せ渡されました。併《しか》し其の申渡し書には御老中お月番《つきばん》の御印形が据《すわ》らなければ、切腹させる訳にはまいりませぬ。町奉行石川土佐守殿は文治の口供《こうきょう》ばかりではございませぬ、幾枚も一度に持参いたしますると、正面に松平右京殿その外《ほか》公用人御着席、それより余程|下《さが》って町奉行が組下《くみした》与力を従え、その口証を一々読上げて、公用人の手許《てもと》迄差出します。御老中はお手ずから印形の紐《ひも》を解くのが例でございます。其の紐の長さは一丈余もありまして、紐の先を御老中が持って居りますと、公用人が静かに印形を取出して奉行に渡し、奉行がこれを請取《うけと》って捺《お》すという掟《おきて》ですから中々暇が取れます。其の内にお退《ひけ》の時計が鳴りますと、直ぐ印形の紐を引きますから、捺しかけても後《あと》は次のお月番へ廻さなければなりませぬ。それが為に命の助かった例《ためし》もございます。だん/\捺してまいりまして愈々《いよ/\》文治の口供に移りますと、まだ公用人が手を掛けませぬ内に御老中が頻《しき》りに紐を引きますので、奉行は捺すことが出来ませぬ。再びお印形をと心の中《うち》に促しながら公用人の顔を見ますと、公用人も不思議に思いまして御老中のお顔を見上げました。けれどもお駕籠訴の一件がありますから、右京殿は不興気《ふきょうげ》に顔を反《そむ》けて居りますので、何が何《なん》だか一向訳が分りませぬ。暫く無言で睨《にら》み合って居ります内に、ちん/\とお退のお時計が鳴りました。右京殿は待っていたと云わぬばかりのお顔にて印形を手許に引寄せ、其の儘すっとお立ちに相成り、続いてお附添一同もお立ちになりました。余儀なく奉行も渋々立帰りましたが、何故《なにゆえ》に御老中が斯様《かよう》な計らいをするのか一向分りませぬ。何か仔細ある事と土佐守殿も智者《ちしゃ》でございますから、其の後《ご》外《ほか》御老中のお月番の時は、文治の口供を持ってまいるのを見合せまして、又々右京殿お月番の時に、前の如く文治の口供を持参いたしますると、矢張前の通り手間取って居りますので、到頭《とうとう》印形を捺すことが出来ませぬ。はて不思議な事と処分に困って居りますと、時のお月番右京殿より、「浪島文治郎|事《こと》業平文治儀は尚《な》お篤《とく》と取調ぶる仔細あり、評定所《ひょうじ
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