ょうしょ》に於《おい》て再吟味|仰付《おおせつ》くる」という御沙汰になりました。この評定所と申しますのは、竜《たつ》の口の壕《ほり》に沿うて海鼠壁《なまこかべ》になって居《お》る処でございますが、普通のお屋敷と格別の違いはありませぬ。これは天下の評定所でございますから、御老中は勿論将軍家も年に二度ぐらいはお成《なり》になるという定例《じょうれい》でございます、即《すなわ》ち正面の高座敷《たかざしき》が将軍家の御座所でございまして、御老中、若年寄《わかどしより》、寺社奉行、大目附《おおめつけ》、御勘定《ごかんじょう》奉行、郡《こおり》奉行、御代官並びに手代《てだい》其の外与力に至るまで、それ/″\席を設けてあります。業平文治が数人の者を殺しながら、評定所に於て再吟味になると云うのは全く義侠の徳でございます。
九
月番御老中を始め諸役人一同列座の上、町奉行石川土佐守殿がお係でございまして、文治を評定所へ呼込めという。
同心「当時浪人浪島文治郎、這入りましょう」
と白洲の戸を明けて、当人の這入るを合図に又大きな錠を卸《おろ》しました。文治は砂上に畏《かしこ》まって居りますと、町奉行は少し進み出でまして、
奉「本所業平橋当時浪人浪島文治郎、去《さん》ぬる六月十五日の夜同所北割下水大伴蟠龍軒の屋敷へ忍び込み、同人舎弟なる蟠作並びに門弟|安兵衞《やすべえ》、友之助妻|村《むら》、同人母|崎《さき》を殺害《せつがい》いたし、今日《こんにち》まで隠れ居りしところ、友之助が引廻しの節、自分の罪を人に嫁《か》するに忍びず、引廻しの馬を止め、蟠龍軒の屋敷に於て数人の家人を殺害いたしたるは全く自分の仕業なりと、自訴に及びたる次第は前回の吟味によって明白であるが確《しか》と左様か」
文「恐れながら申上げます、再応自白いたしましたる通り全く文治の仕業に相違ございませぬ」
奉「うむ、何《なん》らの遺恨あって切殺したか其の仔細を申立てえ」
文「申上げ奉ります、大伴蟠龍軒なる者が舎弟蟠作と申し合せ、出入《でいり》町人友之助を語らい、百金の賭碁を打ち候由、然《しか》るに其の勝負は予《かね》て阿部忠五郎と申す碁打と共謀して企《たく》みたる碁でございますから、友之助は忽《たちま》ち失敗いたしました、然《しか》し百両というは大金、即座に調達《ちょうだつ》も出来兼《できかね》ます処から、
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