縄にて、町奉行|石川土佐守《いしかわとさのかみ》役宅へ引立て、其の夜《よ》は一同|仮牢《かりろう》に止《とゞ》め、翌日一人々々に呼出して吟味いたしますると、何《いず》れも私《わたくし》が下手人でござる、いや私《わたくし》が殺したのでござると強情を云いますので、誰が殺したのかさっぱり分らぬように成りました。取敢《とりあ》えず文治には乱暴者として揚屋入《あがりやいり》を仰付《おおせつ》け、其の他《た》の者は当分仮牢|留置《とめおき》を申付けられました。
六
さて明治のお方様は、昔の裁判所の模様は御存じありますまいが、今の呉服橋|内《うち》にありまして、表から見ますと只の屋敷と少しも変った処はありませぬ。只だ窓々に鉄網《かなあみ》が張ってあるだけの事、また屋敷の向う側の土手に添うて折曲《おりまが》った腰掛がありまして、丁度|白洲《しらす》の模様は今の芝居のよう、奉行の後《うしろ》には襖《ふすま》でなく障子が箝《はま》っていまして、今の揚弓場《ようきゅうば》のように、横に細く透いている所があります。これは後《うしろ》から奥の女中方が覗《のぞ》く処だと申しますが、如何《いかゞ》でございましょうか。白洲には砂利が敷いてあって、其の上は廂《ひさし》を以《もっ》て蔽《おお》い、真中《まんなか》は屋根無しでございます。正面に蓆《むしろ》の敷いてある処は家主《いえぬし》、組合、名主其の外《ほか》引合《ひきあい》の者が坐《すわ》る処でございます。文治は今日お呼出しになりまして、奉行石川土佐守御自身の御吟味、やがてシッ/\という警蹕《けいひつ》の声が聞えますと、正面に石川土佐守|肩衣《かたぎぬ》を着けて御出座、その後《うしろ》にお刀を捧《さゝ》げて居りますのはお小姓でございます。少しく下《さが》って公用人が麻裃で控えて居ります。奉行の前なる畳の上に控えて居りますのは目安方《めやすかた》の役人でありまして、武士は其の下の敷台の上に麻裃大小なしで坐るのが其の頃の扱いでございます。一座定まって目安方が名前を読上げますと、奉行もまた其の通り、
奉「本所業平橋当時浪人浪島文治郎、神田豊島町|惣兵衞店《そうべえたな》亥太郎、本所松倉町|源六店《げんろくたな》國藏、浪人浪島方同居森松、並《ならび》に町役人、組合名主ども」
と、一々呼立てゝ後《のち》、
奉「浪島文治郎、其の方儀|去《さん》
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