tって居りまする。さて中山道《なかせんどう》高崎より渋川、金井、横堀、塚原、相俣《あいまた》より猿が原の関所を越えて永井の宿《しゅく》、これを俗に三宿《さんしゅく》と申しまして、そろ/\難所《なんじょ》へかゝります。三国峠《みくにとうげ》へ差しかゝりました文治と妻お町の二人連れ、
文「漸《ようよ》うのことで國藏、森松、亥太郎の三人を言い伏せて出立いたしたが、いや藤原は身内のこと、まして侍だが、町人三人の志、実に武士も及ばんなア、さぞ/\後《あと》で怨んでいようが、苟《かりそ》めにも親の仇討《あだうち》に出立する者が、他人の助力を受けたとあっては、後日世間の物笑いになるからな」
町「はい、実にお留守中も貴方《あなた》がおいでの時と少しも変りなく、朝夕まいりまして一方《ひとかた》ならぬお世話をして下さいました」
文「左様かな、併《しか》し今日《こんにち》は霜月《しもつき》の中日《ちゅうにち》、短日《たんじつ》とは云いながらもう薄暗くなったなア」
町「はい、少し雪催《ゆきもよ》おしで曇りました」
文「山中《さんちゅう》は寧《いっ》そ人に逢わぬ方が心安い、眼前に大事を控えた身でなくば、さぞ此の景色も佳《よ》いであろうがな」
町「左様でございます、併し今夜はお寒うございますから、早く泊りへまいり度《た》いものでございます」
文「そう/\三国峠を越えれば浅貝宿《あさがいじゅく》、三里で泊るのは少し早いが、浅貝宿へ泊るとしよう」
と話しながらまいりますと、二人の舁夫《かごや》が、
舁「えゝ、もし/\旦那え、私《わっち》どもは三俣《みつまた》まで帰るものですが、尤《もっと》も駕籠は一挺《いっちょう》しか有りませんが、お寒うござんすから、奥様ばかりお召《めし》になったら如何《いかゞ》でござんす、二居《ふたい》まで二里八丁、いくらでも宜しゅうございます、空荷《からに》で歩くと却《かえ》って寒くて堪《たま》りません、女中衆一人ぐらい何《なん》の空籠《からかご》より楽でござんす、ねえ旦那、乗って下せえな」
文「いや、もう私《わし》は浅貝で泊る積りだ、折角だがいらんよ」
舁「えゝ、旦那え、今日は雪空のようでございますが、此の峠は冬向《ふゆむき》は何時《いつ》でも斯様《こん》な天気でござりやす、三里でお泊りも余りお早うござんす、二居までお供を致しやしょう、えゝ旦那、失礼で
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