け》えな、一箱三拾両なんて魂消《たまげ》た、怖ろしい高え薬を売りたがる奴じゃアねえか」
千「なに売りたがると云う訳ではないが、其のお薬を飲ませればお母さまの御病気が癒ると仰しゃるから、私は其れを買いたいと思うが買えないの」
丹「むゝう三拾両じゃア仕様がねえ、是れが三両ぐらいのことなら大事な御主人の病《やめえ》には換えられねえから、宅《うち》を売ったって其の薬を買って上げたいとは思いますが、三拾両なんてえらい話だ、そんな出来ねえ相談を打《ぶ》たれちゃア困ります、御病人の前で高《でけ》え声じゃア云えねえが、殊《こと》に寄ったら其様《そん》な事を機会《しお》にして他《ほか》へ見せてくんろという事ではないかと思うと、誠に気が痛みやすな」
千「私も実は左様《そう》思っているの、それに就《つ》いて少しお前に相談があるからお母さまへ共々《とも/″\》に願っておくれな、私が其のお薬を買うだけの手当を拵《こしら》えますよ」
丹「拵えるたって無いものは仕様があんめえ」
千「そこが工夫だから、兎も角お母さまの処へ一緒に」
 と枕元の屏風を開け、
千「もしお母様《っかさま》、二番が出来ましたから召上れ、少し詰って濃くなりましたから上り悪《にく》うございましょう、お忌《いや》ならば半分召上れ、あとの滓《おり》のあります所は私が戴きますから」
母「此の娘《こ》は詰らんことを云う、達者な者がお薬を服《た》べて何うする、私は幾ら浴《あび》るほどお薬を飲んでも効験《きゝめ》がないからいけないよ、私はもう死ぬと諦らめましたから、お前|其様《そんな》に薬を勧めておくれでない」
千「あら、またお母さまはあんな事ばかり云っていらっしゃるんですもの、御病気は時節が来ないと癒りませんから、私は一生懸命に神さまへお願掛《がんが》けをして居ますが、あなた世間には七十八十まで生きます者は幾許《いくら》も有りますよ」
母「いゝえ私は若い時分に苦労をしたものだからの、それが矢張《やっぱ》り身体に中《あた》っているのだよ」
千「あの爺やが参りましたよ」
母「おゝ丹治、此方《こっち》へ入っておくれ」
丹「はい御免なせえまし、何うでござえますな、些《ちっ》とは胸の晴《はれ》る事もござえますかね、お嬢さんも心配しておいでなさいますから、能《よ》くお考えなせえまし、併《しか》しま旧《もと》が旧で、あゝいう生活《くらし》をなすった方が、急に此様《こん》な片田舎へ来て、私《わし》のような者を頼みに思って、親一人子一人で僅かな畠を持って仕つけもしねえ内職をしたりして斯《こ》うやって入らっしゃるだから、あゝ詰らねえと昔を思って気を落すところから御病気になったものと考えますが、私だって貧乏だから金ずくではお力になれませんが、以前はあなたの処へ奉公した家来だアから、何うかして御病気の癒るように蔭ながら信心をぶって居りますが、お嬢さまの心配は一通りでないから、我慢してお薬を上んなせえまし」
母「有難う、お前の真実は忘れません、他にも以前|勧《つと》めた[#「勧《つと》めた」は「勤《つと》めた」の誤記か]ものは幾許《いくら》もあるが、お前のように末々《すえ/″\》まで力になってくれる人は少ない、私は死んでも厭《いと》いはないけれども、まだ十九《つゞ》や廿歳《はたち》の千代を後《あと》に残して死ぬのはのう……」
丹「あなた、然《そ》う死ぬ死ぬと云わねえが宜うごぜえます、幾ら死ぬたって死なれません、寿命が尽きねえば死ねるもんではねえから、どうも然う意地の悪い事ばかり考えちゃア困りますなア、死ぬまでも薬を」
千「何だよう、死ぬまでもなんて、そんな挨拶があるものか」
丹「はい御免なせえまし、それじゃア、死なねえまでもお上んなせえ」
千「お前もう心配しておくれでない」
丹「はい」
千「お母さま、あの先刻|桑田《くわだ》さまが仰しゃいました人参のことね」
母「はい聞いたよ」
千「あれをあなた召上れな、人参という物は、なに其様《そんな》に飲みにくいものでは有りませんと、少し甘味がありまして」
母「だってお前、私は飲みたくっても、一箱が大金という其様《そん》なお薬が何うして戴かれますものか」
千「その薬をあなた召上るお気なら、私《わたくし》が才覚して上げますが……」
母「才覚たってお前、家《うち》には売る物も何も有りゃアしないもの」
千「私《わたくし》をあのう隣村の東山作左衞門という郷士の処へ、道具係の奉公に遣《や》って下さいましな」
 其の時母は皺枯れたる眉にいとゞ皺を寄せまして、
母「お前、飛んでもない事をいう、丹治お前も聞いて知ってるだろうが、作左衞門の家《うち》では道具係の奉公人を探していて、大層給金を呉れる、其の代りに何とかいう宝物《たからもの》の皿を毀すと指を切ると云う話を聞いたが、本当かの」
丹「えゝ、それは
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