御家督と云えばお快くないから御臨終《ごりんじゅう》が悪かろうと思う、どうもお四才《よっつ》でもお血統はお血統、若様を御家督にするが当然かと心得るな」
祖「是は御家老様にお似合いなさらんお言葉で、紋之丞様が御家督相続に相成れば、万事御都合が宜しい事で、お舎弟様は文武の道に秀《ひい》で、お智慧も有り、先《ま》ず大殿様が御秘蔵の御方《おんかた》度々《たび/\》お賞《ほ》めのお言葉も有りました事は、父から聞いて居ります」
數「それはお前たちの知らん事、何でも菊様に限る」
大「えゝ、松蔭横合より差出ました横槍を入れます、これは春部氏祖五郎殿の申さるゝが至極|尤《もっと》もかと存じます、菊様は未《いま》だお四才《よっつ》で、何のお弁《わきま》えもない頑是《がんぜ》ない方をお世嗣《よとり》に遊ばしますのも、些《ち》と不都合かのように存じます、菊様御成人の後は兎も角こゝ十四五年の間は梅の御印様《おしるしさま》が御家督になるのが手前に於《おい》ては当然かと、憚《はゞか》りながら存じます」
數「然《そ》うじゃアあるまい」
大「いや/\それは誰が何と申しても左様かと心得ます」
福原數馬は俄《にわか》に面色《めんしょく》を変え、容《かたち》を正して声を張上げ。
數「黙れ……白々しい事を申すな、松蔭手前はそれ程御舎弟紋之丞様を大切に心得て居《お》るならば、何故《なぜ》飴屋の源兵衞を頼んだ」
大「はっ」
數「神原五郎治、四郎治と同意致して、殿を蔑《ないがし》ろにする事を私《わし》が知らんと思うて居《お》るか、白痴《たわけ》め、左様に人前《ひとまえ》を作り忠義立を申してもな、其の方は大恩人の渡邊織江を谷中瑞麟寺脇の細道において、手槍をもって突殺した事を存じて居《お》るぞ、其の咎《とが》を梅三郎に負わそうと存じて、証拠の物を取置き、其の上ならず御舎弟様を害そうと致した事も存じて居《お》る、百八十余里|隔《へだ》った国にいても此の福原數馬は能《よ》く心得て居《お》るぞ、人非人《にんぴにん》め」
と云い放たれ、恟《びっく》り致したが、そこは悪党でございますから、じりゝと前へ膝を進めて顔色《がんしょく》を変え。
大「御家老さま怪《け》しからん事を仰せられます、思い掛けない事を仰せられまする……手前が何で渡邊織江を殺害《せつがい》し、殊《こと》に御舎弟紋之丞さまを失おうとしたなどと誰が左様な事を申しました、手前に於《おい》ては毛頭覚えはございません、何を証拠に左様なことを仰しゃいますか、承わりとうござる」
數「これ、まだ其様《そん》なことを云うか、手前は五分試《ごぶだめ》しにもせにアならん奴だ、うゝん……よく考えて見よ、先《まず》奥方さま御死去になってから、お秋の方の気儘《きまゝ》気随《きずい》神原兄弟や手前達を引入れ、殿様を蔑《ないがしろ》にいたす事も皆《み》な存じて居《お》る。殊に其の方を世話いたした渡邊を殺害《せつがい》致したり、もと何処《どこ》の者か訳も分らん者を渡邊が格別|取做《とりなし》を申したから、お抱えになったのじゃ、上《かみ》へ諂《へつら》い媚《こび》を献じて、とうとう寺島主水を説伏せ、江戸家老を欺き遂《おわ》せて、菊様を世に出そうが為、御舎弟様を亡《な》き者にしようと云う事は、疾《と》うに忠心の者が一々国表へ知らせたゆえに、老体なれども此の度《たび》態々《わざ/\》出て参ったのだ、其の方のような悪人は年を老《と》っても人指《ひとさしゆび》と拇指《おやゆび》で捻《ひね》り殺すぐらいの事は心得て居《お》る、さアそれとも言訳があるか、忠義に凝《こ》った若者らは不忠不義の大罪人|八裂《やつざき》にしても飽足《あきた》らんと憤《いきどお》ったのを、私《わし》が止めた、いやそれは宜しくない、一人を殺すは何でもない、况《まし》て事を荒立る時には殿様のお眼識違《めがねちが》いになりお恥辱《はじ》である、また死去致した渡邊織江の越度《おちど》にも相成る事、万一此の事が将軍家の上聞《じょうぶん》に達すれば、此の上もない御当家のお恥辱《はじ》になるゆえ、事|穏便《おんびん》が宜しいと理解をいたした、こりゃ最早|何《ど》の様《よう》に陳じても遁《のが》れる道はないから、神原兄弟は国表へ禁錮《おしこめ》申し付け、家老役御免、跡役は秋月喜一郎に仰付けられるよう相定《あいさだま》って居《お》る、手前は不忠な事を致し、面目次第もない、不忠不義の大罪人御奉公も相成り兼《かね》るによって永《なが》の暇《いとま》下されたしという書面を書け、これ祖五郎此の松蔭に父を討たれ、無念の至りであろう、手前はお暇を蒙《こうむ》って居《お》る身の上、仮令《たとえ》悪人でも殿様のお側近くへまいる役柄を勤める大藏を、敵《かたき》と云って無闇に討つことは出来んから、暇を取ったら、直《すぐ》に討て……梅三郎貴様は大藏のため既に罪に陥《おと》されし廉《かど》もあり、祖五郎は未《いま》だ年若じゃによって助太刀を致してやれ、これに岩越という柔術取《やわらとりtの名人が居《お》るから心配は無い、貴様力を添えてやれ、さ松蔭書付を書いて私《わし》へ出せばそれで手前はお暇になったのだ…秋田屋の亭主気の毒だが此の庭で敵討《かたきうち》を致させるから少し貸せ」
清「へえ」
と驚きました。
清「泉水がございますが」
數「いや、びちゃ/\落《おっ》こっても宜しい、急に一時《いちじ》に片を附けなければならんのだ、さ書け書かんかえ」
大「はっ……併《しか》し何《ど》の様《よう》の証拠がござって、手前は神原兄弟と心を合せて御家老職を欺《あざむ》き、剰《あまつ》さえ御舎弟様を手前が毒害いたそうなどと、毛頭身に覚えない事で、殊に渡邊織江を殺害《せつがい》いたしたなどと」
梅「黙れ此の梅三郎が宜く心得て居《お》るぞ、手前は神原と心を合せて織江殿を殺害《せつがい》致した其の時に、此の梅三郎は其の場に居合せ、下男を取押えて密書を奪い現に所持いたして居《お》る、最早|遁《のが》れる道はないぞ」
祖五郎は血眼《ちまなこ》になって前へ進み、
祖「やい大藏、人非人恩知らず、狗畜生《いぬちくしょう》、やい手前はな父を討ったに相違ない、手前は召使《めしつかい》の菊を殺し、又家来林藏も斬殺《きりころ》し、其の上ならず不義密通だと云って宿《やど》へ死骸を下げたが、其の前々《まえ/\》菊が悪事の段々を細かに書いて、小袖の襟へ縫附けて親元へ贈った菊の書付けを所持して居《お》る、最早|遁《のが》れる道はないぞ、手前も武士じゃないか、尋常に立上って勝負いたせ」
大「はっ……不忠不義の大罪重々心に恥じ、恐入りましてござる」
數「さ、書け、もう迚《とて》もいかんから書け、松蔭手前も諦めの悪い男だ、最早|遁《にぐ》るも引くも出来やせん、書け」
大「はっ」
數「まだ恐れ入らんか」
大「はっ」
數「も一つ云おうか、白山前の飴屋小金屋源兵衞を欺《だま》し宗庵という医者を抱込んで、水飴の中へ斑猫を煮込み、紋之丞様へ差上げようと致したな、それは疾《と》うに水飴屋の亭主が残らず白状致してある、遁《のが》れる道はない」
大「あゝ残念…是まで十分|仕遂《しおわ》せたる事が破れたか、あゝ」
と震《ふる》えて袴《はかま》の間へ手を入れ、松蔭大藏は歯噛《はがみ》をなして居りましたが、最早|詮方《せんかた》がないと諦め、平伏して、
大「恐れ入ってござる」
數「おゝ、恐れ入ればそれで宜しい、お秋の方も剃髪《ていはつ》させ、国へ押込める積《つもり》だ、さ書け/\」
大「只今書きまする」
と云いながら後《あと》へ退《さが》るから、岩越という柔術家《やわらとり》が万一《もし》逃げにかゝったら引倒して息の根を止めようと思って控えて居ります。後へ退って大藏が硯《すゞり》を引寄せて震《ふる》えながら認《したゝ》めて差出す。
數「爪印を押せ、其処《そこ》へ」
大「はっ」
と爪印を捺《お》して福原數馬の前へ差出し、
大「重々心得違い、是《こ》れにて宜しゅうございますか、御披見《ごひけん》下さい」
數「其の方の手跡《しゅせき》だから宜しい、さ是から庭へ出て敵討《かたきうち》だ/\」
と云うと大藏は耐《こら》えかねて小刀《しょうとう》を引抜くが早いか脇腹へ突込《つきこ》んで引廻しました。
祖「汝《おの》れ切腹致したな」
と祖五郎が飛掛って二打三打斬付け、遂《つい》に仇《あだ》を討遂《うちおお》せて、直《すぐ》にお屋敷へお届けに相成り、とうとう悪人は残らず国表へ押込められて、お上屋敷の御家来十七人切腹致し、渡邊祖五郎、春部梅三郎はお召帰《めしかえ》しに相成り、渡邊祖五郎は二代目織江と成り、菊様の後見と相成って、お下屋敷にまいりました。また秋月は跡家老職《あとかろうしょく》を仰付けられ、こゝに於《おい》て福原數馬は安心して国へ帰る。殿様は御病気全快し、其の後《ご》大殿お逝去《なくなり》になって、紋之丞さまが乗出し、美作守に任ぜられ。又お竹を何くれ親切に世話をした雲水の宗達は、美作の国までお竹を送り届け、それより廻国を致し、遂に京都で大寺《だいじ》の住職となり、鴻の巣の若江は旅籠屋《はたごや》を親族に相続させ、更《あらた》めて渡邊祖五郎が媒妁人《なこうど》で、梅三郎と夫婦になり、お竹も重役へ嫁入りました。大力《だいりき》の遠山權六は忠義無二との取沙汰《とりざた》にて百石の御加増に相成りましたという。お芽出たいお話でございますが、長物語で嘸《さぞ》御退屈。
[#地から1字上げ](拠酒井昇造筆記)
底本:「圓朝全集 巻の九」近代文芸・資料複刻叢書、世界文庫
1964(昭和39)年2月10日発行
底本の親本:「圓朝全集巻の九」春陽堂
1927(昭和2)年8月12日発行
※「旧字、旧仮名で書かれた作品を、現代表記にあらためる際の作業指針」に基づいて、底本の表記をあらためました。
ただし、話芸の速記を元にした底本の特徴を残すために、くの字点(二倍の踊り字。「く」を縦に長くしたような形の繰り返し記号)はそのまま用いました。二の字点(漢数字の「二」を一筆書きにしたような形の繰り返し記号)は、「々」「ゝ」「ヽ」にかえました。
総ルビの底本から、振り仮名の一部を省きました。
底本中ではばらばらに用いられている、「其の」と「其」、「此の」と「此」は、それぞれ「其の」と「此の」に統一しました。
底本中では改行されていませんが、会話文の前後で段落をあらため、会話文の終わりを示す句読点は、受けのかぎ括弧にかえました。
※本作品中には、人名などの固有名詞に一部不統一が見られますが、あきらかな誤植と思われる場合を除き、原則として統一はせず、底本のままとしました。
※底本は、物を数える際や地名などに用いる「ヶ」(区点番号5−86)を、大振りにつくっています。
入力:小林繁雄
校正:かとうかおり
2001年1月6日公開
2004年7月21日修正
青空文庫作成ファイル:
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