ワすと、向うから一人《いちにん》の旅人、物をも云わず摺《す》れ違いました。文治は心にも懸けず遣《や》り過しましたが、二三丁まいりますと、一人《いちにん》の旅人が素《す》ッ裸体《ぱだか》で杉の樹《き》に縛《くゝ》り付けられ、身体は凍えて口もきけず、がた/″\震え上って居《お》る体《てい》を見るより、舁夫は、
「やア大変だ、旦那/\」
文治もこれを認めまして、
文「これ/\舁夫、その駕籠は二三|間《げん》先へ置けよ」
舁「成程、女中衆にこんな物を見せては」
と云いながら五六|間《けん》先へ駕籠を下《おろ》しまして、一人《いちにん》が附添い、一人《いちにん》が帰って来まして手を合せ、
舁「旦那様、何《ど》うぞ助けてやって下さいまし」
文「山賊の仕業《しわざ》と見えるな、何しろ恐ろしい奴もあるもんだな、これ舁夫、駕籠は何《ど》うした」
舁[#「舁」は底本では「文」と誤記]「へえ、直《じ》き其処《そこ》へ下しまして棒組|一人《ひとり》を附けて置きました、御安心なせえまし」
文「そうか」
と文治は手早く差添《さしぞえ》を抜き、その縄を切解《きりほど》きまして、
文[#「文」は底本では「舁」と誤記]「おい舁夫、水はないか、そこらに水溜りがあるなら手拭を霑《しめ》して来い」
舁「御覧の通り此処《こゝ》は山の上で、水は少しもありませんが、一体|何《ど》うしたんでしょう」
文「知れた事、追剥《おいはぎ》よ、何《なん》とかして水を見付けてくれんか」
舁「地蔵様の前に水がありますが、凍《こお》り切って居りやす」
文「その氷を持って来い」
文治は懐中より薬を取出し、旅人の口へ入れて氷を含ませ、
文「旅人々々」
と呼ばれて漸《ようや》く気が付きました。
旅「ウ、ウ、ウーム」
文「旅人、気が付いたか、確《しっ》かりしろ」
旅「有難う存じます」
文「定めし山賊の仕業であろうな」
旅「ウヽヽヽウ、おゝ苦しい」
文「金子も衣類も取られたか」
旅「皆取られてしまいました、今しがた二三の山賊が其処《そこ》らに居りました」
文「山中とは申しながら、日中《にっちゅう》旅人の衣類金銭を剥《は》ぐとは恐ろしい奴だなア」
旅「私《わっち》もこんな目に遇《あ》おうとは夢にも思いませんでした」
舁「これ旅人、その追剥は何方《どっち》へ逃げたか知らねえか」
文「いやさ舁夫、知れたところが己《おれ》が追掛けて往って捕まえるという訳にも往《ゆ》かぬ、併《しか》し其方《そち》も素ッ裸で、嘸《さぞ》寒かろう、あの舁夫、其方も裸体《はだか》同様だが、今の駕籠の中に少しの包《つゝみ》があるから持って来てくれんか」
舁「私《わっち》も寒さが身に泌《し》みて、動けそうもござりやせん」
文「そうか、それじゃア気の毒だ、そんなら一寸《ちょっと》己が往って来よう」
半丁ばかりまいりましたが、駕籠は何処《どこ》に在《あ》るのか影も形も見えませぬ。
文「お町や、お町」
と呼べども一向|応《こた》えはありませぬ。
文「何処《どこ》へ駕籠を下《おろ》したのか知らん、あの舁夫に聞いたら分るだろう」
と気遣いながら元の処へ引返《ひっかえ》してまいりますと、何《いず》れへ行ったか旅人も舁夫も居りませぬ。
文「さては奴らは山賊の同類か、して遣《や》られるとは浅はかな、汝《おのれ》、この分には棄置かぬぞ」
と又取って返してお町の乗りました駕籠の跡を追掛けてまいりましたが、いくら往《ゆ》きましても姿が見えませぬ。それも其の筈道が違いますので、駕籠は五六間先へ下《おろ》すや否や、待伏《まちぶせ》して居りました一人《いちにん》の盗賊が後棒《あとぼう》を担《かつ》ぎまして、
舁「えゝ御新造さま、旦那様は泥坊を捕《おさ》えると云って後《あと》に残っておいでなさいます、駕籠は二居の宿《しゅく》まで遣《や》って置けと仰しゃいましたぜ、さア棒組、急げ/\、少し雪がやって来たようだぜ」
と頻《しき》りに急いでまいりまする。
二十四
お町は舁夫のいうことが能《よ》く分りませぬから、
町「舁夫さん、旦那様は何《ど》う為されたと云うのです」
舁「あの、樹《き》に縛られて居た旅人の着物や金を取返してやると云って、盗人《ぬすびと》の跡を追掛《おっか》けて行かしった、もう今頃は浅貝あたりへお帰りになりましたろう、旦那の云うにゃア、奥様に斯《こ》んな物を見せちゃア悪いから、一足先へ二居までやってくれろと、こう仰しゃいました」
町「いえ/\、旦那より先へ往《ゆ》くことはなりません、どうぞ後《あと》へ返して下さい」
舁「まア折角旦那が先へやれと仰しゃってたものを、後へ帰ると泥坊が居りますよ」
町「いえ/\何が居ても構いません、後へ/\、何故そう急ぐのです、私
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