ります。彼《か》の渡邊織江が切害《せつがい》されましたのは、明和の四年|亥歳《いどし》九月十三|夜《や》に、谷中瑞林寺の門前で非業な死を遂げました、屍骸を引取って、浅草の田島山《たじまさん》誓願寺《せいがんじ》へ内葬を致しました。其の時検使に立ちました役人の評議にも、誰が殺したか、織江も手者《てしゃ》だから容易な者に討たれる訳はないが、企《たく》んでした事か、どうも様子が分らん。死屍《しがい》の傍《わき》に落ちてありましたのは、春部梅三郎がお小姓若江と密通をいたし、若江から梅三郎へ贈りました文と、小柄《こづか》が落ちてありましたが、春部梅三郎は人を殺すような性質の者ではない、是も変な訳、何ういう訳で斯様《かよう》な文が落ちてあったか頓と手掛りもなく、詰り分らず仕舞でござりました。織江には姉娘《あねむすめ》のお竹と祖五郎という今年十七になる忰《せがれ》があって、家督人《かとくにん》でございます。此者《これ》が愁傷《しゅうしょう》いたしまして、昼は流石《さすが》に人もまいりますが、夜分は訪《と》う者もござりませんから、位牌に向って泣いてばかり居りますと、同月《どうげつ》二十五日の日に、お上
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