々々……旦那……苦しい、薬があるなら早く/\」
 吉「これ庄藏、確《しっ》かりしろえ」
 文「これ、庄藏とやら、気を確かり持てよ」
 と云いながら、手早く印籠《いんろう》より薬を取出して、汐水《しおみず》で庄藏の口に含ませましたが、もう口がきけませぬ、其処《そこ》ら辺《あたり》へ取付きまして苦しむ途端に、固まったような血をカッと吐きまして、其の儘息が絶えた様子。
 文「吉公、可愛相なことをしたの、とうとう死んでしまった、折角骨を折って此処《こゝ》まで漕付《こぎつ》けて、もう一丁も行《ゆ》けば国か島かへ上《あが》れるものを、一体|何《ど》うしたのか知らん」
 吉「今、私《わし》どもが喰った弁当は宿屋から呉れましたか、それとも小頭《こがしら》か、いやさ彼《あ》の相宿《あいやど》の者がくれたのですか」
 文「飛脚体《ひきゃくてい》の旅人が折角くれると云うから貰って来た」
 吉「えッ、あの相宿の飛脚から……やアしまった、秋田屋の印《しるし》の重箱だから、腹の減ったまぎれに油断して喰ったのが……」
 文「なに、油断して喰った、それじゃア相宿の飛脚は怪しい者か」
 吉「旦那、これが因果応報というのでござんしょう、何《なん》だか私《わっち》も腹が痛くなりました、済まねえが旦那|気付《きつけ》を一服下せえまし」
 文「やア其方《そち》も腹痛か」
 吉「旦那、大変な事をいたしました、真ッ平《ぴら》御免下せえまし、実は私《わっち》らは海賊の手下でござんす、あの旅人に姿を扮《やつ》していたなア小頭の八十松《やそまつ》という者で、貴方を親船へ連れて往って、懐中にある百両余りの金と大小衣服を剥ぎ取って、事に依《よ》ったら貴方をば手下にするか、殺すかしてと相談しましたが、一昨日《おとゝい》宿屋を出る時に手強《てごわ》い奴と思ったかして、弁当の中へ毒を入れたのでござんしょう、それとも知らず自分の弁当は流してしまい、旦那の持って居なさる弁当箱には秋田屋の印《しるし》がござんすから、二日|二夜《ふたよ》さの飢《ひも》じさに浮《うっ》かり喰ったのが天道様《てんとうさま》の罰《ばち》でござんしょう、旦那、宥《ゆる》して下せえまし」
 文「成程、分った、新潟を出る時に怪しい奴と思わぬでもないが、それ程の奴とは心付かなんだ、そう貴様が懺悔《ざんげ》するからは其方《そち》の罪は宥して遣《つか》わす、さア今少し薬を呑んで助かれ、庄藏とやらはとても助からんぞ」
 吉「旦那ア、私《わっち》も最早《もう》いけません、眼が眩《くら》んで旦那の顔さえ見えなくなりました」
 文「これ、吉とやら宜《よ》く聞けよ、生前に何《ど》の様な悪事を働いても、臨終《いまわ》の際《きわ》に其の罪を懺悔すれば、慈悲深き神様は其方《そち》の未来を加護し給うぞ、さらりと悪心を去って静かに命数の尽《つき》るを待て」
 吉「あ、あ、有難うがす、私《わっち》も今更|発心《ほっしん》しました、死ぬる命は惜《おし》みませぬ、何
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