むらもんど》とかいう人は智慧があると云いやした、此者《これ》が羽振の宜《い》い処だ、其の人らの云う事は殿様も聴くだ、御家来に失策《しくじり》が有っても、渡邊さんや秋月さんが取做《とりな》すと殿様も赦《ゆる》すだ、秋月さんは槍奉行を勤めているが、成程|剛《つよ》そうだ、身丈《せい》が高くってよ」
と手真似をして物語る内、大藏は掌《てのひら》の底に目を附けました。
十一
大「足下《そっか》掌《て》を何うした、穴が開いているようだが」
權「これか、是は殿様が槍を突掛《つッか》けて掌《て》で受けるか何うだと云うから、受けなくってというので、掌で受けたゞ」
大「むゝ、そうか、そして御家来の中《うち》仁は渡邊織江、勇は秋月、智は戸村、成程斯ういう事は珍らしいから書付けて往《ゆ》きましょう」
と細かに書いて暇乞《いとまごい》を致し、帰る時に權六が門まで送り出してまいりますと、お役所から帰る渡邊に出会いましたから、權六も挨拶する事ぐらいのことは心得て居りますから、丁寧に挨拶する。渡邊も答礼して行過《ゆきす》ぎるを見済《みすま》して、
大「彼《あれ》は」
權「彼《あれ》が渡邊織江様よ、慈悲深い方で、家来に難儀いする者が有ると命懸で殿様に詫言をしてくれるだ、困るなら銭い持って行けと助けてくれると云うだ、どうも彼《あ》の人には敵《かな》わねえ」
大「成程|寛仁大度《かんじんたいど》、見上げれば立派な人だね」
權「なにい、韓信《かんしん》が股ア潜《くゞ》りだと」
大「いえ中々お立派なお方だ、最《も》う五十五六にもなろうか……拙者も近い所にいるから、また度々《たび/\》お尋ね下さい、拙者も亦《また》お尋ね申します」
權「お前辛抱しなよ、お女郎買におっ溺《ぱま》ってはいかねえよ、国と違ってお女郎が方々に在《あ》るから、随分身体を大事《でえじ》にしねば成んねえ」
大「誠に辱《かたじ》けない、左様なら」
と松蔭大藏は帰りました。其の後《ご》渡邊織江が同年の三月五日に一人の娘を連れて、喜六《きろく》という老僕《じゞい》に供をさせて、飛鳥山《あすかやま》へまいりました。尤《もっと》も花見ではない、初桜《はつざくら》故余り人は出ません、其の頃には海老屋《えびや》、扇屋《おうぎや》の他に宜《よ》い料理茶屋がありまして、柏屋《かしわや》というは可なり小綺麗にして居りました。織江殿は娘を連れて此の茶屋の二階へ上《あが》り、御酒《ごしゅ》は飲みませんから御飯《ごぜん》を上っていました。此の娘は年頃十八九になりましょうか、色のくっきり白い、鼻筋の通った、口元の可愛らしい、眼のきょろりとした……と云うと大きな眼付で、少し眼に怖味《こわみ》はありますが、是《もっと》も巾着切《きんちゃくきり》のような眼付では有りません、堅いお屋敷でございますから好《よ》い服装《なり》は出来ません、小紋の変り裏ぐらいのことで、厚板の帯などを締めたもので、お父《とっ》さまは小紋の野掛装束《のがけしょうぞく》で、お供は看板を着て、真鍮巻《しんちゅうまき》の木刀を差して上端《あがりばな》に腰をかけ、お膳に酒が一合附いたのを有難く頂戴して居ります。二階の梯子段の下に三人車座になって御酒を飲んでいる侍は、其の頃|流行《はや》った玉紬《たまつむぎ》の藍《あい》の小弁慶《こべんけい》の袖口がぼつ/\いったのを着て、砂糖のすけない切山椒《きりざんしょ》で、焦茶色の一本独鈷《いっぽんどっこ》の帯を締め、木刀を差して居るものが有ります。火の燃え付きそうな髪《あたま》をして居るものも有り、大小を差した者も有り、大髷《おおたぶさ》の連中《れんじゅう》がそろ/\花見に出る者もあるが、金がないので往《ゆ》かれないのを残念に思いまして、少しばかり散財《ざんざい》を仕ようと、味噌吸物《みそずいもの》に菜のひたし物|香物《こう/\》沢山《だくさん》という酷い誂《あつら》えもので、グビーリ/\と大盃《おおもの》で酒を飲んで居ります。二階では渡邊織江が娘お竹と御飯《ごぜん》が済んで、
織「これ/\女中」
下婢「はい」
織「下に従者《とも》が居《お》るから小包を持って来いと云えば分るから、然《そ》う云ってくれ」
下婢「はい畏《かしこ》まりました」
とん/\/\と階下《した》へ下りまして、
下婢「あの、お供さん、旦那があの小さい風呂敷包を持って二階へ昇《あが》れと仰しゃいましたよ」
喜「はい畏まりました」
と喜六と云う六十四才になる爺さんが、よぼ/\して片手に小包を提げ、正直な人ゆえ下足番が有るのに、傍《わき》に置いた主人の雪踏《せった》とお嬢様の雪踏と自分の福草履三足一緒に懐中《ふところ》へ入れたから、飴細工の狸見たようになって、梯子を上《あが》ろうとする時、微酔機嫌《ほろよいきげん》で少し身体が斜《よこ》
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