になる途端に、懐の雪踏が辷《すべ》って落《おち》ると、間の悪い時には悪いもので、彼《か》の喧嘩でも吹掛《ふっか》けて、此の勘定を持たせようと思っている悪浪人《わるろうにん》の一人が、手に持っていた吸物椀の中へ雪踏がぼちゃりと入ったから驚いて顔を上げ、
甲「これ怪《け》しからん奴だ、やい下《おり》ろ、二階へ上《あが》る奴下ろ」
 と云いながら喜六の裾を取ってぐいと引いたから、ドヽトンと落ち、
喜「あ痛いやい……」
甲「不礼至極《ぶれいしごく》な奴だ、人が酒を飲んでいる所へ、屎草履《くそぞうり》を投込むとは何の事だ」
 と云いながら二つ三《み》つ喜六の頭を打つ喜六は頭を押えながら、
喜「あ痛い……誠に済みませんが、懐から落ちたゞから御勘弁を願《ねげ》えます」
甲「これ彼処《あすこ》に下足を預《あずか》る番人があって、銘々下足を預けて上《あが》るのに、懐へ入れて上る奴があるものか、是には何か此の方に意趣遺恨があるに相違ない」
喜「いえ意趣も遺恨もある訳じゃねえ、お前様《めえさま》には始めてお目に懸って意趣遺恨のある理由《わけ》がござえません、私《わし》は何《なん》にも知んねえ田舎漢《いなかもの》で、年も取ってるし、御馳走の酒を戴き、酔払いになったもんだから、身体が横になる機《はず》みに懐から雪踏が落ちただから、どうか御勘弁を」
 と詫びましたが、浪人は肩を怒らせまして、
甲「勘弁|罷《まか》りならん、能く考えて見ろ、人の吸物の中へ斯様に屎草履を投込んで、泥だらけにして、これを何うして喰うのだ」
喜「誠に御道理《ごもっとも》……併《しか》し屎草履と仰しゃるが、米でも麦でも大概《たいげえ》土から出来ねえものはねえ、それには肥料《こやし》いしねえものは有りますめえ、あ痛い、又打ったね」
甲「なに肥料《こやし》をしないものはないが、直接《じか》に肥料を喰物《くいもの》に打《ぶっ》かけて喰う奴があるか、怪《け》しからん理由《わけ》の分らん奴じゃアないか」
乙「これ/\其様《そん》な者に何を云ったって、痛いも痒《かゆ》いも分るものじゃアない、家来の不調法は主人の粗相だから、主人が此処《こゝ》へ来て詫るならば勘弁して遣《や》ろう、それまで其の小包を此方《こちら》へ取上げて置け、なに娘を連れて年を老《と》っている奴だと、それ/\今も云う通り家来の不調法は主人の不調法だから、主人が此処へ来て、手前に成り代って詫るなれば勘弁を仕まいものでもないが、それ迄包を此方《こっち》へ預かる、一体家来の不調法を主人が詫んという事は無い」
喜「詫ん事は無いたって、私《わし》が不調法をして、旦那様を詫に出しては済みません、それに包を取上げられてしまっては旦那様に申訳がないから、どうか堪忍しておくんなせえましな、私が不調法を為《し》たんだから、二つも三つも打叩《ぶちたゝ》かれても黙って居やすんだ、人間の頭には神様が附いて居ますぞ、其処《そこ》を叩くてえ事はねえ」
甲「なに……」
 と又|打《ぶ》つ。
喜「あ痛い、又|打《ぶ》ったな」
甲「なにを云う、其様な小理窟ばかり云っても仕様がねえ、もっと分る奴を出せ」
喜「あ痛い……だからま一つ堪忍しておくんなせえましよ」
甲「勘弁罷りならん」
喜「勘弁ならんて、此の包を取られゝば私《わし》がしくじるだ」
甲「手前が不調法をしてしくじるのは当然《あたりまえ》だ、手前が門前払いになったて己の知った事かえ、さ此方《こっち》へ出さんか」
喜「あ……あれ……取っちまった、其の包を取られちゃア私《わし》が済まねえと云うに、あのまア慈悲知らずの野郎め」
甲「なに野郎だ……」
 と尚《な》お事が大きくなって、見ちゃア居られませんから茶屋の女中が、
下婢「鎌《かま》どんを遣《や》っておくれな」
鎌「なに斯ういう事は矢張《やッぱ》り女が宜《い》いよ」
下婢「其様なことを云わずに往っておくれよ」
鎌「客種《きゃくだね》が悪い筋だ、何《なん》かごたつこうとして居る機《はず》みだから、どうも仕様がない」
 下婢《おんな》どもがそれへ参り、
下婢「ね、あなた方」
甲「何だ、何だ手前は」
下婢「貴方《あなた》申しお供さん、お気を附けなさらないといけませんよ、貴方ね、此方《こちら》は下足番の有るのを御存じないものですから、履物《はきもの》を懐へ入れて梯子段を昇《あが》ろうとした処を、つい酔っていらっしゃるもんですから、不調法で落ちたのでしょう、実にお気の毒さま、何卒《どうぞ》ね、ま斯ういうお花見時分で、お客さまが立込んで居りますから、御機嫌を直していらっしゃいよ、何ですよう、ちょいと貴方ア」
甲「なんだ不礼至極な奴め、愛敬が有るとか器量が好《よ》いとか云うならまだしも、手前の面を見ろい、手前じゃア分らんから分る人間を出せ」
下婢「誠にどうも、あのちょいと清次《
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