打殺《ぶちころ》してやるだ、其の内に尊公を助けて逃がすだけの仕事よ」
殿「うん成程、立派な事だ、併《しか》し然う甘《うま》く口でいう通りに行《ゆ》くかな」
權「屹度《きっと》行《や》ります、其処は主《しゅう》家来の情合だからね」
殿「うん面白い奴じゃ、然《しか》らば敵が若し斯様に致したら何うする」
とすっと立ち上って、欄間に掛けて有りました九尺|柄《え》の大身《おおみ》の槍を取って、スッ/\と二三度しごいて、
「斯様に突き掛けたら何う致す」
と真に突いて蒐《かゝ》った時に權六が、
權「然うすれば斯う致します」
と少しも動かずに、ジリ/\と殿様の前へ進むという正直律義の人でございます。
十
粂野紋之丞前次と仰しゃる方は、未だお部屋住では有りますが、勇気の優れた方で、活溌なり学問もあり、実に文武兼備と講釈師なら誉《ほめ》る立派な殿様でございますなれども、そこはお大名の疳癪で、甚《ひど》く逆らって参ると、直《すぐ》に抜打《ぬきうち》に御家来の首がコロリなどゝいう事が有るもので、只今の華族さまは開《ひら》けて在《いら》っしゃいますから、其様《そん》な野蛮な刄物三昧《はものざんまい》などはございませんが、前次様は御勇気のお方だけあって、九尺柄の大身の槍をすっと繰出した時に、權六は不意を打たれ、受くるものが有りませんから左の掌《て》で、
權「むゝ」
と受けましたが剛《ひど》い奴で、中指と無名指《くすりゆび》の間をすっと貫かれたが、其の掌で槍の柄を捕まえて、ぐッと全身の力で引きました。前次公は蹌《よろ》めいて前へ膝を突く処を、權六が血だらけの手で捕《おさ》え付け、
權「其の時は斯う捻り倒して敵を酷《ひど》え目に遇《あ》わして、尊公《あんた》を助けるより他はねえ、何うだ、敵も魂消《たまげ》るか」
と大力《だいりき》でグックと圧《お》すから前次公も堪《た》えかねまして、
殿「權六|宥《ゆる》せ、宥せ」
と云うは余程苦しかったと見えます。これを見るとお側に居りました川添富彌、山田金吾も驚きましたが、御側小姓の外村惣江が次の間に至り、一刀を執《と》って立上り、
惣「棄置かれん奴」
とバラ/\/\と二人|来《きた》って權六へ組付こうとするを睨《にら》み付け、
權「寄付くと打殺《ぶっころ》すぞ」
惣「斬ってしまえ、無礼至極な奴だ、御前を何と心得る、如何《いか》に物を心得んとは申しながら、余りと申せば乱暴狼藉」
と立ちかゝるを、殿様は押されながら、
殿「いやなに惣江、手出しをする事は必ずならんぞ、權六放してくれ、あ痛い、放せ、予が悪かった、宥せ/\」
權「宥せと云って敵じゃア許せねえけれども、先《ま》ず仕方話だから許します、さ何うだね」
殿「ハッ/\」
と殿様は稍《ようや》く起上りましたが、血だらけでございます。是は權六の血だらけの手で押付けられたから、顔から胸から血だらけで、これを見ると御家来が驚きまして、呆れて口が利けません。
殿「ハッ/\、至極|道理《もっとも》だ」
權「道理だって、私《わし》が何も手出し仕たじゃアねえのに、押《おせ》えるの斬るのと此処にいる人が云うなア分んねえ、咎《とが》も報いも無《ね》えものを殿様が手出しいして、槍で突殺《つッころ》すと云うだから、敵が然うしたら斯うだと仕方話いしてお目に掛けたゞ、敵なら捻り殺すだが、仕方話で、ちょっくら此の位《くれえ》なものさ」
殿「至極|正道《しょうどう》潔白な奴じゃ、勇気なものじゃ、何と申しても宜しい、予に悪い事があったら一々諫言をしてくれ、今日《きょう》より意見番じゃ、予が側を放さんぞ」
と有難い御意で、それからいよ/\医者を呼び、疵の手当を致して遣《つか》わせと、殿様も急に血だらけですからお召替になる。大騒ぎでござります。御褒美として其の時の槍を戴きましたから、是ばかりでも槍一筋の侍で、五十石に取立てられ、頭取下役《とうどりしたやく》という事に成りましたが、更に※[#「言+滔のつくり」、第4水準2−88−72]《へつら》いを致しませんが、堅い気象ゆえ、毎夜人知れず刀を差し、棒を提げて密《そ》っと殿様のお居間の周囲《まわり》を三度ずつ不寝《ねず》に廻るという忠実なる事は、他の者に真似は出来ません立派な行いでございます。又お供の時は駕籠に附いてまいりません。
權「私《わし》ア突張《つッぱ》ったものを着て、お駕籠の側へ付いてまいっても無駄でごぜえます、お側には剣術を知ってる立派なお役人が附いているだから、狼藉者がまいっても脇差を引抜いて防ぎましょうが、私ア其の警衛《けいえい》の方々に狼藉者が斬付けるとなんねえから、若《も》し怪しい奴が来るといかねえから私ア他の人の振《ふり》で先へめえりましょう、袴《はかま》などア穿《は》くのは廃《よ》して貰《もれ》えま
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