本当でごぜえます、旧《もと》の公方《くぼう》さまから戴いた物で、家《いえ》にも身にも換えられねえと云って大事にしている宝だから、毀した者は指を切れという先祖さまの遺言状《かきつけ》が伝わって居るので、指を切られた奴が四五人あります」
母「おゝ怖いこと、其様《そん》な怖い処へ此の娘《こ》を奉公に遣《や》られますかね、とても遣られませんよ、何うして怖《おっか》ない、皿を毀した者の指を切るという御遺言《ごゆいごん》だか何だか知らんけれども、其の皿を毀したものゝ指を切るなんぞとは聞いても慄《ぞっ》とするようだ、何うして/\、人の指を切ると云うような其様な非道の心では、平常《ふだん》も矢張《やっぱ》り酷《ひど》かろう、其様な処へ奉公がさせられますものか、痩せても枯れても遠山龜右衞門の娘《むすめ》じゃアないか、幾許|零落《おちぶれ》ても、私は死んでも生先《おいさき》の長いお前が大切で私は最《も》う定命《じょうみょう》より生延びている身体だから、私の病気が癒ったって、お前が不具《かたわ》になって何うしましょう、詰らぬ事を云い出しましたよ、苦し紛れに悪い思案、何うでも私は遣りませんよ」
千「然《そ》うではありましょうけれども、なに気を附けたら其様な事は有りますまい、私《わたくし》も宜く神信心《かみしん/″\》をして丁寧に取扱えば、毀れるような事はありますまいと存じますからねお母さま、私は一生懸命になりまして奉公を仕遂《しおお》せ[#「仕遂せ」は底本では「仕逐せ」]、其の中《うち》あなたの御病気が御全快になれば、私が帰って来て、御一緒に内職でもいたせば誠に好《よ》い都合じゃアございませんか、何卒《どうぞ》遣って下さいまし、ねえお母さま、あなた私の身をお厭《いと》いなすって、あなたに万一《もしも》の事でも有りますと、矢張《やっぱ》り私が仕様がないじゃア有りませんか」
母「はい、有難うだけれども遣れません、亡《なくな》ったお父《とっ》さんのお位牌に対して、私の病を癒そうためにお前を其様な恐ろしい処へ奉公に遣って済むものじゃアない、のう丹治」
丹「へえ、あんたの云う事も道理でごぜえます、これは遣れませんな」
千「だけども爺や、お母さんの御病気の癒らないのを見す/\知って、安閑として居られる訳のものではないから、私は奉公に往《ゆ》き仮令《たとえ》粗相で皿を一枚毀した処が、小指一本切られたって命にさわるわけではなし、お母さまの御病気が癒った方が宜《よ》いわけじゃアないか」
丹「うん、これは然《そ》うだ、然う仰しゃると無理じゃアない、棄置けば死ぬと云うものを、あなたが何う考えても打棄《うっちゃ》って置かれねえが、成程是れは奉公するも宜うごぜえましょう」
母「お前馬鹿な事ばかり云っている、私が此の娘《こ》を其様な処へ遣られるか遣られないか考えて見なよ、指を切られたら肝心な内職が出来ないじゃアないか、此の困る中で猶々《なお/\》困ります、遣られませんよ」
丹「成程是れはやれませんな、何う考えても」
千「あらまア、あんな事を云って、何方《どっち》へも同じような挨拶をしては困るよ」
丹「へえ、是れは何方とも云えない、困ったねえ…じゃア斯うしましょう、私《わし》がの媼《ばゞあ》を何卒《どうか》お頼ん申します、私がお嬢さまの代りに奉公に参《めえ》りまして、私が其の給金を取りますから、お薬を買って下せえまし」
千「女でなければいけない、男は暴々《あら/\》しくて度々《たび/\》毀すから女に限るという事は知れて居るじゃアないか」
丹「然《そ》うだね、男じゃア毀すかも知れねえ、私等《わしら》は何うも荒っぽくって、丼鉢を打毀《うちこわ》したり、厚ぼってえ摺鉢《すりばち》を落して破《わ》った事もあるから、困ったものだアね」
千「お母さん、何卒《どうぞ》やって下さいまし」
と幾度《いくたび》も繰返しての頼み、段々母を説附《ときつ》けまして丹治も道理《もっとも》に思ったから、
丹「そんならばお遣んなすった方が宜かろう」
と云われて、一旦母も拒みましたが、娘は肯《き》かず、殊《こと》に丹治も倶々《とも/″\》勧めますので、仕方がないと往生をしました。幸い他《た》に手蔓《てづる》が有ったから、縁を求めて彼《か》の東山作左衞門方へ奉公の約束をいたし、下男の丹治が受人《うけにん》になりまして、お千代は先方へ三ヶ年三十両の給金で住込む事になりましたのは五月の事で、母は心配でございますが、致し方がないので、泣く/\別れて、さて奉公に参って見ると、器量は佳《よ》し、起居動作《たちいふるまい》物の云いよう、一点も非の打ち処《どこ》がないから、至極作左衞門の気に入られました。
三
作左衞門はお千代の様子を見まして、是れならば手篤《てあつ》く道具を取扱ってくれるだろう、誠に落
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